『八重の桜』への愛を語る (5)

会津山本家
砲術師範という特殊なお役目や、実は自分も婿養子だったおとっつぁま、という事情で、「ちょっと変わった」家、という設定が好きだった。女も含めて家族一同で食事をしたり、なんのかんの言うて、八重の個性を尊重したりしている家風。

権八。いかにも昔気質の会津藩士といった実直さと頑固さを備えたおとっつぁま。ちび八重の目の前で鳥の命を奪って見せるのも昨今のぬるい大河と一線を画すシーンで印象的だったが、娘が鉄砲を習うことを容易に許さなかった胸中を、「あとで本人がせつねぇ思いをするだけだ」と覚馬にだけひっそり語るシーンはもっと好きだった。繰り返される「ならぬことはならぬ」が、単なる形骸ではなく、おそらく先人たちの知恵として受け継いでこられたのだなと思わされる、父の姿だった。「せつねぇ思い」っていう表現がほんとにほんとに好きで、なんて良い脚本!と思ったものだったよ。

かわいいおとっつぁま。松重豊の魅力全開だった。八重の就職や嫁入りに気を揉んで、姉さんかぶりで薪を山と抱えて火の世話をする。自分では威厳たっぷりのつもりで、「自分が婿に入ったときは最初から堂々としてた」と言って憚らないが、横で妻は微妙な顔をしている。異を唱えるわけでもなければおもねることもしない、それは夫への敬意と愛情の証。権八と佐久さんは、この物語で唯一、リアリティある情愛の通う夫婦だった。前近代をまっとうに生きた男女でもあり、深い愛情を子どもたちに注ぐ親でもあった。覚馬が上京する際、権八は耳かきを、佐久は足袋を、知らず知らずのうちに大量に作る。三郎と覚馬の戦死(覚馬は誤報)を知らされた際の権八の反応は、脚本も演出も演技も出色だった。

大河ドラマにおいて主人公の母親には、大きくいって、1.賢婦人  2.若くして死ぬ  3.ヒステリー  のようなパターンがある。パッと思いつくのでいえば、賢婦人は「篤姫」の母や、「徳川慶喜」の母。若くして死ぬのは、「平清盛」の母や「龍馬伝」の母。ヒステリーは、「北条時宗」の母や、古くは「独眼竜政宗」の母。「江」での市が、「1」と「2」の複合か、あるいは「2」と「3」の複合化は、論の分かれるところであろう、ふふふ…。

佐久はもちろん「賢婦人」に入るのだろうが、このカテゴリは(若死にもそうか)、往々にして、およそリアリティのない画餅になりがち(お花畑に棲息する夫婦や、「戦は嫌でございます」のお題目と共に大河の悪弊)。ところが、この佐久さんはすこぶる人間的だった。良識的な女性であり、人々に種痘を勧めるような先見性や行動力があり、少々人見知り(?)な嫁の良いところをすぐに見抜いて包み込み、それでいて、我が子がいっちばん大事でどんなときもそこは揺るがないエゴイスティックなところも垣間見られる。風吹ジュンさんは『風林火山』でも、違ったタイプの人間性豊かな「副主人公の母」(大井夫人)を演じており、大河では脚本による造形にも恵まれているかも、そういえば長瀬智也のTBS『歌姫』での母役も良かったよね〜。


●八重のふたりの夫

川崎尚之助

放送直前、といっていいほど最新の研究成果が盛り込まれたのはこのドラマのひとつの功績だと思う。それが、「名もなきひとりの武士の数奇な運命、不遇な晩年」であったから、なおさら。会津戦争には…というか、歴史には、無数の“川崎尚之助”がいたのだと思えば胸が震える(出た、また西野カナww)。ただ、そういった側面よりも、「八重の王子様」としての姿に萌えた視聴者も多かったようである。人柄やら八重との関係やら、いまだ不明な部分が創作されるのは当然なのだけども、あまりにも、「都合のいい男」になってしまった感があった。確かに、会津編は徐々に破滅に向かっていくものなので、八重と彼とのロマンスが箸休めというか、癒しになっていた面がある。それが好評だったのが、かえって最後には、役のイメージにも、ドラマ全体にも、負の影響を及ぼしたような気が、私個人は、している。再会は、あとになって考えればそれ自体が蛇足だった。「あなたの夫になれたことが私の人生の誇り」。優秀な技術者であり知識人・人格者だったという造型をしておきながら、最期にこんな卑屈なセリフを吐かせたセンスを疑う。これを、「最期にそれしか残らなかった」という苛酷な運命の象徴ではなく、「愛に生きた男の(そしてそんなふうに愛された八重の)幸せ」の象徴として受け止める視聴者が多いのは、もう目に見えていたんだから。こんなこと書くと、「人生の最期に愛した人の未来の幸せを祈ることの何が悪いのか」と言われそうだけど、私はそうは思えませんでしたね。どうも、彼が、女子供の…少女漫画脳のペットにされてしまった感があって、イヤなのだ。ドラマの尚之助がステキだったからこそ、過程でも、最期にも、彼の尊厳を守ってほしかった。「会津戦記」についても、歴史への冒涜だともちろん思ってますが、あの創作をしたことで、結局、このドラマの尚之助自体をけがしてしまったという思いがあります。

「女だ、ここに女がいるぞ!」あのシーンが、最高に彼の尊厳を守るものだったと思うのですが。颯爽と登場し、涼やかな風貌、冴えた頭脳とともに熱いハートも持ち、好いた女と共に会津の地に足をつけて生きようと決めて、やがて、妻と共に会津そのものを愛し、それに殉じようとする…。「女だ、ここに女がいるぞ!」と叫んだあと、背中をすぼめ、妻から目をそらして悄然と去っていく姿…あれは近年の大河でも指折りの、愛ゆえのさだめを感じるシーンだった。再会での、たった一度の「八重」呼びなんかより、ずっと。

ほかに今思い出して胸があたたかくなるシーンは、プロポーズやら、祝言のあとのエロい口紅引きやら、「あなたはあなたであればよい!」・・・ではなくて、祝言の席で酒ものめないのに「衆寡敵せず!」と敢然と叫んで舅に与するところとか、覚馬の祝言で「居候ですから」と涼しげに遠慮するところ、象山の死に涙するところなどですかねー。プロポーズで的に命中した時の「よしっ!」ていう無駄な気合っぷりなんかは、当時まだまだ「視聴者サービスが豊富〜」とニマニマしてられたんだがな。


新島襄

尺の問題としても、会津編/京都編(明治編)のクオリティ問題としても、ひっじょうに不利だった。そこをなんとか、ここまで、愛すべきジョー、胸に迫るジョーに仕立てたのは、ひとえにオダギリジョーという役者の力だと心から思う。

同志社」という夢を追う姿が描かれはしたが、それがドラマの中で説得力のあるものだったかといえば、簡単に頷けない。京都での耶蘇への嫌悪や、政治的・経済的苦労、教師や生徒との軋轢の描写が、同志社草創期を描く際に必要だったとしても、「ではなぜ同志社が、新島襄が生徒たちに、時代に選ばれたのか」まで行きつかなかったのは、視聴者としては歯がゆかった。これは尚之助についてもいえるが、彼らの「背景」の書き込みが少なかったと思う。だから彼らが、やたら問答無用に、主人公を大きな愛で包み込む(だけの)都合のいい「白馬の王子様」のように見えた。

だから襄で心に残っているのは、(このドラマでの、ということになるんだろうが)彼の人間性を感じるところ。不承不承といったていの八重に案内された女紅場で、ちょっと目を離したすきに讃美歌を教え、またたくまに女生徒たちの心をつかむ姿。坊主に投げ飛ばされても無抵抗、非暴力を貫き、ぶちのめあれた情けない姿を見られても「タハハ・・・」と恥ずかしげに笑う姿。不機嫌にステーキ?を食べて「女今川」を皮肉に用いた八重に諭される姿。そして、死を前にした2週は、すべてが胸にきた。