『八重の桜』への愛を語る (1)

※記憶と自分のブログ記事をもとに思い出して書いてゆきます。録画を見返す時間はなかなかないのが現実である。2以降があるかどうかは、未定・・・

●第1話「ならぬことはならぬ」
いま思い出すと、震えるような、恍惚となるような、初回だったと思います。美しい会津。すごい清浄感だった。遠く並ぶ緑の山なみ、水田、まっすぐに伸びる道と広い平原、ロケのすばらしさは言うに及ばず、御家訓の朗読に追鳥狩、什の掟など、古色蒼然たる風習も深い印象を残す。そして、松平容保として登場した綾野剛の清廉。華奢な体をピンと伸ばし、言葉は少なく表情は乏しく、聡明で品の良い若殿さまが、わずかに頬をゆるめて「もうよい。叱るな。武士らしく名乗って出たのだ」と言う。ちび八重が「お殿様のお役に立ちてえ」と泣くのがすごい説得力だった。「藩士はお殿様のために生き、お殿様は御家訓に忠実に生きる」という前近代的アイデンティティ会津の気風が、21世紀に生きてる視聴者にしっくりと入ってきて、そしてそれが遠からず失われていくことを思うと本当に震えるようでした(西野カナばりに震えてばっかりですみません)。

大河の初回は、のちのち物語が進んだあとも、いつでも思い出して「原点」となり、物語が進めば進むほど、深い感慨を与える使命がある。と勝手に思ってます。実際、毎年、力(と予算)をつぎ込んで作られていますが、出来はまあ玉石混交で、だいたい、その後のクオリティとも比例するような気もしてます。去年の「清盛」の第1話はすばらしかったです。江は明らかにヤバかった(笑)。龍馬伝は凡庸でした。天地人も謎初回でしたね。紅葉のような家臣って比喩がわからん。まあそれをいえば今年の桜も最後はよくわからんかったわけですが。って、あら?同じPだわ。とまれ、「八重の桜」の初回はここ5年の間では最高レベル。というか、この初回が放送されただけでも今年の大河は価値があったような気がします。

●容保、守護職拝命を藩士たちに告げる
第6話「会津の決意」。ここでの、容保−頼母を中心とした主従のやりとりは、台詞といい、演技といい、昨今の大河で見たこともないような凄まじい緊迫感・重厚感でした。興奮のあまり一部始終をブログに書き起こしましたが、今読み返しても震えますね(また)。まあ元ネタはほとんどすべて「京都守護職始末」からなわけですが、このレベルでの映像化は本当に功績が大きいと思います。西田敏行がすばらしいのは当然として、一歩も引かない綾野剛の集中力たるや。このとんでもなくきつい役をとんでもなく高いレベルでやってくれるんだな、と戦慄しつつ狂喜してました。のちのちまで、本作の…いや、大河ドラマ史の名場面のひとつに数えたいと思います。

●こんな慶喜、見たことがない
小泉孝太郎徳川慶喜。初登場ではたしかモロ肌脱いでたんでしたっけね、そのヒョロっぽさが超心配だったんですが超杞憂で、回を追うごとに水を得た魚に。結果的に、ケーキさんが「二心殿」っぷりを遺憾なく発揮し、容保が胃に穴をあけていたころが、一番乗ってましたよね、脚本家の筆も。名場面はいろいろあって、

  • 容保の肩に優しく手を置いて、「会津殿は帝の信任がことのほか厚い。ともに命を張って都を守ろう」とかなんとか、甘言を重ねた舌の根も乾かぬうちに、「守護職は都で戦をするつもりか? 会津の戦には付き合えぬ」とかケンモホロロに言い放つや、サッサとトンズラ(第10話)
  • 将軍・家茂の上洛を仰ぎ、長州の処遇を巡って二条城で会議。立派な口跡で意見を述べる容保とは裏腹に、旗色を見極めようとほうぼうに油断ない目線を走らせ、空気になりきって一言の発言もなし(第14話)
  • アバンで得意の「辞める辞める詐欺」。家茂薨去後、宗家相続し、諸侯の前で「たとえ千騎が一騎になっても云々・・・!」の一大アジテーションを展開。ここで覚馬はシラーと白け切った顔をし、他の藩士たちも「どうもあいつだけは信用ならねー」と意見が一致する中、容保だけが「帝から節刀を賜ったんだから必勝のお覚悟だろう」と安定の忠義バカを発揮。はたしてさっそく朝令暮改、長州征伐はとりやめに(第15話)。慶喜を嫌悪する会津藩士たちの様子では、「今度こそは尻を蹴り上げてでも…!」ってセリフも好きでした。田中土佐だったかな。そーだそーだ、蹴り上げろ!
  • ついに二心殿の確保に成功し、会津本陣に連行。さすがの容保も腹に据えかねて下座から鋭い舌鋒で真意を問うと、こともあろうに、「自民党 幕府をぶっ壊す!」発言! 軍政も職制も腐ってるとか、一から鍛え直すとか、諸藩もまとめるとか、なんかいろいろ言ってたのも、つまりは構造改革ですよね。「それができるの俺しかいないだろ」って極めつけまで含めて、どこの純一郎wwwwww 脚本家は絶対わざとやってるのに、史実から全然逸脱してないっていう恐ろしい事態。

など、枚挙にいとまがないのですが、一番ゾクゾクしたのは、以下。

  • 大政奉還の建白書を「受ける」と容保・定敬兄弟に告げ、徳川家に伝わる大鎧に背を向け、カステラバクバク、ワインぐびぐび→縁側でげえげえ全部吐く。「のるかそるか、ここが勝負どころよ」と武家の頂点に立つ将軍とも思えない博徒まがいの言葉を吐く。TL、「ケーキがケーキ食べて吐いた\(^o^)/」と祭りに。


これは大河史、いや、時代劇史に残る「大政奉還」の場面だったと思います。いや、この孝太郎慶喜それ自体が、もう当分は上書きされそうにない、私の中での最高の慶喜に。もともと孝太郎さんの「カエルの王女さま」で演じた石田ゆり子の年下夫のような凡々とした役が好きだったんですが、いや〜、慶喜の空虚さのほうが、実は真骨頂なんじゃないの?と思えるような凄味がありましたね。慶喜、再来年も出てこないわけにはいかないでしょうが、どうする気だろう。てか、孝太郎さんは、次に大河でどんな役をするんだろう。そういえば、「カーネーション」での岡山生まれの歌舞伎役者・春太郎も良かったんだよね〜。いい役者になったんだな。

はっきりいって、一年間のバランスを考えると、慶喜の描写には踏み込みすぎたってことになるんでしょうが、面白くてしょうがなかったです。慶喜さんを真正面から描くと、それだけで幕末史の奇奇怪怪の一端が見られますね。