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『八重の桜』 第42話「襄と行く会津」

もや〜。もや〜。今回を、「尚之助との再会&会津戦記」「八重、土下座」に続く、私的三大もやっとエピソードに認定します(次点:僅差で、妻のはったり)。さあ、残り10回足らずで、あと何回更新されるかな?(白目)

なんでしょう、どこから突っ込んでいいやらなんですが、なんか突っ込むのも空しくなってくるんですが。

あのね、回想シーン多用の回があるってのは、大河ドラマではお約束なんです。まあ10月にもなるといい加減、作り手も疲れているし、スケジュールも押してるし、視聴者は昔のこと忘れてるかリタイアしてるかだから、回想に頼るのは怠慢かもしれないけど責められないと思ってるんです。少なくとも、やえさくだけがこんな回やってるんじゃありません。つーか単純に懐かしいし。その懐かしさこそが長丁場のドラマを見続ける醍醐味でもあるし。あんつぁまの月代、独身時代の尚さま、おぐりん寅次郎…だらー(よだれ)。しかーし! 回想の周辺が寒い! 何この温度差!!!

1.♪過去〜〜〜それは〜〜〜軽く〜〜〜(ベルばらの旋律で)
正直、回想で泣きましたよ。角場で、ありし日のおとっつぁま、月代のあんつぁまと八重の鉄砲訓練開始、そして尚さま等がフラッシュバックのようにパッパッと短く連続して流れたとこ。三郎の「いってまいりやす!」も、何度見ても泣ける。演技っていうよりは中の人の役者としてのフレッシュさがにじみ出てるんだけど、すごい出色だよね、あの純粋さは。とにかく会津での日々にはなんかもう理屈じゃなくて反射的に涙腺が緩みますね。直後、尚さんとの「あっ、手が・・・・」から求婚のあたりを必要以上にしっかりやってくれたんで、「あ、そ、念入りなのね…」ってほぼ一瞬で冷静に戻りましたがww

しかし主人公が泣きながら回顧する姿を見ても「あ、そ、覚えてたんだ、いちお…」って感想が出てきちゃうって(泣)。あんつぁまは「行けない」と言ったけど、八重にしたって、ちょっとぐらい逡巡しても良さそうなもの。今さらどのツラ下げて、って部分はないのかね。故郷を思えば矢も楯もたまらず、という気持ちも、そりゃあるでしょう。けど、その割に最近はたいして思い出してるふうもなかったし、しかも、あんな高そうな洋装で乗り込むってなんなの?

や、会津入りするときだけ、わざとボロい恰好していくのも逆に嫌味だけども、あまりにもこれ見よがしですありがとうございました。「みんな変わってしまった…」ってセリフに、全力で「オマエモナー!」って突っ込んだよね。うらにはあちこちにツギがあてた着物を着せながら、この明らかなる経済格差にまったく触れない脚本演出がほんとに解せない。もしかして鈍感な主人公を無言のうちに弾劾しているのかしら。それとも視聴者をナメてるのかしら。

これはさ、「わかるやつだけわかればいい(by 花巻さん@あまちゃんネタをいつまでも使ってます)」って問題じゃないと思うのよね。ドラマの根幹にかかわると思うのよね。復興支援がテーマって言ってるんだから。だったら絶対「過去の傷からどうやって立ち上がるか」って話になるんだからさ。もはや人の家になって久しい場所で、べらべらべらべら饒舌に過去を、しかも前夫のことまで語って、なんつー、工夫もデリカシーもない脚本演出だ(`Д´)  自分の家、自分の思い出さえ蘇って大事にできればそれでいいのかね。教会作っておしまいか。や、襄が会津に学校を建てるのはいいんです、襄にできることはそれがベスト。だが、八重、おまいはそれで納得するな。別にうじうじ過去をひきずれって言ってるんじゃないよ。ここまでの描写が薄すぎて、なんか、さっぱり、心情の変化に共感できないの。

2.♪雑すぎて雑すぎて雑すぎて! つーらーいよ〜〜ぉぉぉ〜〜〜(金爆「女々しくて」の旋律で)
雑い再会、再び。ええ、「雑い」なんて間違ってますよ、でもそれぐらい雑い日本語で上等ですよ。

かつての、切腹前の修理と容保の対面。自死する直前の雪に言われた「誰それの妻と堂々と名乗りや」。あの辺りは確かに、ドラマ上の脚色が登場人物(ひいては彼らに感情移入してきた視聴者)への救いになってたんです。創作だけど良かったな、とすごく思えました。しかし尚との再会に続いて…(- -;;;)。再会させること自体、「だそくー」って感じなんですけど、それでもやるなら、詰めて、ディテールを! お願いだから!!

せっかく会津に来たら、そら探すと思うんです。うらのこと。見つかっちゃうのも、まあ、いいとしましょう。でもさ、探して見つかって別れて「余計なことしちまっただべか…」ってそれおかしいでしょ。探そうって段階で、「見つかったらどうするか」って方針を、関係者一同で決めとかなきゃ、おかしいでしょ。大人なんだから。再婚でもして安定しているなら今後も幸せであるよう祈る。そうでなく、暮らし向きが苦しそうだったら、みねが引き取る。うらが強硬に拒むのなら、あるいは伊勢さんが嫌がるなら(そんな薄情な宣教師イヤだけどねw)、せめて仕送りをする。ぐらいのこと、話し合っとくでしょ普通。

「また一緒に暮らすべ、昔みたいに」って、みねの思いつきだったよね、どう見ても。みんなで「うらを呼び戻そう」って決めてたんだったら、うらが拒んでも、大の大人が雁首揃えてボーーーーーッとウドの大木みたいに突っ立ってないで、何らか事情を聞いたり説得したりするはず。八重もいるし、ご丁寧にみねの夫の伊勢まで一緒なんだから。だいたい、うらの「今まで大切に育ててくれた人を悲しませちゃなんねえよ」って、それ主に時栄を指してるんだろうけど、みねは成人して嫁ぎ、山本家を出て今治で暮らしてるんだから、みねがうらと一緒に暮らそうが会津に落ち着こうが、時栄にとっちゃ、蚊に刺されたほどのこともなかろーもん。

そういうの全部すっとばして「うらが自分で決めたことだからしょうがない」ってエクスキューズで納得いく人、手ェ挙げてください。しーん。

結局ここでも経済格差の扱い方の問題が出てくるんですよね。別に金持ちだから悪いってわけじゃないんです。八重だって戦争によって父を亡くし弟を亡くし夫や兄嫁と離れた。その後、運命の導き(と、あんつぁまの働き)で思いがけずお金持ちになっただけなんです。でも、「昔に比べたらずいぶん贅沢な暮らしをしている」「かつての仲間たちには今も苦しい生活をしている人がいる」「会津は京都どころじゃない貧しさ」ってことを、どう考えてるんでしょうね? なんも考えてないっぽいですよね? そういう、浮世の不平等に心を痛めて、キリスト教を通じて心の平安を…とか、精神的な平等を…とか、そういうふうにも見えないんですよね、クッキー焼いたりお茶入れたりぐらいのもんなんだもん、彼女の日常。

予告でうらがずいぶん粗末な服装をしてたんで、再会によって、やっとそこらへんの至らなさに気づいて…って展開をちょっと夢見たあたくしが愚かでした。あんつぁまもさ、西欧諸国の学問に通じているのなら、「ノブレス・オブリージュ」ぐらい知らんのかね。あわす顔がなくても代替手段ぐらい、ちったぁ考えろや。てか、覚馬はうらに「だけ」あわす顔がないから行かなかったんですかね。そこらへんの描写も話を卑小化してると思いました。覚馬の会津に対する負い目の感覚は決してそれだけじゃなかったと思う。でもそれは覚馬の責任じゃない。だからこそ覚馬の苦しみに視聴者は思いを寄せることができるはずなのに。

あ、ハセキョーは最後まですごく良かったです。超文句書きましたがハセキョーの「よがっだーーー」で泣きました、てへ。この人、産後の「BOSS 2」でも相変わらず安定した大根ぶりを見せつけていたのに(失礼)、いったい何があった。河荑直美監督もびっくらこいてるんじゃないでしょーか。あてくしにとって、田丸麻紀@「カーネーション」に続く、突然の名女優化でした。次作に注目ですね。

3.「板垣死すとも自由は死せず!(キリッ」 →「ミルクセーキ ウマー」他
ここんとこ毎週続けてる、アバンで中央の歴史をやるって流れはいいなと思います。今、こういう時代ですよ…ってのを見せて、八重たち周辺に入るっていう。俯瞰から、ぐっとカメラを寄せていく、って感じでね。まあ、今回はまたまた少なかったけどね、歴史。とりあえず、「板垣死すとも自由は死せず!」の名台詞を残して死んだ人…ってイメージを修正できた人もいるだろうから、そこは良かった。このあと板垣さんたら、35年以上生きてます(満82歳没)。例のセリフも、別の人が叫んだとか、後日の新聞取材で言ったとか、いろいろ説があるようですけど、ドラマ的にはあれでいいんじゃないでしょうか。

ブスッと刺されたあとに、「えええええい!!!」て暴漢に立ち向かう姿が良かったですね、さすが戊辰戦争の軍司令官って感じで。ああいう気骨が板垣の真骨頂ではないかと。めっちゃ土佐弁やったのもいいですね、八重たちがすっかり時代も地域も不明なファンタジーの世界に生きているようなので、板垣の喋りで、「そうかまだ幕末と地続きなんだよね」と妙に実感しちゃいましたよ。

その後、襄が板垣の枕頭を訪ねたのは史実のようですが、ここはちょっと首を傾げるようなところがありました。いきなり訪ねてきた襄があっさり板垣に会えたようなのは、襄がそれなりに高名だったりコネクションが豊富だったりするからなのか、板垣が鷹揚だったりヒマだったりだったのか、たぶん両方だと思うんですけど、もうちょっと解説がほしいんですよね、ここまでに。前々回、外務卿寺島宗則が「ちょっと人脈があるからと思っていい気になりおって」と襄をdisるシーンがありましたが、全然そういうふうに見えないんですよね、同志社の中で何度も解任されそうになってるみたいなのばっかりやってるせいで。

官立大学は国家の都合のいい人材育成になるから、私学が必要なんだ」という襄の説明は簡にして要を射ており良かったと思いますが、応える板垣の「会津では武士が勇敢に戦ったのに領民は傍観していたのみ」という事実を「ぞっとした」という述懐には、いささか不自然さを感じました。というのは、確かに会津京都守護職にかかる財政難が深刻で重税など苛政が続いており、領民は藩をうらみに思っていて戦争に協力しなかった(どころか新政府軍を手助けした向きも見られる)といわれていますが、基本的に、その当時、農民等が戦に加わらないのは珍しいことじゃないんじゃないでしょうか。だからこそ「奇兵隊」なんかが画期的だったといわれているわけで。藩士の側だって領民を守る余裕なんてこれっぽっちもなかったはずで。

おそらく脚本は板垣に「これからは国民皆兵だ」という近代の概念を語らせたかったのでしょうが、ちょっと言い回し・・・というか、論理の持っていき方が強引だったように思います。

あと、安中でくつろぐ同志社関係者な。おまいらホント平和な。襄先生と猪一郎のフードファイトとか、そういうスイーツな史実ネタはきっちり拾ってくださるんですねありがとうございます(棒)。

猪一郎の「新聞王に、俺はなる!!」宣言はいいんですけど、それをみんなで「さすが猪一郎さん、ドリームが大きい!!」ってニコニコ見守ってるのも、今はそうなんでしょうけど、本作ではおそらく彼の長い人生のほんの途中までしかカバーできないと思うのに、手放しで褒めてていいのかなーって、ちょっと、もにょる。しかし今日の中村蒼くんは、あまちゃんでなく、ちょっと野心を秘めてる男の顔に見えた。それにしても、「キリスト教じゃなくて新島教です!」と“あの”徳富蘇峰に言わせる(実話)襄先生ってやっぱすごかったんだなー。もっと来ーい、そのすごさ!

捨松の帰国シーンは最高でした。水原希子の「Off course not!」からの「あれぇ?」って顔がいい。あの浮きまくり方は同じ洋装でも八重とは全然違って、ナイスキャスティングだよね。ゆうべもいまだに前髪クネ男がTwitterのトレンド入りしてたってホントですかwww 予告。だーかーらー、過去を引きずれとは言わんけど、たいして対峙もせんうちに、のんきに腕相撲とかーーーーorz  無邪気にネタとして消費できるほど自分が寛容になれるかどうか、甚だ自信がないんですけどーーー