長月の五 /「あまちゃん」で震災が起きた 4

●9月某日: 2学期最初の幼稚園プレクラス。約2か月ぶりだけどサクはよく覚えているようで、1学期と同じく、荷物をおいたら自分でバケツやスコップを取りに行って、水も汲んで、さっそく泥遊びを開始。私は撤収。迎えに行くと、部屋でおやつをいただいたあとのお茶を飲んでいるところ。ちっちゃい子たちがわちゃわちゃしてるのがかわいいし、その中から見つける我が子はもちろんすごくすごーくかわいい。お皿やコップが片付けられたあと、先生がみんなを「こっちにおいで〜」と部屋の一角に誘って手遊び歌を始めると、瞠目。ほとんどの子がそちらに行って、座って、一緒にやってる。ぜんぜん叱らないし強要しないのに、なぜ。なぜ、そんなに君たちはいい子で言うことを聞くようになってるのだ。

vs嵐」に綾野剛。映画ガッチャマンの宣伝で、最近、大概いろんなバラエティに出てるけど、消費されているのを目撃するのは何となく気が進まなくてほとんど見てない。でも、嵐と一緒にキャッキャウフフするってんなら話は別でしょ! と録画して追っかけ再生。想像以上におもしろかった…。すてきだった…。堪能した…。短い半そでから出てる二の腕が…ギャー。無理してはしゃいでるふうでも、合わせてるふうでもなく、それなりのテンションで楽しんでる感じで、良かった。昔ニノと飲んだときの待ち合わせのエピソード、「もうすぐ着く」と連絡があったから、某駅の前でどの車か、どの車かとあやのんが目を更にして探していたら、「おつかれ〜」って改札くぐったニノが笑顔で登場したらしい。嵐とは同年代なんだよね。ガッチャマンセンターのとーりくんよりも「綾野さん、綾野さん」と、やたらコメントを求められてたのは、年の功での対応力を見込まれていたからだろうか。とーりくんはとても若いもんね。でも、ああいうのってあらかた台本があるんじゃないのか? 

今日の「あまちゃん」。はてなハイクより転載。
・震災以来沈んで迷ってた鈴鹿さんが、かつての自分の言葉を思い出して凛とした姿勢を取り戻したの、良かったな。「向いてなくても続けるのも才能」。これまで懸命に生きてきた自分に励まされたんだよね。そして月面(?)という未知の、けれど希望あふれるフィクションの世界に雄々しく踏み出して、そこから手を振った。
・「2,3日かも、2,3年かも」てセリフも、今こうして聞くと、いきあたりばったり感よりも、ホントに人生なにがあるかわかんないしな…て思う。だから、先のことを決め過ぎずに、とにかく今いちばんいいと思ったことをやるんだ。それがすごく肯定的に感じられて。
・北三陸へ帰るアキ、東京に残る春子、どちらがいいとか悪いとかじゃないってのも、いいよね。ここで母と娘がお互いに認め合って、けんか別れでも、見送ったり見送られたりでもなく、ただ、お互いの道をゆくんだね。メール、電話、帰郷、上京、その気になればいつでも繋がれる。
・そして、ミズタクはついに、一度も、アキをアイドルという商品扱いしなかったな。三十路を越えてる社会人としてはかなり仕事の能力が疑わしいのはイナメナイけど、彼のあまちゃんぶりが、アキをいつでもアキらしくいさせた。あんなふうにマネージメントされた幸せだよね〜〜〜あの手法で大成するアイドル求む。