読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

小説を書いてました

moonshine

そういえば、小説を書いていたんですよね。しこしこしこしこしこしこと。毎日書いてる時期もあったし、1-2か月ブランクが空く時もあったり(盆暮れ正月とか、あと、世界陸上の開催中とかww)なんだけど、なんだかんだと2年近く書き続けて、ひと月半ほど前に、「じゃ、これで完成ってことで」(←海女カフェの再建作業をとりあえず打ち切るヒロシふうに from「あまちゃん」)と、エンドマークを打ちましたの。

子どものころに、児童文学とか少女小説とかを読んで、「なんとなく、こういうシーンが書きたいな〜〜」って感じでパラパラと数枚書くことはあったんだけど、ひとつの話を、最初から最後まで全部書くって初めてのことで、しかも分類するなら、いちお、長編で、終わらせた瞬間は、なんか、小さな感動がありました。これは誇張じゃなくて、別に大きな感動ではなかった。書いてる時間が楽しくて、書いていくにつれ、「これは、行きつくとこまで行きついたら終わるな」とわかってたので。

すげーこっぱずかしい・・・てかイタいことを告白してるのは承知の上です(笑)。そもそも何で三十路も過ぎて小説か、というと、まあ、手すさびですよね。あと、現実逃避。

産後、私、ごく軽いものだとは思うんですが、ちょっとしたうつ的症状がありまして。というのはマタニティブルー(ベビーブルー)ってわけじゃなく、いえ、そのホルモンバランスの変化とかも影響してたとは思うんですが、まずもって、家族親類関係に、すごく深刻な心配事があったのがきっかけでね。そのころは震災もありましたし…。授乳していたので、お酒を飲んでパーッといく、ってことも出来ない時期でしたしね(笑)。いちお、日常生活はこなせてたんですけど、ちょっと眠れなかったり、気を抜くと不安に取りつかれたり、あと、それまでだいたい何でも読めたのに、読む本をすごく選んでしまう(読みたくない / 怖くて読めない本が多い)、みたいなこともありましてね。昼間、0歳や1歳だった子どもが寝ている時間とかも、ちょっと精神的に危ないなーってことがあったりしたのですが(あくまでごく軽い症状ですよ)、読むのはダメでも、ものを書いてるとけっこう落ち着くな、というのがわかって、そんなこんなでやたらとブログも書いてたわけですが、それとは別に、もうほんまもんの現実逃避をしようってことで書き始めました。

藤沢周平が、「最初の奥さんを若くして癌で亡くしたあとに、鬱屈する気持ちをぶつけるように、仕事のかたわら、小説を書き始めた、」と自伝で書いていたのを昔から覚えていたのもありましてね。ええ、天下の藤沢周平を引き合いに出すなよ、て話なんですけど(笑)、書くこと…しかもフィクションを書くって、やっぱりすごい現実逃避になるんだな、とわかりました。もちろんもともと書くことが(書いている内容の拙劣さはおいといて)苦にならない性格だからなんだけど。

それに、三十路を過ぎて初めての専業主婦経験で、子どもはくそかわゆいし、会社に行かなくていいストレスフリーはもちろんあるんだけど、「なにか打ち込むものがあってもいいかな…」て思う部分もあったんですよね。10年近く会社に勤めているときも思っていたんだけど、人は、「明日につながる仕事」があるほうが、楽しく…というか一生懸命に生きられる面があるんじゃないかな、と。短時間で片づく単純な案件はラクだけど、長いスパンでやっていく仕事のほうが、もちろんストレスもあるんだけどやりがいもあるよな、と思うんです。

私は企業で会計・税務関係の仕事をしていて、決算作業って3か月は続くし、決算の道すじって毎年毎年の積み重ねで決まっていく部分も大きく、半沢直樹よろしく、ある日突然国税の調査に入られて「5年間の資料見せて」とか言われることもあったんで(さすがにオカマさんに当たったことはないけどあの人ら誰も彼も超優秀で怖い)、●年後の自分や部員が苦労しないためにもって感じで必死に仕事してました。いろんな問題をしばらく同時並行で持ち越しつつ日々を過ごしているときは、「明日も明後日も来週も、この問題、当分解決しねぇぞ・・・」みたいなイヤさはあったんだけど、その分、ひとつの仕事に没入する楽しさというか、やりがいみたいなのを感じていた気がします。

まあ、そんなこんなな「長い目の趣味」が、料理とか家事を極めるとかハンドメイドとかスポーツとかに行かず(まあランニングはしてるけど)、大河ブログとかイタい小説とかに向くあたりが、あたくしなのですが、オホホ。しかも現実にはそれほど打ち込み続けたわけでもなく(笑)、前述のとおり、2年近くかけてもたもたと書いていたのですが。

子育ては少なくとも十何年かはかかるので、本来は長期的事業なんでしょうが、日々は割と単調ですよね。専業主婦ならなおさら、家事/育児/雑事は半永久的な、単なるルーティンワークに思えたりします(介護は「いつまで続くのか」と考えると、育児よりもっと目まいがするだろうなと想像します)。主婦向けの雑誌や情報番組なんかに、やれ「片付け(断捨離)」とか「アレンジレシピ」みたいなのが登場するのって、実用もあるけど、ルーティンの退屈さを紛らわす、ていう無意識の需要もあるんだと思うのよね。

朝ドラや大河のようなスパンの長いテレビドラマを見るのも、たかがドラマでも、日々コツコツと向き合って、しかも明日に繋いでいく題材が自分の中にある、ていう喜び(と時に苦悩ww)があることを好む層だと思う。そういうコツコツを仕事や趣味にもっている(からドラマなんて見ない)人もいれば、そういうのがめんどくさいって種類の人もいると思うんだけど、私はコツコツと明日につなげるものがあるほうが日々を楽しめるタイプだなと、仕事をしてるときから、なんとなく思っていたんです。それもあって、ふと「ずっと続くものを書いてみようかな」って思いついたんだと思います。

あ、この小説のことは、夫にも、親や友だちにも、誰にも言ってません、今はじめて告白してます(笑)。

ネット上にアップするとか、あるいは新人賞に応募するとかいう気持ちは毛頭ございません。そこまで図々しくはありません。本人の贔屓目で見ても駄作であると判断できてます(泣)。ええ、それはもう、書いている最中からイヤというほど感じるわけですよ。「なんてまずい文章」「情景が描写できない」「小道具モチーフの類の用法がへたくそすぎる」「どこかで見たような盛り上がり方だな」etc…。ほんと、自分で書いててヘタさに苦笑して、盛り下がって筆が止まってしまう、てことも多々でした。

それなりに小説とか文章とか読んで、うまい下手とか、ここがすごいとか、もちろん主観だけどある程度のものさしは持ってるつもりでいるけど、読んで咀嚼するのと、自分で書くのとは、あらためて、全然違うんですね。本やドラマの感想を書いたり、こういう身辺雑記を書くのとも全然違う。それがわかっただけでも収穫だったと思う。ほんと、世の中のプロの作家さん、物書きさんは、すごい。そら編集者がついているにしても、えらい。人には「読書好きですね」なんて言われることもあるけど、いざ書いてみると、全然書けなくて、古典文学とか、総合小説(外国の文豪のとか)の素養が少ないと、こういうときに如実に出るんだなーと痛感したりしました。いえ、別に、プロになるわけでもないんで、別に必要ないんですけど、文学の素養(笑)。

とはいえ、一応の完成をみるまで続けられたのは、やはりすごく楽しかったからでもあります。よしもとばななが、彼女の初期の作品群をしめくくる『アムリタ』のあとがきの第一声(てのは変だよね、第一文)で「稚拙な小説ですが、嫌いになれません」と書いていたのがすごく記憶に残っているのですが、その気持ちが痛いほどわかるなあ、と書いているあいだじゅう、ずっと思っていました。ええ、もちろん、書いているもののレベルは人気作家とは比べ物にならんのですがね。

だいたいこんな設定で・・・こういう人たち(3−4人)が出てきて・・・クライマックスではあーゆーことが起きて・・・ぐらいの、超見切り発車で書き始めたのですが、だんだん、ヘタはヘタなりに起承転結じゃないけど小説の形を成しているものを、という野望が出てきて、随時、立ち止まってウンウンうなりながら整合性をとったり設定を詰めたり伏線めいたものを匂わせてみたりしながら書いてました。そーゆーことしてる自分が、限りなくアホで、非生産的なのに、とてもいい時間でした。

書き終わってから、もういっぺん最初から推敲して、加筆修正したらもうちょっと良いものになるかなーとか思ってたんですけど、さすがに、駄作に対してそこまでするのもバカバカしいかな、というまともな(笑)思考もあって、今んとこ、そのまんまになってます。これから、また別のを書いてみようか、でも才能の枯渇も感じているので(てか最初からないってwwww)、もう無理かなーとか。何にせよ、今のところ、すぐに社会復帰する予定とかもないので、なにかまた、日々コツコツと続けられるものをもちたいなと。何か的を絞って勉強してみるか、とか。資格の勉強とかって感じじゃなくて、きっと非生産的な勉強だと思いますが(笑)。

ちなみに18万6千字だから、原稿用紙にして465枚分ぐらい書いたんですかね。あ、そういえばタイトルを決めてないや…。

「処女作に作家のすべてが出る」とか言いますが、多分それもホントだなーと思った。だから作家じゃないってwww や、でも、ほんと、昔から「なんか惹かれる・・・」て設定とか、「この問題のことをずーっと考えている」みたいな題材とかのことを書いたな、って気がするのでwww ともかく、面白い体験でした。以上、恥ずかしい告白でした(笑)。