『八重の桜』 第38話「西南戦争」

前回までの放送を踏まえると、こんな感じになるだろうな・・・っていう、予想以上でも以下でもない西南戦争でごぜぇやした。従軍したみなさん、おつかれ。ついでに木戸さんと大久保さんもおつかれ。維新の三傑が一気に退場するとこは、予想以上の豪華さ(?)でごぜぇやした。

戦争に至る道筋とか登場人物の気持ちとかが(戦争に参加する官軍/賊軍がわ及び、傍観者である八重たちも含めて)掘り下げられていないので、残念なことに、感慨をもって見られないんですよね、あんまり。

一応、西郷の「おいが、みな抱いてゆく」、木戸の「膿を出し尽くす」の言葉をもって、幕末(古き世)の残滓を漱ぐものであったとの説明がありました。それに対して八重−覚馬ラインは身も心も新時代の人として「戦はよくない」スタンス。うむ。サラッと見れば、それで納得できるのかもしんない。しかし、ここまでずーーーーっと見てきたモンとしちゃ、物足りねぇこと甚だしいんだよぉぉぉ!

と叫びたくもなるってもんです。明治十年まで残っていた「膿」「幕末の残滓」とは何なのか? 登場人物それぞれと「膿」との関係、スタンスは? というのを、開城以降の8話で、こんこんと描き出してほしかったなぁ。新時代=「武器でなく教育の時代」をリードする至誠の人・襄先生を絡めても、書けそうな気がするけど(などと、視聴者はつねに勝手な願望を口にするものですw)。

少し丁寧に振り返ってみると、ドラマでは「不平士族」という語は何度も出てきたわけですよね。しかしその不平の源が奈辺にありや、というのを、はっきりと描いてくれなかったのが悔やまれる。新政府の藩閥争いがチョロっと描かれて、盟友であった西郷−大久保の決裂がチョロッと描かれて、それで下野した西郷につく士族たちが大勢いて、新政府と敵対しているので自然、賊軍に…って感じでしたよね。まあ、今作の西郷さんは非常にカリスマがあったので、そら大久保より西郷につくかもなー、と感じさせるのにじゅうぶんではありましたが。

ここで、藩閥争いや政策論(西郷−大久保の違い)を詳しくやるのは、確かに「八重の桜」の内容として適切ではないのかな、という気はするんですね。やっぱり、それやると「翔ぶが如く」か、大河ドラマ木戸孝允」(←切望!)になっちゃうよね、と。

となると、やはり、「不平士族=明治の世になって食いつめた人々」という点をぐいっと推してよかったんじゃないかと思うんですよね。高度な政治力学とかはおいといても、戊辰戦争を経て成立した新政府の財政基盤はめちゃくちゃだし、「維新=四民平等=武士失業=困窮」だった、って図がハッキリと、また繰り返し示されれば、地下にたまったマグマが噴火するように戦争へとなだれこむのに説得力があった気がする。

実際、西郷が大久保との議論で「おまえは国内の安定と言いながら、実は西洋列強しか見ていないじゃないか」と糾弾するシーンがあったし、そこを推してたんだろうとは思うんです。列強を見ている大久保と、不平士族たちに心を寄せる西郷、という図ですね。

また、不平士族つまり時代の犠牲者に心を寄せる西郷=善、列強を見ている大久保=悪、という二項対立を避けることも、そんなに難しくないと思うんです。だってそもそも列強に侵略されてはヤバいって危機感が維新のエネルギーになったんだし、不平士族が結構たくさんいようと、相対的にはお百姓さんのほうがずーっと多いわけで、列強から国を守るってことは、つまり多数を守ることになるわけなので。

ただ、士族は…しかも薩摩藩士たちは、刀をもって(命をかけて)戦って新しい世をきりひらいた人たちなので、「今はまだ、国自体が赤ちゃんだから、当面、我慢してね」って理を尽くしてお願いしたところでダメなんですよね。「俺たちをコケにするなら、また刀でやったるわい!」となる。そのエネルギーの強さを、西郷はよく理解していて、これをいつまでも抱えたままでは、結局、近代国家としての日本の安定はままならないと悟った。だから、放出させる・・・滅びさせることが必要で、敢えてその親玉におさまった。それが、ドラマで西郷が言った「おいが、みな抱いてゆく」ですよね。

もうひとつは、山川や佐川といった、「今度は官軍に身をおいて再び薩摩と決することになった人々」もいて、たかが十年やそこら経ったところで恨み骨髄を忘れることができるはずもなく、彼らにとっては雪辱を果たす機会であるわけです。結果、佐川のように死する者もいるわけですが、とにかく戦うことで、これまで抑圧されていた恨みつらみというエネルギーが解放され、昇華される部分がある。これまた、近代国家としては進歩(前体制のしがらみからの脱却)につながります。

つまり西南戦争は、会津戦争と同じく、「新しい時代のための捨て石」になったのだ、と。歴史の残酷な要請であったと。そして、官軍を指揮して会津を滅ぼした西郷は、もとより私心があって会津を逆賊に仕立て上げたわけではないし、その残酷さをもっとも理解し重く受け止めていたからこそ、今度は歴史の残酷な要請に応じて、みずからが矢面に立つことを受け容れたのだと。それが、山川浩の「今この国は会津の人柱の上に成り立っている」という告発に対しての、「そいを忘れたこつはなか」ですよね。

・・・と、順を追って考えると、けっこう納得できるもんですね(笑)。今、自分で書きながら、軽く感動してしまったぞよ(笑笑笑)。吉川さんの西郷は、多くを語らずして、そういう(私心なく、時代に殉じた)雰囲気を醸し出してましたしね。

けど、やっぱりドラマを見てると説明不足に感じるんですよね〜。西郷−大久保の葛藤は、そもそも、相当前の放送回でやったシーンだし、「士族=食いつめている」というイメージが、視聴者に植えつけられることがありませんでしたよね。斗南藩での過酷な暮らしや、東京の山川さんちが貧乏で質屋通いをしてて、とかはありましたけど、なんせ彼らは会津人(敗者)だから。戊辰の折の官軍側でも大部分は食いつめていた、という視点が、わずかなりともドラマで触れた廃藩置県や廃刀令と結びつけて語られることもありませんでした。

山川ら、会津の生き残り組についても、虐げられ、恨み骨髄で生きている描写はあまり見られませんでした。かろうじて「会津もんは出世できねぇ」とかいうシーンはありましたけど、時尾ちゃんと藤田さんの結婚式なんか、どう見ても「いろいろあったけど生き残った人が幸せになってよかったね…みんなの分まで幸せになってね…」てな印象でしたもん。

なので戦争って言われても、何がどうしてそうなるのか、山川ったら闇雲に5mだかの掛け軸を書き出しちゃって・・・とか、佐川はいくら薩摩と戦えるとはいえ、薩摩人たる大山の下で働くことに忸怩たる思いはないのか…とか、妙に目が泳いじゃうんですよね。

で、明治の世の貧乏描写とか、あるいは恨みつらみ描写が控えめだったのは、つまり主人公サイドの八重さんたちが、貧乏じゃないからなのかなーとか、考えちゃうんです。貧乏じゃないどころか、かなりセレブですよね。着てる着物からして。車いすだってとても高価なものだろうし。メロンみたいなの食べてたりするし。これで、薩摩にしろ東京(官軍)にしろ皆貧乏、て繰り返し言われると、八重さんたちが、よっぽど「新しい世」に対して身を粉にして働きでもしていない限り、「いいよね金持ちは」ってなりますもんねぇ。つか、今でも割とそーゆー感じあるしww

もっとも貧乏で悲惨な描かれ方をしたのは尚之助であって、(私はその創作に否定的ですが)名もなき武士のはしくれであった彼が遺した記録「会津戦記」やら、覚馬が言った「病死じゃなくて戦死だ」ってセリフに、“彼に限らず”という冠詞が付いたもの、もっと普遍的なものとして描かれ、視聴者に受け止められれば良かったのかなあ。そして、「そういう(無数の)無念の死を心に刻んで、教育と言う新しい力で新しい世を切り拓こうと格闘する八重&覚馬、という描き方であれば。・・・というか、そのための、尚さんとの再会&死の描写であるべきだった気がするのだが、ラブストーリーに終始したイメージでな…。

ほんと、明治以降の八重に感情移入しづらいのが一番の問題だよね〜。八重っていうか京都。確かに中央政府とも西南の不平士族とも距離があるけど、なんか地上から浮いてるっていうか、時代感覚といい人間くささといい、乏しいんだよなあ。西南戦争を受けて、再び銃を手に取って戦えとはもちろん言わんが、憎しみや悲しみが蘇るとか、渦中の人々の苦しみに思いを馳せるとか、戦火をくぐった者なら強く強く感情が揺さぶられるであろうに、それが感じられないことに違和感が拭えない。

そういう点では、新聞を見て「さすが山川さま」と一種、溜飲を下げている佐久さんのほうが腑に落ちる。八重の「戦はいけない」「いつまで戦は続くんだ」とは大局的な視点を手に入れた(=成長した)証左なのかもしれないけど、成長に至る道筋が詳しく描かれたわけでもないし…。

「女子にも教育を」とあらためて期すといっても、夫に口先でチョロッと(毒)お願いするだけ。夫も夫で「私もそう思ってました」まではまだしも、続けて「男子より女子の方が力を発揮するはず」云々の発言については、そういった考え方の背景が描かれていない(アメリカだって当時、男女同権だったわけじゃないはず)ので、薄っぺらく、「主人公にやたら都合いいこと言ってくれる旦那だな」と思っちゃうわけで。

覚馬も覚馬で活躍しなさすぎー! 京都編こそ覚馬・オン・ザ・ステージで、ハンデキャップをものともせずに、あらゆる人と繋がり、慕われ、また、畏れられ、感化しまくりーの、権力をふるいーの、恨みをかいーので、少なくとも本作の中では、幕末の西郷ばりの巨人になってもいーんですよ!!!フゴー!と思ってたのに、影うすー。おれは不満だーーー! 会津戦争のときも「戦争を止めなきゃ!西郷!戦争はだめだー!」と駆け出し、今回も「このままじゃ奥羽列藩同盟の二の舞だー!」と木戸を訪ね・・・って、一部史実にしてもこの書き方だと成長してねーしアホちんにしか見えん。泣くぞ、おれが。

まあ、来週はまた、薩摩との恩讐みたいなエピソードもやるみたいですけどね。どうも、いちいち、ブツ切れなんだよなあ。連綿としたものがない。毎週かぶりつくんじゃなくて、むしろ、ふと気が向いて久々に見た…みたいな人の方が楽しめそうなのよね。ひとつひとつの場面はそれなりに盛り上がってたり、萌え的だったり、熱演だったりするから。

と、ここまで書いといてなんですけど、でも、こういうのって今年に限ったことじゃないんですよね。大河ドラマが連綿と「大河する」のはだいたい前半(大河は7月半ばが山場)までで、後半になると散発的なエピソードに終始したり、歴史的なことにしろ人物描写にしろ目配りがおろそかになってくるのは、割とよくある話なんです。

人気作の「篤姫」だって、半沢…じゃなかった上様逝去(7月終わり)のあと、和宮といざこざやってるあたりなんか超小粒でしたし、「龍馬伝」なんて超盛り上がるはずの薩長同盟のあたり(8月・9月)はメタメタでした。去年の「清盛」は、後半おそれずダークサイド一直線を貫いたのは立派だったといえるでしょうが、人物造形は、清盛も頼朝も浅かったし、後白河との決裂や鹿ケ谷などもてんで物足りないものでした(そのかわり、森田くんの時忠とか、窪田くんの重盛とかが、超活躍してました・・・ポワン)。

脚本にしても収録にしても予算にしても、後半になるにしたがって、余裕がなくなっていったり疲弊があったりという話は過去作からもいろいろ伝わってきますし、役者のスケジュール調整が難しくなってくるのかもしれない。あと、勝手な想像ですが、視聴率対策でもあるのかもしれない。

一年間のドラマって見るだけでもなかなか難儀で、普通に人気作であっても、たいてい、後半になると数字が落ちてきます。つまり「見ていた層が見なくなる」。すると、作り手や放送局側には「見なくなった層を、あるいは最初から見てなかった層を掘り起こしたい」という動機が出てくる。そのためには、途中からいきなり見ても置いてけぼり感がないように、一話完結で、ライトに見せるのが得策だと判断してるのかもしれない。ずっと見てる視聴者は、私も含めて、多少テンションが落ちようと、「ここまできたら最後まで見らいでか」って心境になりがちですから、放っといてもいいわけで。

まあ、「例年がどーだろうと知ったこっちゃない、つまらんものはつまらん」とか、逆に「京都編のほうが見やすいし面白い」って意見もありましょうが、その年ごとの作品を「単品」としてそれぞれの作風を吟味し楽しむのと同時に、「大河ドラマ」という枠自体に熱視線(笑)を送っているわたくしとしては、昨今の「八重の桜」が抜きんでて駄作化しているとはいえない、ということも、表明しておきたいと思います。いちお。

今年は、前半がかなり骨太感を醸しだしてたんで、私も含め、視聴者の求めるものが厳しくなっている面もあるしね。これが一昨年ぐらいだったらさ・・・もう8月9月ぐらいなんて、「何をか言わんや」の心境で、むしろ「全力でツッコむために見る!!」て感じになってまたしね・・・ww

ということで、哀悼、西郷さん。世間一般的にはどういう評価なのかよくわかりませんが、大好きでした、モニカ西郷。いや〜「天地人」の信長ではどー見てもトンデモっていうか飛び道具扱いだったのに、西郷隆盛役でクレジット大トメに鎮座して違和感ないだなんて、放送前には、誰が想像したでしょうか。つーか前々回、なんで西郷さん出てたのに大山が大トメだったんだよ! 急いで花もたせんでも、GTOには今後まだ見せ場があろーが!

大河の近作でを眺めても、もっともカリスマ的な西郷像だったと思います。大きくて、同時に、いい意味でとらえどころがなく、孤高の雰囲気があった。必要ひとつには吉川さんのどっしり感がすごかったんだと思います。先々週?の感想でも書いたけど、なまじ、標準語で演技をするより、かなりクセのある薩摩弁をミュージシャンの勘でこなしたのが良かった気もします。

そして脚本としても、かなりブレのない人物像になっていました。豊かな情をもちながら表面的には茫洋としていて、まるで天から使命を帯びたかのように、確信をもって私心なく非情な采配をふるうことのできる革命家。どのように描きたいのか、魅せたいのか、こと西郷に関しては、ハッキリとした意志が感じられました。

そう、むしろ、八重や覚馬の方が、主演サイドなのに割をくっているような…。大河の主役の動かし方って難しいんですかね。圧倒的支持を得る主役って、あんまりいませんよね。清盛も評価低かったし、江はさんざんだったし、龍馬は持ち上げられすぎててしらけたし…。兼続もかわいそうなもんでした。篤はヒロイン補正すごかった。やっぱり、勘助まで遡らないと、終始一貫して魅力的だった主役っていないような。脇の方が、出番が少なくスタンスが限られているので、書きやすいのかもしらんですな。

んで、確かに時期的に近いんですが、木戸と大久保までが今回さっくり退場とはー( ゚д゚) たいして突っ込んだ描かれ方じゃなかったのに寂しいですね。存在感あったんだな。おつかれさまでした。

ミッチーの木戸さん似合ってたよね〜。ミッチーったら、前田慶次郎に始まって(「利家とまつ」)、間部詮房(映画「大奥」)、大久保利通(「龍馬伝」)、そして木戸さんと、歴史上の人物をいろいろ演じてきてるわけですが、ミッチーなのに、なんか全部ハマるのな。「信長のシェフ」は時代劇といっていいのかわからんが、私は未見だけど、やっぱり結構イケてるって認識された気がするし。険のある独特の目つきが、妖しさや軽薄さ、華やかさ、必死さ、そして頑なさまで、驚くほどいろいろ表わせるんだなって改めて認識しました。次は何だろう〜?

徳重さんの大久保は、役柄と限られた出番の関係もあろうが、やや一本調子に感じられてたけど、今回、西郷を思っての哀哭にはちょっとぐっときました。なんといっても、姿かたちと声が時代劇・・・しかも歴史劇に合うので、ぜひこっちの畑の人になってほしいですよね。

そうそう、西南戦争描写についてもう少し書き留めておこう。浩ェ・・・「あまちゃん」のヒロシと、哀れさといい、愛おしさといい、伍して譲らず終わりそうですね〜。出征前に勇んで大書するシーンはあれど、実戦での活躍ぶりは、日光口の戦いや佐賀の乱と同様にスルー。おお・・・浩は軍人としてこそもっとも優れた(そして振り切れた)人材であったろうに・・・。あげく、西郷と対面して「何で会津をあそこまで追い詰めた?!」云々の詰問は、どー見ても西郷さんageっていうか、「おいが、みな抱いてゆく」を引き出すためのものですありがとうございました(棒)。

あの対面は、「ないわー、ないない」な類のものだけど、まあ作劇上の必要性とか説得力があればいいんじゃないかなと思ってます。今回はまあ西郷さんをageたってことで、ギリギリセーフかな、私の感覚では。西郷さんが、犬を探すために残ってた、ってのが良かったですね。そのわけわかんなさが西郷って感じがします。

西南戦争の当事者たちのセリフ。大山巌「命を捨てて敵軍に斬りこむ者はおるか?!」 浩の和歌「提げはく太刀は 利きか鈍きか」 浩、西郷に向かって「抜け!」 西郷、浩に「斬り合いは、戦場でしもんそ」 官兵衛「やっと戦場で斬り死ぬことができる」(←明らかに銃弾が致命傷でしょうに)。などなど、みなが「斬り合いとしての戦い」について言及しているのが印象的でした。戊辰のころだってそうだったんだから、すでに、銃火器が勝敗を決する時代になって久しいと思うのだが・・・。官も賊も関係なく、西南戦争を戦ったのは「幕末の残滓」たる人々だったのだ、という表現なのかなと思いました。

容保より授かった太刀での応戦して、その刀がポッキリと折れるのが象徴的で、この戦をもって本当に近代となるのだな、と(註: これは私の見間違いで、ぽっきり折れたのは相手の刀でした! コメント欄でご指摘いただきました。謹んで訂正いたします)。ちなみに、官兵衛と対峙した剣士が異常に渋くて強そうでびびったんだけど、あれ、大河の殺陣指導をやってウン十年という林先生だっちゅー噂は本当ですか?

モニカ西郷はドラマ的にはあっちゅー間に負けちまったけど、皆に慕われつつ最後の攻撃を指揮する様子、ひとひらの悔いも苦しみもない、波ひとつ立たない、澄み切った水面のような表情で迎える最期は、今作の西郷にふさわしいものだったでしょう。朝日にパーッと、その顔を照らしてね。東(=天皇のいる方角)に向かって遥拝した、という表現ですよね。明治天皇は出てこないままですが、モニカ西郷が若き天皇をビシバシ指導して慕われる場面とか、見たかったな〜。まあドラマ的には完全に枝葉ですが。

八重たち京都組が、戦況を新聞で読んでいる、というのは、あの時代らしい描写でしたね。その前段として、前回、徳富猪一郎が「新聞記者になりたい」と言ったのもうまかったのですね。ジャーナリズムというものの萌芽がみられる時代。しかし、最後の、女学校のお嬢さんたちの反抗は、西南戦争のあとにくっつけると、「どーでもいーったらありゃしない orz」感がハンパなかったですww