『残照』杉本苑子 / 短編の慶喜公 / 歴史小説はどこへ?

はぁ〜。すごいな。100円で買ったんだけど。ブックオフで。たぶんもう、新刊書店では流通してないだろうな…(と、amazonに行ってみる。やっぱり中古品しか売ってない)。1987年作品。

趣向が凝らされた短編集だ。最初の一編は戦国の遺風がいまだ残る江戸最初期の物語。そこから一編ごとに少しずつ年月が進んでいって、最後の一編は、戊辰戦争の一幕となっている。平易な文章は潔く硬質で、構成は緻密に練られ、題材は、ほれぼれするほどバラエティに富んでいる・・・だけではない。たとえば阿国歌舞伎の草莽期。たとえば死刑執行人といわれる職を代々襲う山田浅右衛門の狂おしい数年。たとえばインドから将軍吉宗に献上された象の江戸までの長旅(なんと象の一人称である!)。たとえば蛮社の獄で囚われる高野長英、たとえば探検家近藤重蔵の奇矯ぶり…。すべて、歴史の一幕を、作者が自分のファインダーを通して撮るようにして、表現したものである。それぞれ史料をあたって読み込むのは当然ながら、それをどのように扱うか、手腕が問われるところだが、見事。ため息が出るほど見事である。

こういうの読むといつも思うんだけど、一編仕上げるだけでも相当な労力がいると思うのに、すらすら書いちゃうのかなあ。もちろん、もともとの歴史への素養のレベルが違うんだろうけども。

そして、こういうのって、当時はどれくらい売れたのかなあ。出版されてるってことは、あるていど売れると見込まれていたはずなんだけど、25年経った現在、絶版になって100円コーナーで埃をかぶっているところから見ても、どうも現代では需要が少なそうな書物である。昨今は空前の時代小説ブームとかいうけど、人気があるのは佐伯泰英や高田郁などなど、いわゆる「時代小説」という印象が強い。義理や人情、愛憎や哀歓といった普遍的な営みを、「江戸時代」という制約の中で描くことで、より抒情的に、より切なく演出する、いってみれば大人が読むファンタジーに近いんじゃないかなと思ったりする。読者大賞方面では冲方や百田等も人気で、それらは歴史史料をあたって書いているものと思われるが、未読ながら、ロマン小説寄りなんじゃないのかなという気がする。

要するに、質が良くて人気もある歴史小説、しかも短編集って、今や、ほとんど出版されていないように思うのだ。かつては、この杉本苑子や、永井路子黒岩重吾などなど、パッと思いつくだけでもたくさんの人気作家が歴史小説を書いていたはず。今、彼らの系譜を受け継いでいるのは浅田次郎とか、宮城谷昌光とか、安部龍太郎とかになるのかな。林真理子も「慶喜と美賀子」を新聞連載していたが・・・。なんか、全部、大作なんだよな。一大エンターテイメント。もちろんそれが悪いんじゃない。最近のはあまり読んでいないけれど、おそらくむちゃくちゃ面白いはずだ。逆にいえば、むちゃくちゃ面白い大作しかないんだよな。こんなふうに、一編一編、時代背景も、登場人物の身分や職業も、主題も異なる短編集なんて、労多くして益少なしなのかな〜って気がする。この短編集の面白さを一言で表わすなら「歴史の咀嚼力の高さ」じゃないかと思うんだけど、それを求める読み手が、3,40年前に比べるとずっと減ってしまったんじゃないかな。減った減ったって、書店通いなどでの感覚だけで書いてて何のエビデンスもないんですけど。

さて、私が何でこの本に触手を伸ばしたかというと、表題作「残照」の主人公が慶喜だから。ええ、「八重の桜」でケーキさんが盛り上がってる4月か5月くらいに買って読んだんです。将軍就任前夜の慶喜の心理を天狗党の乱と絡めて描く小編。大政奉還を予感しながらも将軍職を受ける決意をする慶喜の姿はオリジナリティにあふれているが、奇抜に走る感じのしないのが作者の腕だと思う。たぶんそうじゃなかっただろうけど、もしかしたらこういう慶喜もいたかもしれない、と思えるような。ラストの「投げよ、烈公の位牌も…!」の一言に至っては、とても短編とは思えないような感慨を得ることができる。