『夫婦善哉』 第3話

いや〜痺れたわ、大東駿介くんの怒声、叱咤! 大東くんといえば清盛クラスタには家盛くんのビフォーアフター(涼やかな俊才→悪左府に身も心もすべて投げ出して…)が忘れられないわけだが、今回はそれに勝るとも劣らないインパクトだった。それまでの、とり澄ました顔できつい言葉をポンポン吐くいけ好かない演技も小気味よいものだったけど、あの感情爆発の説得力には目を奪われた。すごく上手だー。

妹の婿に来て商家の若旦那におさまった桐介なる人物に、すごく重層的な陰影を与えているのは間違いなく大東くんの芝居で、感動レベル。手代や丁稚らにことごとくキツい言葉を投げかけて他用に出るとき、振り返って維康商店の看板をつくづくと眺めるのが印象的ながら、そのときにはその芝居(演出)の意味がわからなかったのを、大旦那のいまわの際、柳吉に浴びせる怒声でハッと思い出す。この人は、婿の義務感やプライドだけで商売に精を出しているのではなく、とりつくしまもない人非人でもなく、長く病床に伏す舅が決して言葉にしない気持ちをずっと感じてきたのだな、と。だからこそ、柳吉に対する憤りを内心に隠してイライラしつつ、自分にできることはただ舅がこさえた身代を守ることだと思いつめてきたんだな、と。

原作は読んだことがないんだけど、なんとなく、桐介って、ここまで深い書き込みがなされてないんじゃないかとも思える。原作ではただのイヤな奴なんじゃないかと。でも、このドラマのキャラクターはかなり好きだわ、私。大東くん、今後もいろんな作品で活躍してほしい。

いろんな作品で・・・以前に、この作品でもっと活躍してほしいのは、藤本有紀脚本作品の常連、青木崇高で、粗雑だけど一途な小河童をソツなくこなしているけれど、このままじゃ単なる賑やかしで深みや凄味がなく、役者には役不足になってしまうんじゃないかしらと思える。キャラ的には、蝶子が自殺未遂したとき、土壇場に強いとこ見せるのかと思ったら、案外おろおろしてたところに、小河童の小河童たるゆえんを見た思い。

てか、青木さんって民放で見たことないなー。これは本人が仕事を選んでいるのか、それともまだ民放は起用に二の足を踏んでいるのか。1月期に向井・綾野でやるというバディものの特別警察?ドラマ、ガタイのいいほうの役は、青木さんあたりが適役なんじゃないかと思うが。

役不足といえば麻生祐未のおきんさんも同じ。菊代が言いたい放題言ってるとき、ガツンとシメるのかな〜と思いきや、終始見守っているだけ。このまま終わっちゃもったいないよ〜。まあ、カーネーションクラスタとしては、オノマチと麻生さんが仲良く絡んでるだけで胸熱なんだけれども。にしても麻生さん、ちょっと出てくるだけでも、華があるよのう。含みのある流し目もすばらしい。

で、前段が長くなりましたが、私、いまや森山未來の柳吉に夢中です。だめんずに惹かれる習性のまったくない私としたことが、なぜ。未來君は「だめんずなとこあるけどほんとはいいやつ」なんてぬるさじゃなく、徹底しただめさで演じていて蹴飛ばしたいほどなんだけど、それでもなお、洩れてる。それを色気、と称するのは近いんだけどちょっと違うような気もしてて、人間臭さ・・・てのが近いかな。演技としては、まあ、演技してるな〜って感じるときもあるし(もちろんうまいんだけど)、どうしても若いので、中年男の悲哀みたいなものまでは感じられないんだけど、そこここに匂う人間臭さに、年齢を思えばなおさら、ドキッとしてしまいます。「おばはん」て呼び方の人生投げやり感もすごい。

場面を挙げていくと、

  • 蓄音機を見たときのリアクション
  • 文子と川沿いを歩きながらの会話、特に「それだけか?」の聞き方。
  • カフェーの厨房での右往左往
  • 相合傘しながら法善寺横丁を歩くシーンの蝶子との会話
  • 3話ラスト、蝶子が電気をつけて布団を剥がされたときの眩しそうな表情

あたりが、すごく、すごーく好きです。なんか書いてて恥ずかしい・・・イヤン。

柳吉はだめんずだけど、ひとでなしじゃないんだよね。薄情だったり、人の心に想像力がなかったりする人間じゃない。蝶子を母の死に目に合わせなかったけど、お母ちゃんが最初に倒れたときは、「早く行ってやれ」って言ったもんな。むしろ人並み以上に強い情をもっていて、その発露の仕方が子どもなんだよな。とにかく救いようのない甘えん坊、あまちゃん

オノマチは今回、カフェーの女給相手に啖呵切ってるときよりも、冒頭、オール巨人の易者に対して来し方をぺらっぺらまくしたててるときのほうが技術を感じて気持ち良かった。あと、毎回恒例の夫婦どつき漫才・・・オノマチが小突き回して未來が逃げて、ってやつで、オノマチの着物の裾がだんだんぐずぐずになっていくのが好き。夫婦喧嘩ってあられもないもんだよね〜、としみじみする。

柳吉はだめ男だし、かといって蝶子の献身が彼をもっとだめにする・・・というか、蝶子のような女が男のなけなしの自尊心をどんどん傷つけていくのもわかるんだけど、それでも、蝶子には柳吉しかいないし、柳吉には蝶子しかいない、というのが3話にしてすごくしっくりくる感じになってきた。蝶子は男に尽くし尽くす(へんな日本語)性質で、柳吉は女がいないと本当にだめな男で、そういう共依存的な部分も含めて夫婦だよなあってのが、不思議と、見ててあんまりイヤじゃない。てか、面白い。