鬼アプリから派生して〜子育てのいま 1

先日、ある方のブログで「鬼アプリ」なるものがあると知った。そのアプリを起動すると、鬼が電話に出て、こわ〜い声音で子どもを怒るらしい。けっこう人気なんだとか。もちろん、「母親に」人気なのだ。幼児に効果てきめんだから。そういえば、私も周囲のママさんが、我が子に「そんなわがまま言うなら、鬼さんに電話するよ」と言っているのを聞いたことがある。あれは、「空想の世界の鬼さん」の話じゃなくて、実際に電話に出てくる「アプリの鬼」のことだったのか。

「それは褒められたもんじゃないよな〜」というのが第一印象。そのうち、思いあたることや派生的なことなどで頭がグルグルしてきたので自分のブログに書いてみることにした。

「鬼アプリ」を「よろしからず」と思う気持ちには、大きくふたつの要因があると思う。ひとつは、叱り方が他力本願だということ。鬼に怒らせることによって、あるいは、鬼が来ると脅すことによって子どもの言い分を却下している。それは、不誠実で、自ら叱るという親としての役割を放棄しているのではないかという側面。

もうひとつは、「スマホアプリ」であるということだ。子育てという極めて有機的で創造的であるべき事業に「アプリ」などというデジタルで無機質なものを持ち込む。なんでもかんでも簡単にアプリ、簡単にweb検索、簡単にマニュアルしかも電子的…的な、嫌悪感・抵抗感。年代が上に行くほど強いものだと思われるが、私も全然使いこなせてないんで、まあ、アプリに関しては、距離感をもって生きています(笑)。

で、これらに対して眉をひそめている人々に対して、「まあまあ、そう決めつけないで。」と言いたい気持ちもあるのだ。私は両方について擁護論を持っている。

ひとつ、他力本願な叱り方は昔からあった。「そんなわがままいうなら、お父さんに言って、夜、叱ってもらいますからね」。「今日はおやつ抜きよ」。「押し入れで反省してなさい」。「ダメなものはダメっ!」的、怒鳴りつけ一点張りの対応だって、コトと場合によっては「よくない叱り方」の一例になるだろう。だいたい、2歳や3歳ぐらいの、自我が芽生えてイヤイヤ期で、しかも言葉(理屈)が通じるか通じないか…ぐらいの時期の子どもを叱らなきゃいけない場面って、毎日まいにち、本っ当にたっっっくさんあるからね。時にテケトーにもなるってもんです。

ひとつ、子育てにスマホタブレット等を活用することについて。私の周りにも、けっこういます。鬼アプリのように、親が子どもに対して使うアプリだけじゃなくて、幼児自体が、スマホタブレットに親しんでるっていう。日常的にスマホタブレットで動画を見てる子。幼児向けアプリも山ほどある(らしい)からね。2歳ぐらいからゲームやってる子もいる。タッチパネルってほんと、直感的なものなので、2,3歳でもけっこう上手に操作できるのだ。

と言うと「いるよのね〜、そういうバカ親が」って思うかもしれないけど、そうとは限らない、というのが、育児という「現場」にいる私の印象。そんな、のべつまくなしに、制限なく、与えている親はそうそういない。生活習慣や食習慣などについてとても普通に・・・ていうかずぼらな私などから見れば「ちゃんとやっててえら〜い」って思えるような親が、多少与えるスマホ/タブレットを、そんなにも非難する必要があるだろうか?

自分には、「ITは人間性を阻害する」 「便利なものが大事なものを失わせる」というような論調を見ると抵抗を感じてしまうところもある。どちらも、語尾に「面もある」ってつけてあれば大して気にならないので、断定がイヤなんだろうな。否定的な断定には、肯定的な断定(この場合であれば「ITは便利でいいものだ」)と同じ思考停止の匂いを感じてしまうのだ。

それよりももっと単純な、世代間ギャップみたいなニュアンスの話だったりもするしね。つまり、往々にしてITの良さをご存じない方々が批判しているという。メソポタミア文明(だっけ?)の時代からあった、「最近の若い者は云々」論ですな。新しい便利さに抵抗を覚えることがあるのも、時代を超えた普遍的なもの。(固定)電話が普及し始めたころには、「会って話すのが基本なのにけしからん」って意見があったとか。洗濯機が三種の神器とうたわれたころ、「機械で洗っても汚れは落ちない(これ、精神的な話ね。家族のために洗濯板でゴシゴシしてこそ妻であり母である、って意味よ)」って前世代の主婦たちは反発したらしいよ。

私の周囲にあるITは、とても便利で、かつ、人間的なものがほとんど。寝ても覚めても電車でもスマホ…何がそんなに楽しいんかいな、なんて私の親世代には言われるけど、おかげで、彼女たちの時代にあって、私たちの暮らしからは駆除できたものもある。スマホよりずっと前からね。たとえば「不要不急の長電話」。うちの母なんかは、よう、してましたわ。親戚だったり近所のおばちゃんだったり、一応用件らしいものはあって、かけたり、かかってきたりするんだけど、おばちゃん同士だから話はどうしてもあっちこっちに飛び火して、ついつい20分、30分。やっと切ったあとで「あら、もうこんな時間。やだわ〜」とプリプリしながら家事雑事の遅れを取り戻すべくバタバタ。まあそれも人間的なコミュニケーションのひとつだったのかもしれませんけどね。子どもとしてはイヤでしたよ、母親の長電話。

今はみんなケータイを持ってますが、周りを見ても、通話機能はほとんど使わないって人が多いよね。それこそ実家の親ぐらいとしかしゃべらない、って感じで。

用件はメールで済む(LINEは使いこなせてませんww)。私、地域の育児サークルに入っているので、役員同士やメンバー間といろいろやりとりをするんだけど、感じ悪いな、って思うことはほとんどない。みんなきちんとした対応、気遣いをしてくれるし、言葉の使い方や文面の端々にその人のキャラが感じられたりもする。みんな小さい子がいるので、すぐに返信できなかったり、ごく短い文しか返せなかったりすることもあるのはお互い様って意識。それで仲がギスギスしたりしない。

「ITリテラシー + 人間関係の機微 が共有されてるな」と思う。付き合いの長くないママ友同士でも、特にすり合わせとかしなくても。親しい友達とはメールやSNSで雑談したりするけど、それに費やす時間は限られてる。だからって、ママ友とも、旧友たちとも、関係が希薄だとは思ってません。だからこそ、会うのがうれしくて楽しくてたくさん喋るし。惰性の長話は往々にして愚痴や噂話にもなりがちですもんね。

「みんなが新しいものに飛びつくこと / 何も考えず流行に乗ること」 の弊害も、昔からあったこと。ジュリアナ東京、タケノコ族、全共闘。むしろ、大手新聞社やテレビが一手に情報を牛耳ってた時代、限られた場所の限られた人としか話すことのできなかった時代よりも、ネットやSNSがマスコミに対抗しうる力をもってきた現在の方が、健全な部分もあるよね? 今、年齢が上の人と話してると、「え、テレビが言ってることを真に受けてらっしゃる?」って愕然とすること、あるある。私はワイドショーや情報番組の類、まず見ません。これ見ないで済むだけで、人生は相当、すっきりした気持ちで生きられると思ってる。こういう人間が少数派でなくなった現代ってすてき。

私がブログやらツイッターやらで楽しく遊んでるのは、みなさんご承知の通り。ええ、長電話はしませんけど、相当時間、ネットを見てるんで、効率のいい世界に生きてるわけでは全然ない(笑)。ま、私の場合、見るのもだけど書いてる時間が長いんだよな・・・。

とまあ、長々しくIT擁護論を綴ってきたんだけど、私自身は、わが息子3歳なりたてに、まだスマホ(やPCの類)を扱わせてない。(つづく)