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愛してアイマイミーマイン

これだけSNSが隆盛している今、ブログは遺物になりつつあるのかもしれないけど、フロー(SNS)じゃなくてストック(ブログ)の良さもやっぱりあって、たびたび、訪問してしまうブログがある。もともとフィギュアスケート関連の記事を読むためにブックマークしたブログなのだけど、自分にとって、今や、それ以上の存在。テーマにかかわらず、この人の文章を読みたいがために訪問してる。毎日更新されるブログじゃないんだけど、数年分の過去ログがあるから、読むものには困らない。同じ記事でも、あるていど月日をあけて読んだら、じゅうぶん面白い。気持ち悪いって? や、私にしたら、もはや好きな作家、ってイメージ。名作って何度も再読しておかしくないでしょ? はてなハイクも、その人がやってるのを見たら面白そうだから、って理由で始めました。

そのブログの魅力はというと、センスの良さもさることながら、なんかすごく自由。知性や教養の垣間見える、理性的な文章が続いたかと思えば、結論でいきなり飛躍したりする。好きなものに対しては(フィギュアスケート以外にも、映画や本など、好きなものをたくさんもっている方である)温度が熱いし、「こうだったらこうなのよ」と言い張るような頑固な印象もあるんだけど、常にどこか風通しの良さを感じる。

それとは別の、このあいだ、ふと見つけたブログ。福岡のインディーズバンドでベースを弾いている女性が書いている。私がライブハウスに出入りしていたのはもう10年近くも前になるけど、そのころから良く名前を聞いていたから老舗バンドといってもいいと思う(彼女が昔からのメンバーなのかどうかはわからない)。ライブやイベント、打ち上げ…その雰囲気がすごく懐かしくて思わず過去ログを遡って読んでしまった。なじみの店や、シリーズ化しているイベントがあったりして、そういうとこに行けば友だちがいたり、顔見知りが増えたりする夜遊び。電話一本で呼び出したり呼び出されたり、気づけば朝方になっていたり。学生時代からでも職場関係でもない友だちって新鮮だったな。そこから今でも付き合いが続いてる友だちとなると数少ないんだけど(とはいえ続いてる子たちとはやたら密)、会ったときにちょっとした話をしたり、ふざけたり、一緒に飲んだりするような軽い付き合いだけでも、けっこう楽しいんだよね。なんたって、夜とお酒と音楽の魔法がかかっているわけだし。

妙に恋しいように思うときもあるけど、そういう時代をしっかり過ごしたんだから、ま、いいかなと思う。子どもが大きくなればまた生活は変わるしな、とか。本当に欲しいものならば、きっと多少の無理をしても取りに行くだろうから、私はきっと、今の生活に概ね満足しているんだと思う。それがいいことか悪いことかはまた別の問題だけどね。

くだんの女性ベーシストさんはたぶん私と同世代かもうちょっと上かも? 独身で、会社員で、出張や休日出勤など、仕事も何だか忙しそう。ある日の記事のテーマは同窓会。変顔を含む弾けてる写真を何枚も貼り、楽しいエピソードをたくさん綴りながらも、最後のほうに「この年になれば、みんな子どもの話になるのは仕方がないよね」とぽつんと書いてあるのが印象的だった。「仕方がないよね」の一言。なんか、人柄に触れた気がした。

そんなこんなな流れの中で、いろいろリンクなど辿っていっているうちに、10年近く前の「軽い友人」のミニブログに行きあたった。頭がよくて面白くて独特のセンスをもっている、顔の広い人だった。ただ、ひどくイライラした様子を見せることがあって、それが苦手で、距離をおくようになった。イライラの対象は多岐にわたる。頭の良い人なので、とても筋の通った怒り方をするんだけど、その根本には何かすごく感覚的なものがある気がしてた。どのイライラも結局は、おおもとにある、大きなひとつの真っ黒な怒り?悲しみ?そういうものに繋がっているような。あれは何だったんだろうな、と、その人がいなくなってから(福岡を離れた)も、たまに、考えることがあった。

見つけてしまったその人のミニブログをちょっと見てたら、そのころの、「みんなといるときは元気で楽しくて魅力的なんだけど、“ここなら”という小さな場所ではまるで違う暗い表情を見せる」感じをまざまざと思いだした。それも、ブログなんてやはり個人的な空間なので、後者の感じにより傾いている。別に好奇心でも、その人の力になりたいとかでもなく、「そういう人、そういう現象」について、純粋に、なんなんだろうな、と思う。

今回、ひとつ感じたのは、他者や物事についてだけじゃなくて、自分に対してもネガティブな態度があるよなってこと。すごく投げやりだったり、沈没してたりすることが、そういえば昔からあったよな。

「自己肯定力」とかいうんですかね、子育てをしていると、「自分を大事にできなければ他人も大事にできない」みたいな教示に出会うことがたびたびある。自分を大事にできないって、どーゆーことなのかよくわかんなかったんだけど(自分じぶんの人なんでww)、そういわれてみると、30数年の人生、「ああ、あの人はそうだったのかも」という人は、ちらほらいる。

私自身、自分の中に巣食っていて時々顔を出す卑屈な気持ちを自覚しているし、「衣食足りて礼節を知る」なんて古いことわざも、考えてみればその周辺の問題なのかもしれない。その反対が「金持ち喧嘩せず」だといったらあまりに極端か? うちの夫なんかも(特別に金持ちではありませんが)、家族である私や自分の両親なども含めて、他人を否定するって気持ちが微塵もないような人だけど、自分自身に対する感覚も実にフラットだもんなあ。思い上がりもなく、卑下もせず、あるがままで泰然としてる。

何かを主張するときは、必然、それ以外の意見を否定する(少なくとも劣後させる)のと同義になる部分がある。そんな場面では往々にして「自分をしっかり持とう、ゆるぎなく」なんて言ったり言われたりするけど、自分をしっかり持つのは、自分のためだけじゃなくて、自分を肯定することで相手のことも肯定するためなのかもしれない。排他的にならないことは結果として自分をも助ける。情けは人のためならず。うーむ。逆説的であり、一挙両得っていうかお得感もある。

つまり今日も自分を大事にしよう、そうしよう\(^O^)/ あと、あらためて、書くものにも人柄が出る。毎日晒してるんだ、自分で自分を。