『八重の桜』 第30話「再起への道」

うぐぐぐぐぐ。戦闘状態が終わったからといっていきなり新時代の幕開け〜♪て感じにならないのはわかっていましたが、ていうか、そんなお気楽なドラマだったら台無しなのでいいんですが(一部、公式サイトなんかに“明治編”として新時代の幕開け〜♪的な宣伝動画が上がっていると小耳に挟んでいますが、そういうの、極力、目に入れないようにしてます私)、にんともかんとも、なんともはや、感想を持ちにくいな〜っていうのが感想です。皆さん、いかがでした?

物足りなかった、って、言っちゃっていいのかしら。・・・・・・いや、えーっと、つまり、様子見ってことでいいですかね。うん。現状、わかんないこと多すぎだもん。それに、戦争は悲惨だけれど(特に女スナイパー・八重さんを映像で見てる分には)非日常を生きる高揚感もあるもので(坂口安吾なんかもよく書いていましたね)、戦後の方が救いようがなかったりするのは、どんな戦争でも同じなのかもしれません。明治「維新」と言いますが、八重さんたち会津人には「長い戦後の始まり」なんですよね…。

アバンにいきなりジョー・新島。美しひ…。英会話も美しひ…。函館(だったっけ)から密航して5年。港を遠ざかる船上、「さようなら、ちっぽけで窮屈な国よ」とかナントカ言って祖国に別れを告げた七五三太(当時)さんでしたが、祖国のその後は気になるんですね。ていうか、捨てたつもりで国を出たのか、いずれ学を成して帰って国に貢献するつもりだったのか、ジョーの渡航のあれこれについては、いまだドラマでは何ひとつ明かされていないんですよね。

ともあれ、「ふるさとは 遠きにありて 思うもの」ですもんね。戦いの恨みを捨てて新しい国を…と祈るジョー@教会。もう洗礼を受けているのかしら? まあ、いなかったので当然だけど、ジョーは新政府、旧幕府どちらへの肩入れもなく、どっちの軛からも免れているフリーな存在であると。それも、政治性も帯びていないし、まったく超越的な存在ってわけですね。過去に奥さんがいた形跡もないし(ココ意外と重要…後述…たはは…)。彼が祈る「bright future」が、八重さんや、会津のみんなに訪れるのか…ってのがとりあえずの眼目になりますね。ってことで現在の八重さんが画面に浮かび上がってきます。

しかし残り20回、やっぱりいろいろ尺が足りないよな〜と。全体的に、説明が足りないというか、勝手に、もうちょっと詳しくやってくれるものと期待していたところがあります。1か月の籠城戦を1か月かけて放送した前回までとの体感の差が激しいのかもしれませんが…。

その中で割とちゃんとした尺があったな、というのは萱野権兵衛の最期で、誰もが「あばよ」を期待したところですが、さすがに大河ドラマ、「さらばだ」が関の山でした(あたりまえ。てかそれも狙って書いただろ脚本ww)。でもご安心を(?)、オールアップした柳沢慎吾は、大蔵&平馬を従えて3人でパトカーコントをやったあげく、「あばよ!」と去って行ったそうですよ。

柳沢慎吾ではあっても幕末の会津人ですから、涙ナミダではあるものの、少しの乱れもなく、死出の途についていくわけですよね。てか慎吾ちゃん、出番は多かったわけじゃないけど、全体、良かったよ〜〜〜(涙)。容保だけでなく照姫からもお手紙が来たのが良かったですね。しかも、歌が一首、てのが高貴な女性からの手紙らしくて。

このシーンで肝要なのはもちろん、萱野が「逆賊の汚名を返上すべし」と言い残すことですよね。「戦で奪われたものは戦で取り返すのが武士の習い」とまでセリフでちゃんと言わせたのは、それが当時の社会通念だったことのアピールでしょう。大蔵と平馬も「確かに」と承ります。

そして確かに同じころだったんでしょうが、唐突に場面が函館に変わり、即座に土方さんが死んでしまいまして、直後に榎本武揚、降伏です。しかも頼母とお茶飲んでます(や、飲んでなかったかな)。この辺の唐突さは、まあ、大河の主筋じゃない部分って毎年こんなもんだよね…て部分ではあります。土方歳三も良かったよね、このドラマ。脇役まで「いいな」って思えるドラマであるのはうれしいことですね。

にしても、なまじ、煤汚れた榎本さんの拵えなんかが異常にカッコいいんで、「こ、これだけ?!」ってズッコケそうになりました。完全に山口馬木也のムダ使いじゃねーか! やはり、キャスティング時の予定からすると、色々と、編集等でカットされている部分が多いんでしょうか。

ここではともかく、頼母に「俺は生きっぞ」と言わせたかったのだろうと。かたき討ちを後進に託し「会津のために死ぬ」萱野と、会津を踏みにじった奴らが作る新しい国を見届けると言う、「会津のために生きる」頼母の対比ですよね*1。で、頼母が「萱野は自分の代わりに死んだ」的なことを、一応、言うわけですが、これで見てる人には伝わったのかな〜? 平馬の「実際に戦を指揮したのは自分なのに」ってあたりのセリフと合わせ技で分かるってことだろうか。

ここは、「長州征伐の仕置きと同じように、家老(上席から)3人の首を差し出せと言われ、既に戦時に死んでいる神保内蔵助田中土佐はカウントに入れてOKってことになって、残るひとり、本来の席次から行けば頼母だったけど、いなくなってるんで、次点の萱野におはこが回ってきた」ってことを、ちゃんと、じゅんじゅんと、説明してほしかったですね私は。

ま、言わなくても、どう見ても頼母の分が悪いっていうか、城を出る際にナレが説明してたとはいえ、それ以上の説明がないため、「会津では降伏降伏言ってたくせに、なんで函館まで行って戦うわけ?」 「萱野にすまないって言ってるけど、口先だけじゃん!」と思っちゃいますよねぇ。好意的に解釈すると、(史料的に)わかっていない部分は、敢えて創作しすぎず想像にまかせているのかな、と。

ていうか、なんにせよ、頼母を美化してはいませんよね。この描き方だと、半ばエゴイストっていうか、どー見ても、従容と死の途につく萱野のほうが涙を誘うわけです。巷では「(頼母は)西田敏行がやるほどの人物か?」ってのが定説になってますが、西田さんは、頼母の、会津の異物であり、愚直で弱い部分も咀嚼して演じてるんじゃないですかね。西田さんほどの人がやっていることもあって、逆説的にドラマに深みを与えている気もします。

一丸となっていた会津、武士道の鏡みたいな会津でも、降伏すべきだっていう人、同僚を死なせても自分は生きるって人もいただろうよ、ということ。そしてそれを多くの人(ドラマの視聴者含めて)が「なんつーエゴイスト」と思っている中で、容保だけがその異常性(と、その底にある、会津を強く強く愛しているという皆と同じ志)を認めていたこと。死を選ぶか、生を選ぶかという違いはあっても、萱野と同じく、頼母もまた「会津を踏みにじられた」怨念を抱えているのであり、今後の人生でその思いはどう変化していくのか、しないのか。

理念や集団のための死には、痛ましさと同時に、ある種の美しさがあるけれど、どうしても生に執着して生き残ってしまった人が苦しみながら生きていく姿に、私たちが寄り添えるのかどうか。斗南に行く大蔵たちや、京都に行く八重たちとはまた別の生き方を選んでいる、“太いものに巻かれない@あまちゃん”頼母の帰趨はとても気になります。納得のいくシナリオを望みます。

さて、米沢の内藤新一郎方に身を寄せている山本家の女たちですが、その経緯も大胆に端折られてましたね。列藩同盟の成ったころ、山本家に住み込んで砲術を習ってた人…のはずですが、説明をもうちょっと…。や、劇中でも風吹さんが「薄い縁」と言ってたけど、実際、その程度の縁で、たいして裕福層でもない(むしろ貧しげな)人が、たとえ住むところだけとはいえ世話してやるのは、当時の(元)武家社会では普通のことだったのか、内藤さんが特別いい人だったのか、それとも「薄い縁なんてとんでもない、山本家に大恩を感じています」てことだったのか、前から気になってたので、もうちょっと説明してほしかった…。ここも、「(史料的に)わかってないから創作しすぎず、詳細はスルー」ってことなんでしょうか。

八重さんは、前週までの戦士の面はすっかり脱ぎ捨てて、食い扶持を稼ぐために反物の行商をしています。いや〜、平時に戻ると、先週までの顔はすごかったんだな〜と改めて感じましたね。降伏式に出向く容保を見送る顔とかさ、ほんとすごかったよね、大殿を睨みつけてたもんね、ほとんど。今週は、イロイロあったので、娘ムスメした感じがなくなって、年相応の感じになってるのも細かいな、と。

それにしても、田村屋のエピソード…しんどいわ…。お千代さんが中村優子って時点で、「カーネーションクラスタとしては「こ、これ絶対、修羅場になるお・・・((((;゜Д゜))). 」って感じでしたけど、「美人で裕福に暮らしてるおかみさん → 実は薩長への恨みに凝り固まっている → 亡夫の遺児に復讐を託している → 現在の旦那が罵倒の上、会津自体を侮辱 → 八重さん激怒して殺意 → 当のお千代さんが旦那を身を挺してかばう」って流れェェェェorz  

旦那さんの豹変および、「抱いても氷のように冷たい云々」のゲスいdisり方も怖ければ、ゲスい旦那にすがって生きるしかないことを身をもって表すお千代さん…という描写も怖ければ、あの息子が、本人は恨みも憎しみもなさそうに、むしろお父さんの顔すら覚えてないんじゃないかっつーぐらいにポーッとしてるのに、母親には従順ないい子っていう造形も怖いし、当初、善人面をかぶった旦那に「野菜の施しを受ける」場面から、この修羅場まで、みねちゃんが同席して小さな胸で屈辱を味わってるっていう設定も怖くて…

なんか、いろいろと説明不足なんじゃないかな、っていう中で、けっこうな尺を割かれたのがこのエピソードっていうのが、ニントモカントモな感じなんですけど、実際、結構グサッと抉られたし、うーむ…。戦争で女子どもが生き残れば、こういうふうに「強者の情けを受けるしかない」こともあるし、人は簡単に恨みつらみを忘れることはできなくて、屈辱的な生活に甘んじるしかなければ、復讐心を糧に生きてしまうものなんでしょう。

「鉄砲を教えない」と言った八重さんは、あとで大蔵にも告げるように「恨みを支えに生きる虚しさ」を直感的にわかっていて、だからこそ、慣れない行商にもいつも笑顔で、施しも甘んじて受けるわけで、十数話にわたって落ち込み続けた去年あたりの登場人物に比べると視聴者的にも非常に応援したくなる姿勢(って私もしつこいな)。けれど今も戦の夢にうなされるし、ふとしたきっかけで戦闘モードになる自分、復讐心がもたげる自分にも自覚的な八重さん。そのあたりに、今後、ジョーさんが踏み込んでくるのでしょうが…。

もうひとつ重要なのは、生き残った会津藩士たちのその後です。斗南藩が大河で描かれることにはすごい意義があると思いますが、これまた「はしょってるな〜」感が満載で…。再興の地は、下北半島一択ではなくて、猪苗代も示されていたけれど、戦争で疲弊した領民は会津武士を憎んでいて、とても統治できそうになく、下北を選ばざるを得なかった…という面は描いてほしかった、というか、このドラマならそれぐらいは当然やると思ってました。あと、謹慎所の暮らしっていうのは現実にどういうものだったのか、とか興味あったんでね…。みんな割と小ざっぱりしてたけど。

前途を嘱望され出世頭だった梶原平馬が、勢いにまかせて…というわけではないにしても、列藩同盟から戦争へと突き進み、敗戦ののち職を退く、という流れには、とりあえず納得のいくものがありました。責任を痛感して、というのもあるんだけど、それならばこれからが厳しいときだから仕事にまい進するべきであって、むしろ、燃え尽きたというか挫折感みたいなものが感じられました。

しかし健次郎を逃がすくだりはもうちょっと詳しく!!! や、逃がすくだりはあれぐらいでいいにしても、よりによって「長州藩士に託す」経緯とか葛藤、もうちょっと〜! 今後やってくれることはあるんでしょうか。  

「家族を殺され、故郷を踏みにじられた恨み」とはいっても、「薩長土肥への恨み」という側面はあまり強調しないのが本作の特徴ではあるんでしょうけどね。「復興を支援する」大河でもあるので、失った後に立ち上がる過程にフォーカスしていて、特定の地域感情が対立しないよう配慮しているのかもしれません。西郷さんもやけにかっこいいしね。本来、当時の会津人の薩長憎しの感情には激烈なものがあって、そこには戦時中の惨い略奪や暴行、戦後も遺体を埋葬することを許されなかったなど、ちょっと聞いただけで「そら許せんわな…」て気持ちになる要因があるんですが、やはり現代の日曜8時に、というか、震災で亡くなった大勢の人のことを思えば、確かにそのあたりを詳らかに描くべきだとは思われない側面もあります・・・・。

で、ネットの皆さん、大参事になった大蔵さんのこと大惨事大惨事言い過ぎwww しっかし大蔵さんの、若いしイケメンだし煌めくような才能もありそうだけど、どことなく残念感の否めないオーラはすげぇなwww 主だった人々が死んでしまったり行方不明だったり引退したりして、彼に「まわってきてしまった」大参事って感じが、多くの説明を要らずして伝わってくる…。命名「斗南」をバシッと掲げる姿はかっこいいんだけど、気勢を挙げても、なんか、いかにもこれから苦労しそうな感じ…。

てか、なんでわざわざ米沢の女所帯に寄るん、ていうww どーみても八重さん目当てですありがとうございましたwww てか、そういう単独行動が許されること自体、ちょっと不思議。大参事の権限なのか。しかし、まめぶ…じゃなかった、こづゆを食べるシーンには胸打たれました。ごはんもなく、お漬けものすらなく、たったお椀ひとつのまめぶ…じゃなかったこづゆ。大蔵まで含めて、全員が、「いただきます」とお椀に向かって頭を下げるんですよね。そして泣きながら食べる。ああいう気持ちを現代人が味わうことはなかなかないけれど(東京でまめぶを食べるアキの気持ちとも、また大きく異なるでしょう)、故郷を失った人々が故郷を食べるという意味。多くを失って苦しい生活でも「なんとか生きてきた」という感慨。それらがなんだか伝わってくる場面でした。

帰り際、「斗南に来ないか」と誘って断られたあとで、ようやっと尚之助の伝言を口にするあたりは大蔵クオリティなのか、さすがの大蔵でも、あの別れの場面に同席していたので、言い出すタイミングをはかりかねていたのか(八重も尚之助のこと聞かないしね)…。

なんにしても、「八重がどうして斗南に行かなかったのか」というミステリーの答えがここで示されたわけですが、みなさん、納得いきました? 「過去の恨みと、前を向いて生きたい」という狭間で葛藤する八重、というのが今回の要で、そこを強調するための斗南行き回避、ってことですよね。斗南に行く=恨みに凝り固まった会津人たちの中で暮らすのが今はつらい、という。けれど尚之助については、大蔵に伝言を聞くまでは不安もあったのだろうけど、聞いて、安心したふうでしたよね。笑顔で「待っています」と。

うーむ。皆さん、納得できました? 私は以前から、斗南に行かなかったのは、つてがなかったから、頼る人がいなかったから、というのが一番しっくりくる気がしてたんです。尚之助が戦争中に離脱していたという従来の説だと、これが簡単に説明できる。ただし近年の研究で尚之助が斗南に行ったことは判明していますから、そうなると、既に尚之助と離婚していたから、というのが…。まあでもそうすると、身内もいない尚之助が何でわざわざ斗南に行ったのか、て話にはなります。ただ、尚之助は故郷を捨ててきた人で今さら帰るところもないし、明治初期の段階で、謹慎していた藩士が他所に行く自由があったのかどうかはわからないので…。

なので、尚之助との別れと同様、ドラマで「斗南に行かない」理由がどう描かれるのかも気になってました。当初のシナリオでは、米沢移住以来、母・風吹さんの体調が優れないという設定があったらしく、そのために「今は(気候も生活も米沢より厳しいだろう)斗南には行けない」という理由なら自然だったんじゃないかと思います。実際の放送ではその設定自体をカットして、八重の心情にフォーカスした答えになったわけですが…。

振り返りながら書いていると、「こういう意味なんだろう」 「ここを強調したかったんだろう」と思えるんだけど、実際に見ているときに、理屈でなく感情ですらすらと飲み込めたかというと、どうもそうはいかなかったな〜という感じが多い回でした。

で、最後のあんつぁま爆弾! NHK大河(朝ドラも)名物の、「OPクレジットでのネタバレ」が炸裂して、「や、山本ですと?! もう、山本時栄なのか?!」ていう心づもりはあったんですけど、説明せずして説明してしまった、あの1シーンが秀逸すぎてぶっ倒れたwww 「目は見えなくても花を愛でることはできるんだな・・・・」って、それ何の暗喩!? 花を愛でて「山本」時栄にしちゃったってわけか、このォ!! 続くシーン、寒空の下、黙々と冷水で染物をするうらさん…(泣)。

次週、「離縁のわけ」。これ、例によって複数のエピソードのまとめ的サブタイトルで、尚−八重、覚馬−うら、あと、どーかしたら平馬−二葉もやるね。3組まとめて離縁だね。鬱だ、鬱すぎる! でも放送まで渾身でネタバレ回避するつもりなんで、知ってる人も私には内緒にしててね!

*1:昔、TBSの『白虎隊』では西田敏行萱野権兵衛を演じたので、その切腹シーンを想起された方も多かったようです