『八重の桜』 第24話「二本松少年隊の悲劇」

日曜の明け方、夢に松ケンが出てきたんですよね。それもとびきりの笑顔で。スゲーかっこよくて。目覚めて、しみじみと思いましたよね。「ああ、久しぶりに『平清盛』が見たいなあ・・・」って。バカの暗いの言われとったけど、今思えば爽やかで心躍るドラマやったよ特に前半。なんたって今年の大河で今夜見るのは二本松少年隊。深層心理の逃避活動の現れだったんでしょうかね、夢の松ケン…。

さ、現実は「八重の桜」です。山本家の角場に出入りしている少年たちも続々と就職が決まっています。戦端が開いてしまった今、奥羽では完全に売り手市場になってしまっているんですね。八重さんに前髪を切られた悌二郎さんは白虎隊へ。貫地谷しほりの弟・盛之輔はお城へ上がって若殿の警固とか。ところが会津の名将と化している(はずのww)山川大蔵の弟・健次郎さんが、いまだに青瓢箪的キャラなもんだから、足腰鍛えなんしょーとか言って八重さんが得意の米俵担ぎスクワットを披露してみんなでハハハと笑ったりするんですが・・・ここで三郎を思い出したお母さんが泣き笑いになる(べそべそ泣き崩れないところがこのドラマ)とことか、すばらしいんですが、それでもなお、すでに悲しかったりします。

てか、この場面での尚之助さまっ! くすんだ萌黄色みたいな袴で、黙って八重と少年たちを見守る顔もより精悍になって、なんといってもそのヒゲ〜〜〜! カイザー髭でもなく、(今のあんつぁま的な)ボーボーひげでもなく、なんというか、あのうっすら感・・・これまでの大河で見たことないタイプじゃありませんこと? それがまあ、尚さまによく似合って!! 

「装備が間に合わないまま戦が始まってしまった」 「(白虎隊は)まだ戦場に出す年ではありません」。言葉少なな中に漂う焦燥感(というか多分すでにこの先起こることを見通している)、それでもできることをやらなければいけないという使命感・・・この人の場合、ちょっとでもラフになると妙な色気を発するもので、またそれを必要以上に受け取ってしまう私がいます。それを見越しての、ドラマ序盤のカッチリした白袴だったんだよな・・・むむぅ・・・まんまと作り手の手中に・・・

新政府軍には反町隆史の大山のところに加藤雅也の板垣が合流。地図を見ながらあれこれ戦略について話してるのを見るのは面白いですね。そんなこんなで二本松が目標になるんですけど・・・(泣) 思い出したように大山「板垣サァがおるのに何で日光口は突破できなかったんだ」 板垣、自嘲していわく「あそこには会津から来た山川大蔵っちゅーのがおって、めっぽう強い」 そこで双眼鏡で戦況を見極めつつ砲撃の指示を出す大蔵、そしてナレーション「日光口は大蔵が敵を完全に抑えていた」

・・・って、ひどいな(笑)。山川大蔵の天才的指揮官ぶりは会津戦争の数少ないカタルシスじゃないのよ〜〜〜! それを見せてkwsk!!!!

と叫びつつちょっとウケてる自分がいる。や、わかってるの。今日の主題は二本松の少年たちや頼母の総督解任だから、ここで大蔵くんが空気を読まずに(違)に活躍してくれると、お話的にちょっと整合がとりづらいというか、そっちに引きずられて、悲劇や矛盾がぼやけますからね。どーせ大蔵くんには、のちに、ここぞという見せ場がありますからね。

とはいえ、5分でいいから、名称板垣と伍する大蔵が見たかったけどなあ・・・。ま、ここでナレーションで済まされるのも大蔵らしくていいんだよ。って大蔵、いつのまにこんなのが“らしい”キャラにwww や、好きよ。かなり好き。名門山川家に生まれ、周囲の期待に違わぬ英才ぶりで将来を嘱望されるも、「八重さんは会津そのものだから・・・」の名(迷)言を残して上洛、藩主のお声がかりでおロシアに渡ると絵に描いたように西欧かぶれして、ついでにイケイケドンドンの性質が前面に。にもかかわらず、いまだに八重に対して心を残しているふうでもあり、しかも間の悪いことこの上なし。とはいえ、いざ戦になったら異様なほどの軍才を発揮・・・してるのにドラマ割愛。って面白すぎる!!! スゲー大真面目に「撃てー!」とか言ってるのになんか笑える。大蔵くんがんばー!

そうそう、大蔵の活躍を微に入り細に入り見せると、頼母の立場がいよいよ危うくなりますからね…。ってことで続くお城の場面ですよ。みなさま、これをどうご覧になりました? 先週も書いた通り、中の人が西田敏行であることからも、頼母の解釈がしにくい昨今だったんですけど、今回見て、やっぱり、このドラマいいなーと思いましたことです。

ええ、目をそむけたくなるような修羅場でした。けれど、すごい、すごい絶妙さかげんでした。

かつて「会津の進むべき道」として上洛を決めたとき、そこは君臣そろって涙する美しい場でした(6話ですね。このブログではここにあたります、名場面で思わず書き起した)。まあすべてはあそこから始まったわけで、あのとき既に容保は「都を死に場所と心得て」と口にしていたのではありますが、実際に戦端が開かれた今、こんなにも紛糾しているわけです。あの人非人慶喜をして羨ましがらせた“君臣一致”が会津の士風であり美徳なのに、その面影はもはやありません。横山主税、神保修理林権助、広沢富次郎、山本覚馬・・・(とりあえず、の人も含めて)失われた人材も少なくありません。

大蔵や官兵衛らが水を得た魚のように(空気を読まずに・違ww)活躍している一方で、城はこのありさまです。むざむざと敗走し、おめおめと殿の御前に帰ってきて、武器がない補給路が奪われたと泣き言を繰り返し、あげくに「だから俺が守護職辞めろって言ったんだ」と今さらジローなことを口にしちゃう頼母。結果的に政治的判断を誤り続け、勝算のない戦に踏み込まざるを得なくなったことは棚に上げて、「おまえに何がわかる」と青島俊作ばりの現場主義をふりかざす神保・萱野・梶原たち。なんという不毛な論議。結局頼母を解任してしまう容保まで含めて、誰にも肩入れできません。けれど、誰の言うこともわかるんです。このさじ加減。

これ見てて思ったのは、頼母を「有能」とか「悲劇の英雄」に描こうって気はさらさらないですね、このドラマ。むしろ、視聴者的にはやっぱりイラッとしちゃう面もありますよね。京都での一部始終を私たちも一緒に見てきたわけですから。でも、だからこそ頼母は西田敏行ぐらいの大物(かつ善良なイメージのある)俳優でないといけなかったんですよね。じゃないと、頼母がここで集中砲火を浴びちゃうもん。この四面楚歌の会津の状況下、「こいつUZEEEEEE!!!!!!」と、ストレスのはけ口、スケープゴートにしちゃうもん、視聴者心理的に。そういう存在を、このドラマは許したくないんですよね。

第1話で若き藩主・容保に「殿が誤りそうになったら命を賭けてお諫めします」と言ったとおり、彼は彼なりに必死なんですよね、常に。軽い気持ちで「何でも反対」の野党をやってるわけじゃない。ただ、いつも直球で諫言しては退けられる。これは頼母のやり方が愚直すぎるのか、容保がそれを受け止める器に欠けていたのか、他の重臣たちに政治的センスのある者がいなかったのか、よりビジョンが明確な者たち、より狡猾な者たち、そして時代の流れに飲み込まれたのか・・・たぶんその全部なんでしょう。全部なんでしょうね。戦争になだれこむとき、それを止められないときって、こういうものなんでしょうね(泣)。

容保が頼母を解任したのは、心理的に、神保たちの「おまえに何がわかる」意見に与したってのもあるかもしれないけど・・・とにかくここへきて、会津の中で内ゲバやってるわけにはいかないんですよね。あるいは、このままいくと頼母が第2の修理として不遇の死を得るかもしれない。てか、そもそも、これだけ恭順恭順いってる人間、しかも京都の戦場を経験していない人間を、白河口なんて最前線に置いたこと自体、主戦派の嫌がらせまじりだったことも考えられます。

最近の容保が、内心の葛藤などを吐露せずひたすら指示を出すことに専心しているのは脚本上の意図なのかなーと思うんですが(今後どこかの段階でドカンと発露させて見る側に衝撃を与えるっていう・・・)、ともかく、どいつもこいつも頑張ってるのにどいつもこいつもどーしよーもねー、という、完全に詰んでる描き方がすごかったです。解任された頼母がまた、逆ギレしたりしないで、家庭という私的な場でも「もしもの時には殿をお守りする」と、固い決意にいささかの揺らぎもないわけです。有能か無能は別として、とにかく愚直だし、とにかく忠義者で、この点、政治的な意見こそ相違しているものの、頼母も紛うことなき生粋の会津武士なんですよね。家にはねぇ、女子供があんなにたくさんいるのねぇ(泣)。

で、都では、久々に登場した春嶽さんが、岩倉−木戸ラインを詰問しています。大藩のお殿様であった春嶽に立ったままモノを言う木戸。慇懃にとはいえ「木戸どの」に敬語を交えて話す春嶽…時代は変わりました(詠嘆)。「万機公論と言いながら国事は自分らだけでコソコソやりやがって」「会津が朝敵というがここにはかつて朝敵だった人もいる」「私怨のまじった意趣返し」と、皮肉げな口調ながら悉く正論をぶつ春嶽。あげくビシッと「あなたがたのつくる新しい国は、踏み出したその一歩から既に歪んでおる!」には、よくぞ言うてくれた〜〜〜〜と視聴者もあるあるの嵐。

東北出身の村上弘明を、京都守護職への引導を渡す春嶽役に・・・とは若干の違和感がぬぐえなかったのですが、なるほど今回このためのキャスティングだったんですな。会津側でも、新政府側でもなく、旧幕府(慶喜)とも既に袂を分かった、ある程度フラットな状態で、「ご一新」という美しい言葉で呼ばれた新しい時代の暗部を指摘。こういう視点が、「八重の桜」の醍醐味ですね。説得力ありました。

この春嶽、名君と言われただけあって、慶喜のような人でなしとは違い(笑)、会津救済の嘆願も出してくれていたようです。ただし、結局はお殿様なので、身を切ってでもという助力はありません・・・。ここまでです・・・。

旧幕府時代からのつながりといえばもうひとつ、新選組なんですけど、白虎隊と土方&斉藤の場面・・・よかったですねぃ・・・ここへきて両名が超いい味を出してますねぃ・・・蛤御門でも活躍した新選組をリスペクトする若者たち。軍功話をせがむも、学級委員的隊士が指示するとキリッと挨拶して退席し、しかし別室でまだまだ子どもっぽくはしゃいでいる。その様子に「若くてもさすが会津」と目を細めるかつての鬼の副隊長。「新選組とは会津に古くからある隊名」と聞いて、容保からの信頼にも感じ入っている。刀の時代は終わったと悟っていても、刀の時代の精神を意気に感じる土方なのです。

白虎隊・・・悌次郎くんなんかを見て「いくらなんでも16−7には見えない。まあホントに若い子をキャストすると、いざ悲劇のときに見るに堪えないからな・・・」と思っていたんですが、ちょっと二本松ホントに若すぎ! や、八重さんがフラグ立て視察旅行したときに出てきたから知ってたけど! あらためて!!!

時間でいえば10分ほどだったかと思いますが、時間以上のインパクトは確実にありました。佩いた刀も自分ひとりでは抜けない(体が小さいから)ような頑是ない子たちがさあ・・・畳ぶすま一枚で前線に立ってさあ・・・先生も超若くてさあ・・・先生の言葉に張り切って返事して銃を構えるんだけど、あっという間に吹っ飛ばされてさあ・・・子どもらを庇って先生は蜂の巣・・・もう一人の先生も子供を庇って戦死・・・子どもだからと気づいた敵は逃がそうとしてくれるんだけど、錯乱した子どもは死んだ仲間の刀を抜いて(自分のは抜けないからね泣 この伏線 泣泣泣)敵にやたらめったらに斬りかかり、結局撃たれちゃうっていう・・・

鶴ヶ城での君臣の議論で「まあ誰の言うこともわかるっちゃわかる」と思わせといて、京都太政官での顕官たちが錦旗の下に看過している事柄を指摘し、結果、犠牲になってるのがあの子たちなんですよ・・・。賊軍だからって悪漢じゃないんですよ。官軍だからって英雄じゃないんですよ。誰か一人の諸悪の根源を誅殺すれば何とかなった、なんて単純な問題じゃない。でも、厳然として、戦争はああいう悲劇を生む。

現場では、敵方は、子どもと見れば衝撃を受けて、手を出そうとはとしないんですよね。将(赤毛の反町大山)だけでなく、自ら斬られた下士官すらも。ここが実話だと知って驚きましたが、この実話をドラマに採用した作り手のセンスというか手腕もすばらしいですね。本来、会津人め、薩摩人めという包括的な恨みつらみはあっても、武器をもって戦ってる者同士に直接の憎悪はないわけで、まして女子どもの姿を見れば本能的に助けたいのが人間というもの。そこを歪めてしまう戦争というものの、特に、火器が発達して、簡単に大量に、見えない遠くの相手を殺戮してしまう近代戦というものがいかに非人道的なものか、思い知らされる構成でした。

番組終わりの「紀行」で、隊で生き残った人が「修学旅行前夜のようにはしゃいでいた」と回顧しているのも衝撃と悲しみに輪をかけました。その描写が作中の白虎隊にも応用されていたんだろうな・・・。

八重に達磨をもらった子が、ブサかわいくて、演技がうまくて、泣かせてねぇ・・・NHKの子役発掘能力まじ半端ない。二本松で負傷した子たちが日新館まで運ばれてくるのはかなり無理があるけど、演出として受容できるものだったと思います。銃を構える八重の目元だけが映り、そこには青い炎のような怒りが宿っている。印象的でした。

で、あんつぁまなんですが(最近いつも後まわし)、言いたいことはわかるんですよね〜。会津側も新政府側も現実にがんじがらめになっている中、現実から切り離され、視力すら失った覚馬だけが、それゆえに新たなビジョンに目覚めた。それはかつて死を目前にした松陰が叫んだのと同じ、「天朝も幕府も藩もいらん、ただ一人の人間として立ち上がる!!!」ということであり、同じく松陰の「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」の言葉のとおり、覚馬の不屈の至誠が、イケズな牢番の心をも動かして、晴れて管見を持ち出すに至ったと。あの牢番があんなにイケズだったのも、この豹変ぶりを際立たせるためだったんですよね。

・・・そう、なし崩しに管見完成です。ごめんなさい、あっちもこっちも大変なんで、どうしてもなし崩しに見えてしまって・・・。処刑を取りやめながら劣悪な牢環境に放置している西郷(セリフにあったとおり医者には見せてやったんだろうが)の胸中もわかんないので、なんか中途半端に感じられるし、とにかく今は会津が大変なんで、どうもあんつっぁまが浮いてるっていうかとっちらかった印象なんですよね。

しろうと考えには、少なくとも現時点では、1か月ぐらいドラマ的にも生死不明のままにしといて、会津戦争が佳境も佳境ってころに、「実はあんつぁまは・・・」とまとめてやったほうが、覚馬パート的にも、「官軍でも賊軍でもないフラットに新しい価値観」という構図的にも、盛り上がったし際立ったように思います。今後の展開で、このような作劇にした意図が見えてくればと思いますが。にしても、あんつぁまと一緒に捕まってるお弟子さんに敢闘賞も殊勲賞もあげたいですよね。達筆だったから技能賞もあげてしまおう。鉄砲玉の師匠をもったあなたが健気で心身頑健なおかげで管見が完成したよ!!

あ、サブタイトルで悲劇と断じてしまうのはどうかとは基本的には私も思うんですけど、今回に限ってはありかなと。これが「大坂城落城の悲劇」とか「平家滅亡の悲劇」とかだったらダセーの一言かもしれないが、二本松少年隊っていっても知名度はほとんど無いに等しいので、敢えて言挙げして注意を引いたんだろう。それで興味をもって一人でも多くの人が見れば有意義なドラマだったと思うし、逆に何が起きるか知らないで見た人には衝撃できつすぎたかもしんない。