『八重の桜』 第22話「弟のかたき」

ちょっとちょっとー、今回クレがカオスでした! これまでピンだった池内博之梶原平馬)・市川実日子(梶原二葉)が連名に。同じく、これまでピンだった北村有起哉(秋月悌二郎)・津嘉山正種神保内蔵助)が連名に。初登場の勝地涼山川健次郎)は谷村美月(小田時栄)と連名。これまでトメグループだった秋吉久美子(山川艶)と生瀬勝久勝海舟)が中グループに移動!

ちゅーことで、今大河、始まって以来の連名の多さ? なのにピンクレに生き残っている柳沢慎吾……は、いいとして、山本圭……もわかるとして、降谷建志! そしてトメGに残っている加藤雅也(乾あらため板垣退助)! おまいら、そんなに大物なのか?! 役柄補正か?!  勝先生なんて、今日、無血開城だったんだぞ?! 

てか、もう、どこからどこまでがトップGで中グループなのか、一見では何が何だかわかんない状態。クレの人口密度高すぎ! みなさま、スッカスカだった『江』を覚えてますでしょーか?! いや〜クレだけを見ても脚本家の力量とか作り手の基本態度とかがわかるってなもんですね(シエはホンのセンセイが1話で多くの人数を描ききれなかったか、あるいは、「人数多かったら視聴者が混乱するからシンプルに」なんてお茶の間をナメた制作スタンスだったか、てか、多分その両方)。

さて本編ですが〜〜〜〜(泣)

あれほど、帰りたいのに帰れなかった遠い国元に、上洛から5年あまりを経て、都を追われ、主君から江戸までも追われて、「帰るしかなくなった」会津藩主・松平容保。むごい。そうそう、今日のOPクレでは(しつこい)、あんだけ人がいっぱいいるのに小泉孝太郎の名前がなかったことに驚愕したのだった! そうか、先週の、「江戸城に戻って老中らを免職、部屋にひとり残る・・・」てのが、とりあえずのラストカットだったんですね。考えてみたら、上野寛永寺あたりで蟄居恭順してる絵なんて別にかわいそうでもないもんね、会津に比べりゃ…! 勝海舟に2、3発殴られて欲しかった気もするぐらいだ。

で、黒たすきで出立する容保なんだけど、大坂からの脱出をあらためて詫びたりするとこがこの人らしいダメっぽさで良かったですね〜 ちょ、大蔵ww ロシア式でもいいから、とりあえず日本語訳してwwww どさくさに紛れて(?)この場にいる尚之助。大河ドラマでは、「史料の裏付けがなければ錯誤の証明はできないので、自由に創作していい」という不文律がありますからね(?)。スゲー短期間で洋式調練やら学んで、行ったかと思ったらすぐ帰国したんだなとか思っちゃうんですが、それもこれも、この人に親族として悲報を持ち帰らせるための江戸行きエピソード捻出だったのですね〜〜〜(泣)

抑えに抑えたトーンと速度で告げる尚之助。それを受けるマッチゲの父・権八。「討死は武士の本懐。未熟者だけどもお役に立ったならば三郎は本望だべ。覚馬は無念であったべ。目を痛めたのが戦ゆえならやむをえねえ」 婿の尚之助に向って深々と頭を下げて、「息子たちの最期、確かめてくれてありがとうごぜえました」としっかり述べる。ここで、鼻からタラ〜てなってたのが斬新でした。涙も鼻水も垂れ流して…ってウェット一辺倒の演技は大河でも割と見られるんだけど、必死に涙をこらえて、だけど鼻水はこらえきえない…っていうね。

そこに何も知らないみねちゃんが元気に帰ってきて、尚之助に向かって無邪気に父の消息を尋ねるんだけど、ここでみねちゃんが尚さまを「あんつぁま」と呼んでたことに、こんなときですがちょっと萌えました。たまらず、そこで初めて嗚咽を洩らし、席をたってしまう、うら。追いかける、風吹ジュンの母に「お母っつぁま〜〜〜」と泣きつく。うう、ハセキョーさんで泣かされる日がくるとは思わなかったぜ…。や、そこに至るまでのマッチゲさんのお膳立てがすごかったからなんだけどね…。

ともかく、山本むつみの脚本か、演出の力なのか、ベタ気味な場面で食傷させず自然に感動させる力は相変わらずすごい。

妻と嫁が席を離れたあと、「かまどの火を見てくる」と言って立ち上がり、フラフラと歩いていく後姿も最高だった。かまどで背を震わせて泣いている。そーいえば三郎が上洛したいのなんの言い出してモメたとき、マッチゲ父さんはかまどの火を持ち出した話で和解したことあったよね…。かまどの火を起こして守る役目を継がせる息子たちはいなくなってしまった。

民放ドラマなんかでは、どんどん駆り出されてややもすればツマンネー役でもこなすマッチゲさんが、この大河でその実力を遺憾なく発揮しているのが毎回うれしいんだけど今回ついに泣いたわ(涙)。このドラマで最初に泣くのは、尚八重の離別のときかと思ってたけど…。最初から最後まで、すごい緊迫感にみちた場面だった。

そう、肝心の八重はというと…いい、いいです! 俄然、戦うヒロインめいてきました! 悲報に接し、断固たる口調で「人違いだ」、「どうしてそんな嘘をつくんだべ」と食ってかかる。自らが縫いつけた死亡フラグ(違)南天の刺繍を見るに至って少なくとも三郎の死には疑問符をつけられなくなると、目いっぱいに涙をたたえて「教えてくなんしょ。三郎のかたきを討つにはなじょしたらよかんべ」と夫に食ってかかる。そのキッとした顔が何ともいい。

しばらく日が経ってからの角場、少年たちに鉄砲を指南しながら、「三郎!」と弟の名を呼んで荒っぽく接してしまう。茫洋とした顔の少年に「おれ、三郎さまではねえです」と指摘されて初めて気づき、思わず銃を手に取ると門の外へ疾走。第一関門の大蔵は難なく突破したが、さすがに尚之助は夫の貫録で砦になってしっかりと抱きとめ、「しっかりしなさい!」。すると膝から崩れ落ちた八重、尚之助に体をぶつけたまま「戦には私が行けばよかった。私の方が、三郎よりずっと強いんだから」となにげに三郎をdisって「三郎ーーーーー!」。

いや〜〜〜〜すごい慟哭でした。八重さん額にくっきりと太い青筋が…! 綾瀬さんといえば、けなげな演技、ひたむきな演技、声を出さずにはらはらと零れ落ちる涙…みたいなのには既に定評がありますが、ここまで感情を剥き出しにした演技でも見る側の胸を打つんだなあ、と。初回、鉄砲をかまえて敵に向かってバキュンバキュン撃つ大河のヒロインってのも新鮮でしたが、戦で肉親を失って(それ自体は大河的にはよくある)のち、いまだショック状態だからとはいえ、先頭きって「かたき討ち」に走ろうとするのも珍しいです。

しかも、時代劇にそぐわない激しい反応なんだけれど、見ていて違和感や不快感を覚えないんですね。むしろ感情移入できる。「鉄砲を撃つ女」という特別な属性を、時間をかけて描いてきたからだと思います。その描写が実に良い塩梅できてるんですよね。“多少”自由な山本家で育っているけれど会津の家風には馴染んでいるし、女だてらに何かと出しゃばることはない。ただ、ガンオタだけあってやっぱり風変わりな子だし、兄弟ともども鉄砲玉みたいな性質が、いざというときに前面に出てくるっていう。うらや、母・佐久が、いかにもこの時代の武家の女らしく、家族の前では「建前」を守って見苦しく泣きわめいたりせずに影で嗚咽したのも、物語自体が妙な現代的感覚に毒されていないことを示していて、安心させます。

さて、八重さん渾身の叫びのシーンでは、たまたまやって来た大蔵さんも気の毒でした。凍りついていた八重さんの心を熱い咆哮と涙で溶けるよう促し、それを受け止めてやれるのは、夫たる尚之助だけ…「これが現実です by夏ばっぱ@月曜あまちゃん」ってとこです。てか、ここでたまたまやってくる、て設定はなんなんだ。しかもこのあと、会津全藩をあげて乾坤一擲の勝負に出るため、懸命の調練をする場面でもなお、「あんな八重さん、初めて見ました・・・」と言いつのる大蔵さんよぉ!

近年でもっとも苛酷なターンに入っている大河にあって、なぜオマエはひとりでスイーツやってんだ?!と(ニラニラしながら)ツッコまざるを得ないところなんですが、これ、絶対、先々でなんかあるよね。単なるネタっていうか視聴者サービスにしては、あまりに度重なりすぎてるもん。ふつうに考えれば、大蔵夫婦に関する伏線なんでしょうが、史実をふまえて今回を見るにつけ、どうしても、将来的に大蔵が尚之助に含むところが出てくるんじゃないかと思えてならない・・・やだぁ・・・

そして、祝言前後はあれだけキャッキャウフフとロマンスしてた尚八重が、結婚後・・・特にここ最近はまるで師弟のようにしか見えないのは作為的なものなんでしょうね。実家に居続けていることもあって、今でも奥さん的雰囲気の薄い八重。これはもちろん、「あとにジョー(とのラブロマンスおよび夫婦生活)が控えているから」って前提の描写なんでしょうね・・・。大蔵からの「八重さんその後どうしてますか」の問いかけに、表情を硬くして答えなかった尚。これは、「非常時に何言ってやがるこの脳内お花畑」とドン引きしただけではなく、もしかしたら、兄弟の死後、八重を思いきり泣かせることはできたけれど、心にくすぶった復讐心をどうすることもできない、夫婦間に芽生えた小さな亀裂を思って…なんて描写じゃなかろうね? 次回以降注目。

ついでにここで述べると、この調練では他にもいくつかポイントがありまして〜〜〜。ひとつは、この走ったり止まったり後ろ走りしたりは、基礎体力のためではなく(武士は剣道やら相撲やらでちゃんと体力はある)、ナンバ走りを現代風のダッシュに強制するために必要な訓練だったそうです←TLからの受け売りです。ふたつは、だからって、何話か前、ナントカ山の頂もはるかな中途で、嫁「なにボサッとしてるの〜〜早く早く〜〜〜」夫「ちょっと待ってくださいよ〜〜」という夫婦コントを繰り広げていたモヤシ男子のエラソーな指示に翻弄される兵たちが哀れ。みっつは、“子どもの遊びのような”調練を先頭に立って実践する佐川官兵衛が超けなげ。尚より余程、軍での階級も高いだろうに〜〜〜。だからといって、お ま え は 脱 が ん で い い !っていうwww

そう、来たるべき決戦に備えて動いている会津なのです。「何も話してはくださらぬ・・・」と、次から次へと涙を伝わせてもひたすら上品な照姫。まあ、容保のことは、この高貴な女人が心配してやってりゃいいんだよね、うん。みんな大変なんだからさ。しかしそこで柳沢慎吾の萱野に神保修理の“とばっちり切腹”のことを説明させるあたり、ホントにソツのない脚本である。

家督を継いだ水戸のご老公の十九郎こと余九麿あらため喜徳と、大殿となって政務に復帰した容保を前に、重臣たちの会議。「敗れたままで武士の一分が立ちましょうや」と容保に迫るのが神保内蔵助であるあたり、脚本、これまたうまい。かつて都からの撤退を進言したこともある、決して血気に逸るイメージではなかった男だ。恭順を説いたあげく戦犯指名されて切腹した息子の汚名を雪ぎたいのか、息子のかたき討ちをしたいのか…とにかく、佐川のような元から脳筋だけでなく、肉親が死んだり負傷したりしたことによって、主戦派に転じた者がいかに多いか、ということを想像させる。

驚いたのは容保の態度で、いつものように逡巡している間に、積極派=群衆パワーに押し切られる形で戦になだれこむのかと思いきや、「朝廷には恭順するが、新政府が攻めてくるなら全藩をあげて戦う」を宣言。「逃げるところはどこにもない」と言い切る容保だけど、そもそも恭順するけど抗戦するってのは現代人的に理解できない感覚だし、その前に勝が西郷に対して「関係ない無辜の民を戦に巻き込むのか」と非難したセリフも思い浮かんで(思い浮かばせるのが脚本の意図だろう)、「そそそ、それでいいのッ?!」と思ってしまう。

後世の私たちは、徹底・一貫・ひたすらに恭順を貫いた慶喜の例を知っているから、そうしなかった会津を愚かだと簡単に断じそうになるんだけど、そっちのほうがむしろ当時は奇策で、それができた慶喜はやっぱり特別な傑物なのかもしれない。脚本は今週もあちこちのセリフが響き合うように作られていて、勝が西郷に尋ねた「負けたからって、オマエなら主君の首を差し出すことができるか?」というセリフは、そのまま会津にもあてはまるわけで(答えはもちろんNO)、それが当時のごく当たり前の感覚なのだろう。

長州の顔面兵器と化していた世良修蔵も言っていたが、降伏イコール主君の首。みんなを助けるためにトップが犠牲になるという美談は現代(あるいは戦国のころ)の感覚で、赤穂浪士じゃないけど、江戸時代になれば朱子学やらなんやらでガチガチで、主君が辱めを受けるのは家臣全員が死ななければならないのに値する恥になる。長州征伐や修理のように、家老やら一側近が詰め腹を切るのとは話が違うんである。ことここに至ってもあくまで恭順、非戦を貫こうとする頼母のほうが異常で、むしろ「主君の首を差し出す」策に出そうな、それはそれでアブない感じすら醸し出している気もする。

それにしても、これまで果断なイメージのない(ってやっぱりダメ殿だなww)容保が、この段階で、自らあんなにキッパリと宣言するのはちょっと意外だった。彼の中にも「武士の一分」問題があるのか、かたき討ち気分になっているのか、むしろ死に花を咲かせたい感じなのか、来週以降にもう少し詳しい説明があったりするのだろうか?

実際、ドラマでは、ABCD包囲網じゃないけど、かつて太平洋戦争開戦に追い込まれた日本のように、ハナから「会津に恭順など許さない」新政府である。今週、勝−西郷の会談がサラッと行われました。ドラマでは二人きりなのが定番だけど、史実は大久保一翁やら桐野利秋やらも出席していたようなので、今回、新鮮なその案を取るのでは…とか、一番期待したのは、篤姫からの手紙を見た西郷が腰を抜かす・・・どころか、この西郷なら「こんなもん、ナンボのもんじゃい」と一笑に付してポイするんじゃないか・・・なんて展開だったんだけど、どっちもなかったですww

「ひとりでノコノコやってくるとは」と言う西郷さんに、「それぐらいの肝を見せなきゃ西郷とは渡り合えない」「旧幕軍にも狙われてて帰り道が超危険」とか、二倍も三倍もの勢いで“いらんこと言い”の、相変わらずの勝先生www さあ一体、怪物西郷をどうやって言いくるめるのか? というと、今回は万国公法で来ました。これは、あんつぁまの書面にも書いてあって、西郷があんつぁまの助命を決めるきっかけにもなるという“響き合い”なのですが、ネットではあまりにも唐突という声もちらほら。

ウーン・・・私は、佐久間象山らに師事し、長崎でも学び、洋学所をひらいていたあんつぁまが万国公法を知っていることは不思議でないと思うんだけど、牢のあんつぁまが、会津の出方を知るよしもない(恭順じゃないかも)状態で万国公法を持ち出すことには多少の違和感があったかな。けれど基本的に、万国公法で無血開城を進めるのはいわゆるパークスの外圧を思わせる論理でもあるし、何より、「建前」とか「詭弁すれすれでも大義名分」とかが必要だというこれまでの本作の政治劇の描き方に合っていて、説得力あったんじゃないかと思います。

また、この(当時先進的な)万国公法論は、会津の「武士の一分」的な考え方と対比をなすもので、徹底恭順すれば新政府も助けざるを得なかったかもしれないものの、それを選ぶべくもない会津の旧時代的精神性・・・という構図なんでしょう(同時に、会津人でありながら、ひとり、旧時代的精神性から飛躍しているあんつぁま、という構図でもある)。や、前述したように、早い段階で恭順しても容保の首は求められたのかもしれませんが、今週は、歴史の展開について解釈しづらいところがあるものの、その分、時局が、「どっちに転ぶか」的な危ういな状態で進んでいると感じました。

それにしても、ふつうドラマでは薩長新政府側でも幕府側でも、江戸城無血開城決定はひとつの山場で、すごいカタルシスがあるもんだけど、そこはあっさりと決まって、直後に「振りあげた拳をどこにおろすか…」と呟く西郷と、その答えを知っていてそこは助命嘆願する気のない勝・・・という風情が、なんとも不気味でありました(というようなことをツイートしたらまたたくまに50以上RTされてびっくり。みんなそう思ったってことよね)。

また、この席での西郷は、勝に説得された・・・とかいう“負け感”が一切漂っていなくて、決断の速さや、あとで大久保と「江戸での戦が避けられたのはむしろこっちにもメリットがある」と話していたとおり、むしろ良きように事を運んだ、という感じですばらしい演出でしたよね。勝は「無辜の民ガー」とか熱弁をふるってたけど、その辺、良心に目覚めた感じもまったくしない西郷でしたもんねwww モニカはいつもどこ見てるかわかんない顔が芸がないといえばないんだけど、まあとにかくどっしりしていて得体のしれない感じがすばらしい。ミッチーもまあ、ああいう感じなんで(略)、できれば大久保さんにはもうちょっと熟練の役者さんが欲しかったかなあ、と最近思い始めています。異業種とヤクザで構成された新政府軍、マジ怖ぇーマジ鬼畜ーといえばそうなんですけどねww 岩倉の姑息な手で改姓した退助さん、良かったですねwww

最後にあんつぁま・・・あの高見盛みたいな声、どうやって出してた?(驚) あんつぁまが映るたびに、「汚い画面ガー」派の台頭を心配しちまったよ。まあそういう層「戦はいやでございます〜」演出派とかぶってもいそうだから、とっくに退避してるか・・・。「俺の首を斬っていいから会津を助けろーーー!」て、完全に事の軽重を間違えてるあんつぁまに視聴者みな失笑。あんつぁま、ヒーロー属性もすっかり消えてるし、からだがあんなにも不自由になりかけているのに、悲劇性が増すどころかお間抜けっぷりばかりが目立つという予想の斜め上をいく展開。や、けっこう好きです笑