『八重の桜』 第10話 「池田屋事件」

本当にスピード感あふれる幕末劇ですね。第10回で池田屋事件。泣く子も黙る池田屋事件! 

…の前に主人公の八重さんですが、お城に就職することになった時尾さんと別れを惜しんでいます。「恋しい大蔵さんが八重さんのほうばっかり見てたのが妬ましくて」「私は時尾さんがご祐筆に選ばれたのが妬ましかった」と、ベタさがとっても良いです。オチで登場した剛力さんのユキちゃんもとってもかわいいです。去年の武井さんといい、ゴリ押しゴリ押し言われますけど、大手事務所がゴリ押ししてくるだけあって、才能あふれるなあと思って見てますね、私は。

京に戻ると、なぬ? ミッチー=小五郎? お〜っと、八月十八日の政変長州藩士は都から追放されたはずですよ?! そんなもんで諦める奴らじゃないんですね。むしろ、焦燥やら恨みつらみやら重なって、よりいっそう過激になってます。それにしても桂小五郎といえば逃げ隠れするシーンは外せません。ミッチー、いかにも俊敏に、華麗に逃げてましたね。

会津藩士は梶原さんちで会合。帝を彦根に遷座する案があったんですね〜。彦根といえばひこにゃんですが、第6話で知らされた衝撃の事実「桜田門外の変で藩主井伊直弼を殺されたあげく、その責で10万石に減らされた」が思い起こされ、そのうえ、帝まで押し付けられようと(や、名誉なんだろうけど…いかにも金がかかりそうだし…)してたのか!と吃驚です。

それはそれとして、梶原さんは奥さんの二葉を連れて上京してるんですね。平馬「真面目で物堅い妻で…」 大蔵(二葉の弟)「すんません…」 平馬「や、武士の妻だからこれでいいんです!」のやりとりは言葉を変えて繰り返し、視聴者に印象づけてますね。磊落な自分のたちにはイマイチ合わないけど、立派な妻に敬意をもって接しているという夫と、生真面目に仕えつつも、基本的に女として夫に惚れきってる妻、という夫婦のあり方も繰り返されていて、このふたり、維新のころはどうなるんだろう…とハラハラドキドキしながら見てます。

池内博之、いいですね〜。声はがんばって作ってる感じもあるけど、好きです。斉藤工も玉山鉄二もきれいな人たちなんで、ジェントルなんだけど武士武士した存在感を出しててすてきだと思います。維新やその後はどう描かれるのか…。

大蔵は八重がまだ独り身であることに安堵し、八重の幼なじみだった二葉が立派に奥様してるのを見たあんつぁまは、「八重もそろそろ…」と夢見るわけですが、当の本人はどこ吹く風。今日も元気に銃をぶっ放ってます。「職のアテもなくなったし、本腰入れて片付けなければ…」と家族は必死の誇大広告で妙齢の娘を売り込んでいますが、ガンヲタが望める縁談はいきなり後添えの口(爆)

しかも折悪く角場でちょっとした事故が起き、ドリフのオチみたいな煤けた顔を無邪気な笑顔でご披露の八重さん。縁談話の頓挫は想像に難くありません。しかしこれ、八重さんを嫁かせたくない尚之助さまが、身体を張って起こした事故じゃないかしらん?!なんて妄想するのが楽しいですね(腐)

ところで、ここでちょっと驚いたのは、マッチゲさんの八重父が、「大事ねぇか?」というセリフを発したことです。「さすけねえ」は、もう使わないってことですか…。第1話から「方言がわからない」というクレームが相当数あったと報じられていたので、作り手が譲ったんでしょうね…。なんだか残念である。

それで今夜の大イベントは池田屋事件なんですが、今年はもちろん”会津藩から見た池田屋事件”でして、これがすっごく新鮮で、かつベタなところはきちんと押さえてあって、本当に面白かったですね! ほんと、歴史的事件を扱っても見ごたえのある大河で、すばらしいことです。

もちろんドラマオリジナルの脚色もあるんですが(秋月さんは池田屋の責任をとって公用方を免職になったわけじゃないようですし、会津や桑名の兵は騒動が終わる前に池田屋に到着していたけど土方が一歩も入れなかったってのが定説ですよね…?今は違う?)、解釈の余地がある部分を最大限に利用して、「それぞれの立場だったら、ほんとにそうかもな」って思わせる作劇だったと思います。

まずは新選組、道具屋に化けていた古高俊太郎の店に洋式銃を発見。さっそく連行して拷問に及びます。まったく、古高俊太郎といえば新選組による熾烈な拷問を受けたことのみで歴史に名を轟かせている本当に気の毒な御仁で…でも、池田屋といえばこのシーンがないと物足りなかったりもします。顔色ひとつ変えず淡々と拷問する土方も定番ですね。

で、過激派志士たちのアジトをつきとめた新選組会津藩の援護を待たずして突入するわけですが(祇園祭の祭囃子の中を進む隊士たちがとっても不穏)ここで池田屋に踏み込む近藤勇の「しんっせんぐみである!御用によってあらためる!!」」の大音声が、非の打ちどころのないかっこよさで痺れました。先週の蛤御門を通るときも然り、今年の近藤は、このコワモテと、口上のハマりっぷりでキャスティングしてますね!

大乱闘になると、お約束通り、刀が折れたり階段から落ちたり(落ちるっていうかダイブ)、そのうえ、今まで影も形もなく、それどころか今回とてオープニングにキャストクレジットもされていない沖田(としか思えない人)が出てきて、ここぞというタイミングで大喀血かましてくれたのには、思わず手を叩いて笑っちゃいました。まじめで痛々しいまでの物語なのに、変にとりすまさずに気前よくサービスしてくれるそういうとこ、好きです。

それで会津は何をしてたかっていうと、秋月さんの案で、桑名やら一橋やらに動員を頼んだりなんかして、数に物をいわせて相手をびびらせ、穏便に、一挙に検挙しましょう、ってことになってたんですね。こっちが刀を抜いたりしたら、相手は捨て身になってかかってくるし、ましてヤケクソになって都に火を放ったりしたら元も子もない、と。その案を聞くと、理性的でもっともだとも思えるんですよね。

ところが新選組とはそんな理性の埒外で動く人々なのでした。新選組を正義ととるなら、放火したり天皇を略奪しようとした過激派浪士たちから身を挺して都を守った救世主ということになるんですが、今回のドラマではそういうことは語りません。また、正式な身分もない彼らがなんとか功を立て名を挙げたかった、のような出世欲、名誉欲とも描かれないし、近藤と土方、あるいは沖田など隊士同士の友情や絆についても描かれません。

背景について詳しい説明はなく、ただ、かつて「壬生浪(みぶろ)」と呼ばれ京人に軽視というかむしろ蔑視されていた彼らは、とにかく胡乱で剣呑、殺伐とした空気を身に纏う、言葉少ない先頭集団なのです。一歩、彼らの中に入れば、人間だし若者たちだし物語があって当然だけど、外から見るとこういう感じだったんでしょう…。

新選組暴発(ということになるんでしょう、会津から見ると)の報を受けて現場に踏み込む会津藩士。中は凄惨な状況です。かつて小栗旬吉田松陰とともに会津に遊びに(違)きたこともある宮部鼎蔵の遺体を見つけ、思わず新選組に憤るあんつぁま…って後ろ、後ろーっ! 瀕死の浪士が渾身の力であんつぁまに切りかかってきたのでした。危なげなく一閃し、あんつぁまを救ったのは斉藤一、「隙だらけだ」と一言発するkjです。

絶句し顔を引き攣らせるあんつぁま、秋月さんなんか、腰が抜けたようにへたりこんでしまいます。それを醒めた目で見下す、揃いの羽織を血で汚した隊士たち。ここにね、あんつぁまがいたのなんて、創作でしょうが、こういう空気感だったんだろうな、てのがありますよね。どういう経緯であれ人を斬ることに慣れた新選組と、子どものころから武士としての鍛錬を積み、命を惜しまぬ覚悟で入京はしてきたものの、初めて”現場”を目の当たりにした藩士という身分の人たち…。

ともあれひとまず過激派は掃討した…と思いきや、まるでそれが呼び水になったかのように、長州から大軍がのぼってきます。顔面力の高い真木和泉(この人は久留米藩士なんですがね)なんかとともに。都では対策会議。このころ都は、ドラマでは描かれませんでしたが、一橋慶喜松平春嶽(越前)や伊達や島津を事実上追い出しちゃったもんで、一会桑政権となっています。…そう、容保公の実家の弟、松平定敬がやはり養子として桑名藩主になったうえ、京都所司代に就任していて初登場。歌舞伎役者の中村隼人くんは、『龍馬伝』では少年将軍・家茂を演じていましたよね。

線の細い容保・定敬の兄弟を前に座した慶喜は、武力での鎮圧を主張する容保に向かって、「守護職は都で戦をするつもりか? 会津の戦には付き合えぬ」とかケンモホロロに言い放つや、立ち上がってサッサと出て行っちゃうわけです。この人、今日の序盤では、病がちでいったん守護職を辞していた(これもサラッとですがちゃんと入れてきましたね)容保の肩に優しく手を置いて、「会津殿は帝の信任がことのほか厚い。ともに命を張って都を守ろう」とかなんとか、甘言を重ねていたわけですよぉぉぉ。「ともに」なんつって、もともと一兵も出すつもりなかったくせにぃぃぃ。

孝太郎さんの慶喜は、登場したころ、お育ちとかインテリジェンスの面でだいじょうぶか?!と思いましたが、相手の一言で状況をすべて読んだうえ、瞬時に躊躇せず自分の意思決定をしてそれについての相手のリアクションなんかかまわない、って感じ…慶喜っぽくていい感じになってきました。脚本のよさも光ってますね。

あんまりといえばあんまりの慶喜の”二心殿”っぷりに、心労激しく崩れ落ちる容保公…。本陣に帰ると側近の神保修理を相手に「われらは会津のために働いているのではないのじゃ…」とかこぼしてます。なんかもう、悲しいですね。むしろ会津のために働いてほしいよ。会津のためでもないのにどうしてこんなに苦労しなきゃいけないのよ。てか、昨年も、忠ならんと欲すれば孝ならぬ人が激しく消耗していったように、忠義とか理念とかを掲げると、人は苦労するもんなんですよね…。病みやつれた姿が眼福だけど。殿の御簾の内まで入りこんでる修理たんにも萌えー。

さて、今回はもともと「象山の奇策」というサブタイトルだったのですが、その奇策とはなんと、朝廷に開国を説くことでした。中川宮を通じて策を進めている象山は、池田屋事件にひどくおかんむり。あんつぁまのお供も拒みます。身の安全を心配するあんつぁまに、「六連発だ」と懐から獲物を見せびらかしますが、ピストルで危難を逃れられないことは坂本龍馬が証明してますから!!(ってまだこの時点で龍馬は当然生きてますが) 

しかし、今回のアバンタイトルで蹄からなめ上がるように象山の白馬が映ったとき、「派っ手だなー!」て印象をもったんですが、あんつぁまが「派手すぎるでしょ」とたしなめ、象山が「これがオレ流だ」と胸を張るやりとりがあって、来週の予告があって…と、演出もいちいちうまいなあ、と感嘆するわけです。

しかも、しかもですよ、ここから主人公がやっと再登場なんですが、今日は、あっちで憔悴(容保)、そっちで茫然(秋月。私この北村有起哉に異常に萌えてたんで、しばらく出なくなるのかと思うと寂しい)、そしてこっちで憤怒ってわけで、いつもは5月の風のように爽やかな尚之助様が怒ってます。しっかし、怒りのあまりモノ投げるとかその辺のものを蹴飛ばすとかいう暴挙に走る人はいるけれど、この人らの場合怒ったらバスンバスンやっちゃうわけで、怖いですね。

改造銃を採用してくれない頭でっかちの会津藩に怒り、彼らに意見できない身分をもたない自分に苛立ち…藩士という身分がないといろいろ支障があることに気付いた尚さま(好きな女ができても結婚もできないしね…)。荒れる尚さまを、八重が必死に、心のこもった言葉で慰めます。ここが、先週、傷心の八重を尚さまが慰めたのと対になってて、まあ相変わらず八重さんはニブチンなんですけど尚さまは明らかにまた男の目になっちゃって(笑)、youたち、もう結婚しちゃいなよ!て感じになるんですが、ここで新島ジョー挿入〜〜〜! ったく、呆れるほどに巧みな構成だなヲイーーー!

いやー、そういや確かに、オープニングでトメグループのトップに燦然とクレジットされてたんですよ。でもそれから40分、あんなことやこんなことがあったもんで、すっかり忘れてたじゃないですか。しかも会津では頭でっかちに憤ったり、京や江戸でも勤皇だ攘夷だってやってる間に、ジョーったらこっそり密出国ですよ。「さらば日本。窮屈な私の国」ってセリフが、行く前からなんだかすでにアメリカナイズされていて、ドラマの世界とひとり隔絶してる。いったい、何がどうしてどうなったら八重と結婚するなんて仕儀に至るんだ?!とクラクラめまいがしてきたところで幕引き。いやあ、毎週翻弄されます。