『八重の桜』 第8話「ままならない思い」

アバンタイトルでサクサク歴史を動かす制作陣の大胆不敵さ! 将軍家茂上洛からの新選組誕生秘話。200人で多摩を出たのに今や二十数人とか、なにげに細かい。今年は会津から見た新選組だから、土方と斉藤一がフィーチャーなんだね。土方の底暗い雰囲気が良い。斉藤一にはドラゴンアッシュ。キャラ的にも演者的にも当然せりふは少ないんでしょうけど、あんなことが待ち受けてるわけですから楽しみですな〜ニヤニヤ。

初恋の大蔵さまが祝言をあげると知って道場でうわの空の千葉の鬼小町…じゃなくて会津の時尾さん。時尾「わだす、一生嫁に行がね」 八重「わだすも〜」って、少女マンガの鉄板のひと幕がなんとも微笑ましい。ちょいちょいの出番でも貫地谷さんの時尾にものすご存在感があります。で、そんなこと言ってるけど未来のダンナ様さっき映ってたよ〜?!とニヤニヤする視聴者なのであります。八重さんに至ってはピロキとジョーが待ってるわけですからね(羨望)

今週のあんつぁまは疾走も喧嘩も入浴も脱衣もなく(笑)、勝先生に「なんでおれが?」て感じの叱られ方をしてショボーンとなりつつ、主に沈思黙考してたみたいです。立て板に水の如く江戸弁で喋りまくる生瀬さん、うん、これやってくれると勝海舟ってわかりやすいですね。「考えて考えて考え抜け、10年先、100年先のことまでも」とふっかけられるあんつぁま、その成果が出るのはまだまだ先のお話なんだけど、ちゃんとこういう先鞭をつけるあたり、やはり脚本うまい。

あんつぁまが考えている間にも壬生浪(やっぱり今作のこのテロップの出し方かっこいい)たちは暴れています。その探索の隙間を縫うは、“逃げの小五郎”こと桂さん。さすがミッチー、小奇麗です。ふつう逃げるときの桂さんは、『龍馬伝』の谷原さんみたく、襤褸をまとって乞食に身をやつしたりするんですけど、「“汚し”?ないない、ありえないから」って風情の桂さんです、今年は笑

で、ミッチー、三条実美らと会談してるんだけど…ちょ、ごめん、限界が近づいてきてるww 3年前(龍馬伝)に大久保利通だったミッチーが桂小五郎で、3年前に吉田松陰だった生瀬さんが勝海舟で、9年前(新選組!)に久坂玄端だった池内さんが梶原で、八重にも新しい久坂が出てきて、、、あら、久坂は『カーネーション』の泰蔵兄ちゃんじゃないの。えらく能弁なんで見違えたわww 

そう、それで、9年前に斉藤一だったオダジョーが新島ジョーなのよね、今後は…。女性陣のほうは、5年前(篤姫)に滝山だった稲森さんが照姫様で、3年前に千葉の鬼小町こと千葉さな子だった貫地谷さんが時尾で、5年前に龍馬の妻おりょうだった市川さんが山川二葉なんだけど、こっちは不思議と混乱しないからだいじょうぶです。

閑話休題会津に戻ってみると、山川大蔵も京に出立するというので山本家に挨拶にきてます。ここで、あらっ、尚さんが気をきかせて大蔵と八重をふたりきりにしてくれました。先週、乙男(オトメンと呼んでね)の告白タイムを粉砕したのは誤爆だったようです。うんうん、もともと尚さんは空気を読むのに敏いたちだし、彼は覚馬ひとすじですもんね(違)。

ということで大蔵さん、仕切り直しの告白ターイム!!! って、ちょ、待て、「八重さんは会津そのものだから」って何だそれww しかもその顔〜〜〜!www  いやあ、こういうのが似合うんだわ玉鉄。でも、こんな純情を経たうえで、彼の波乱に満ちた生涯があるんだなあと思うと、非常に含蓄が感じられて、とても面白い造形だと思う。物語の力だなあと。後年には思いきりマキャベリストになるんじゃないかな、なんて想像してますが。

にしても、「京で会津を思い出すときは真っ先に八重さんを思い出す」とまで言われてるのに、「アレはなんだったんだべ…」の八重さんww いったい彼女は、いつか恋とかするんでしょうか。尚さんとのときは(少なくとも結婚前には)、まず、ないよね。このガンヲタがどんな大人の女性に成長するのか、見ものですな。

…いえ、八重さんが無邪気な少女でいられる期限は既に迫ってるんですよね。時はもう文久ですって! ひぇぇぇぇ! 

「偽勅」って言葉が先週に続いてテロップで。こういうとこ、けっこうラディカルな大河だなと思う。こちらは、清盛の「王家」のときみたく、不敬だのなんだのは言われないんですかね?(言われなくていいんだけども)。篠井さん実美ったら、愛しの会津中将の江戸行きを慌てて止めようとする染ちゃん孝明帝の、おそれ多くも帝の恋路(違)を思いきり踏みにじってるわよ?!

これには帝も我慢なりません。さらさらと筆を走らせほとばしる熱き思いを書き綴り、近衛忠煕を通して(前回、薩州関白、と説明があった、篤姫の養父ですね。長州に内緒だから彼を通すのよね。脚本のこういうとこが細かくていいよね)、会津に届けます。

江戸下向の勅諚を受けて、「私を江戸に帰らせるなんて、帝がそんなこと言うのはおかしい…あの熱視線は私への抑えきれない愛情そのものだったじゃないか…」と眉を曇らせていた容保に、ご宸筆が届いたーーー! このご宸筆の扱い、良かったよね〜〜〜! 文箱に直接手で触れることすら不敬なので大切に風呂敷(違)で支えて捧げもつ斉藤工くんの神保修理の、「御一同、お控えくだせえ! ご宸筆にごぜえます!」の緊迫しつつも毅然とした指示! 文箱に向かっていっせいに平伏する一同。藩主・容保が上座を空にして頭を垂れるのは2回目ですね。

帝手づからの文をいただいた畏怖に手も声も小さく震わせながら読んでいた容保が、「これすなわち、朕が最も会津を頼みとするゆえ…」という末尾、あまりといえばあまりにストレートかつ熱烈すぎる愛の告白に、がくんと腰を抜かしてしまい、滂沱の涙で心中、永遠の愛を誓う…(あれ違う?)、この一連の演技も、すっごく良かったですよね!!! 完全に落ちたな、っていう。この時代、薩摩も長州も幕府も公家たちも、ぶっちゃけ帝を利用して事を進めようとしてる中、容保だけが、帝の一文だけでイッちゃうぐらいの純粋さで仕えているわけですね。ああ、オオカミの群れに羊が1匹…。

そんなこんなで、どうみてもアウトのタイミングで、西田敏行西郷頼母が京都に到着。さっそく、守護職退任の説得を始めるわけですが、もう殿の目が完全にイッちゃってますからーーー! 

このやりとりがまたまたすばらしい見応えで。「守り神とたたえられるのは今だけで、いずれ悪鬼の如く恐れられ、諸人より憎しみをかう」と理を説く頼母。「損な役回りだからと放り出すのは卑怯。会津には御家訓がある」容保も理で返します。まずはジャブ。 

そこで頼母が、本来、越えてはいけない一線を踏み越えます。「殿がそんなにも家訓にとらわれるのは養子だから」。これは、それとわかって地雷を踏んでるわけですよね。第一話で言っていた「命を賭けてお諌めする」を実行してる。

その覚悟を感じないほど、容保は愚昧な藩主ではありません。その本気に撃たれて、「お上はただ一人で国を担う重さに耐えておいでだ」と思わず本音が出る。会津藩主たる容保には徳川宗家と存亡を共にするという家訓があり、本来、それが容保の大義なんだけど、今の彼はそれにとらわれているのではない。理性を超えた部分、「帝ラブ☆」という感情に突き動かされている。

「一藩をかけてでも帝をお守りする。それが会津の義」と言い切られると、いやちょっとそれは違うでしょ、と真性会津人の頼母は思わざるを得ない。会津の義は徳川に対するもので、それも会津藩…というか会津人の安全保障が守られることが大前提でしょうよ、と。だから頼母は「会津はつぶさせません」と啖呵を切らざるを得ないのだが、もちろん、理性と感情、大義と愛情がごっちゃになってる容保には、とうてい受け入れられない。結果、両者は訣別するしかない。

信長以来の天覧馬揃え。雨ふりしきる都は空も土も暗いんだけど、清盛のときみたく「画面が暗くて汚い」ってクレームはないんですかね?(しつこい)。

勅賜の御衣を陣羽織に仕立てた容保の麗姿に、テントの中の帝も御満悦。や、実際、似合うんだわ綾野きゅん。で、「かかれぇーーっ!」て号令がね、もう、てんで理性とか大義とかじゃないから。完全に、真心っていうか激情で動いてる人の声だから。今週も綾野剛の演技に見惚れた。まったく、毎週毎週…! 正直、ここまでやれると思ってなかったよ!!!

というわけで、「ままならない思い」は様々に描かれたわけです。時尾→大蔵、大蔵→八重の恋のトライアングル一方通行。一天万乗の君にすら、勅意を思うままにできない苛立ちがあり(容保への愛はしっかり伝えてたけどね☆)、容保の帝への純粋無垢な愛情は頼母には忌避される(つまり、帝☆容保の二者間に限っては完全無欠の両思いなんですけどね…)。

また、八重や佐川官兵衛、頼母のような、腕をふるって殿の、会津の役に立ちたい人々も、それぞれの理由で出る幕がないという「ままならない思い」をやはり抱えている。今回、八重と頼母を結びつけたのが官兵衛の一幕なんだけど、今のところ表舞台で動かせない官兵衛をちょいちょいこうやって登場させてるのも、工夫だよなあ。

桜の木に集う八重と頼母。こういう、「ままならない思い」がいつか咲かせる、会津の八重桜なんだろうなあ、とぼんやり思った。

だからまぎれもなく正しいサブタイトルなんだけど、八重のサブタイのつけ方って、大河ドラマとしては異色ですよね。たいていは、「桜田門外の変」とか「京都守護職」とか「天覧馬揃え」とか、ひと目で何が起こるかわかる歴史上の固有名詞を、できるだけ盛り込むものです。「やむにやまれぬ心」とか「蹴散らして前へ」とか「ままならない思い」とかでは、一見、何がなんだかわかりません。

それが、長年の大河視聴者としては、当初、座りが悪かったんですが(いまいちクールじゃなく感じる)、最近はこれも楽しめるようになってきました。てか、当然、こういうサブタイの傾向はわざとですよね。

今年の歴史パートは、近年で一番難しいんじゃないかと思う。清盛の場合は、時代がマイナーだったこともあって一般の人にはとっつきにくいと思われたふしがあるけど、実際にやってることは全然難しくなかったと思う(歴史オタ的には物足りなかった面がある)。今年は、近年の幕末大河とは比較にならないくらい、かなりいろんなことを盛り込みつつ、噛んで含めるとは対極の大人っぽい説明でぐんぐん進んでいってる。

まあ、これまでの易しい幕末大河群があったからこそできることだとも思う。薩摩とか長州とか公家とか、だいたいわかってる人も多いよね?ていう。だから今年は会津を詳しくやるのはもちろん、もう一歩、踏みこんでどんどんやるよ、っていう。真木和泉も出てきたし(顔面力の高い嶋田久作をキャスティングしてくるあたりわかってる!)、来週は薩会同盟もやる。八月十八日の政変を詳しくやるのだって珍しいのに! 福岡人としては、平野国臣も出てきたりしないかなあ?とか期待しちゃうんだけど。

そう、歴史ファンとしては、歴史の描き方が踏みこんでてすごく興味深い。でも、作り手は、そこじゃないんだよと言っている。いちばんの眼目は「やむにやまれぬ心」であり「蹴散らして前へ」であり「ままならない思い」なんだよ、と。私はこのドラマのそこも、とても好きなのだ。放映前の予想に反して、とても堅実に、地味なほどに堅実に、悲劇への道をひた走っているので、視聴率は落ちてきましたが、すべてにおいて(と含みのある書き方をする笑)今の方向のままでいってほしいと思います!