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「ボストン美術館 日本美術の至宝」 

日々 歴史

記憶をたどると、太宰府へ来るのは6年ぶりにもなる。2月10日日曜日、気温7度ほど、冷えてはいるものの快晴。まだ正月なのかと疑いたくなるほどの人でごった返している。12時ごろ着き、参道「かのや」の2階座敷でそばをいただく。

天満宮の鳥居をくぐり、太鼓橋を渡ったところで、いったん家族から離脱。こういうとき、パパと一緒なら頓着せずにすなおにバイバイする息子2歳半が頼もしい。さよならぁーママは(絵本ミュージアム以外では産後初の)美術展に行って来るよ! 期待で胸がときめくあまり、あの長いエスカレーターや動く歩道のすべて、右レーンを早足で進み続ける。こんな三十路の女ひとりでごめんなさいよ。家族を待たせているのもあるし、そうそうのんびりとはしてられないのだ。それにしても、いかにも「異界へのアプローチ」感があって面白いですよね、あの空間は。

やがて眼前、懐かしい博物館の全景が、どどーんと現れる。中に入っても開放感あふれる作り。本当に、ここまでだけでも割と感動的なので、福岡に遊びに来る人は、ぜひ一度、足をのばしてみてはいかがでしょーか。

さて、特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」である。明治時代、幕府が瓦解して新しい世の中になると、有名寺院や高貴な家々が「お宝」である絵画をどんどん手放してしまった。西洋文化がどっと押し寄せてきた時代で、国内では「廃仏毀釈」の嵐、日本美術の価値がぐっと下がっていたのを、「これはいかん」と立ち上がったのがフェノロサ岡倉天心であり、彼らのはたらきが、ボストン美術館のコレクションの礎になっているという。今では十万点もあるんですってよ! すげー! 日本人としてはなんだか切ない話ですが、海を渡っていった名画の数々が再び海の向こうへ帰らないうちにと、見に行ってきました。東京、名古屋を経て新春が福岡、年度が明ければ大阪で行われる展覧会である。

中はかなり照明が落としてある。九国では、これがデフォルトなのかしら。子どもはちょっと怖がるかなーという感じ。まあ怖がるくらいの年の子どもは連れて入らないのがマナーですかね。確かに、ちらほら見かける子どもたちもみな、小学校高学年以上だったかな。人はかなり多くて、老若男女さまざま。始まって1ヶ月以上経つのにすごい人気。

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展示は年代の古い順から5つのセクションに分かれている。(註:ここから先に貼っていた写真は博物館に提供を受けたもので、3月17日の展示期間が終わったため削除しました)

◆第1章:「仏のかたち 神のすがた」 
奈良時代平安時代仏画垂迹画の数々。明治の廃仏毀釈でもっとも軽んじられたのがこれらの類だったという。確かに古くて辛気くさいって感覚になるのもわからんではない。けれどこうしてコレクションを見るとそれぞれがすごくユニーク。

顔も手足も真っ赤で表情も怒ってるみたいで、今にも湯気が出そうな「馬頭観音菩薩像」と、真っ白な象たちに支えられて屹立し、自身の体も真っ白な太り肉、どこかエロティックな普賢延命菩薩像」「地獄草紙断簡」もすごい迫力だった。地獄の番人に大釜の熱湯で茹でられる罪人たち…。平安時代からあったモチーフなのか。

◆第2章:「海を渡った二大絵巻」
これ最高でした。壁掛けでなくショーケースの中に収められているのを上から見るので、もっとも列をなすのがこの部分で、係り員さんが「肩越しからでもOKな人は並ばずに見てもいいですよ〜」なんて声をかけてたけど、断固!並びました。

昨年の大河ドラマで記憶にも新しい「平治の乱」を描いた平治物語絵巻 三条殿夜討巻」藤原信頼と我らが左馬頭・源義朝どのが率いる数百騎が、後白河上皇の御殿・三条殿に押し寄せ、上皇を拉致して屋敷に火を放つ、まさにそのときが絵画化されているわけですよ!!

(絵巻の画像は提供なしなのが残念…このケースの中に入ってます)
三条殿周辺はものすごい人でごった返しています。甲冑に身を固め、弓や刀で武装した武士たち。院が連れ去られたと聞いて、直衣のままで馬に乗って見に来ている貴族と思しき人たち。押し合いへし合いの牛車たち。もとどりを結っていない、蓬髪の成年男子たちも見受けられました。これは、網野善彦などが言うところの「牛飼い」とか「神人」なのだろうか? 

巻が進むと炎上する三条殿。まさに業火とうべき禍々しさ! 黒煙とともに上がる火焔、細かな火花も舞っている。なんせ義朝は「女子どもとて容赦はするなー!!」の人だから、逃げ惑う女房たちの姿も多く描かれているし、武士たちは激しい戦闘に及んでいる。

さらに進むと、惨状はいや増し、もはや骸が折り重なっている(むろん女の姿も)。一台の牛車が門を出て、武士たちによってものものしく護送されていく。中にいるのがゴッシーであろう。武士たちは数多くの首級を掲げている。列の先頭、ひときわ大きく立派な黒毛の馬上が義朝か? 冒頭の詞書の文章は美しい楷書に近い文字で書かれ、とはいっても読み解くことはできないけれど、「信頼」とか「義朝」、「三条殿」それから、「一本木御所」(←ゴッシーが幽閉されたとこだよね)などの言葉が見えた。

平治の乱から約百年後、鎌倉時代の中ほどに描かれたものらしい。むしろ大河ドラマ平治の乱より迫力あったかも…。

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もうひとつの絵巻は吉備真備入唐絵巻」奈良時代遣唐使吉備真備が唐に渡った時の物語で、平安時代末期の作、そう、なんと後白河院が制作させたものだと言われているらしい。この物語がまた傑作!

唐に到着するやいなや、浜に来た迎えの人々に連れられて真備が向かった場所は、幽鬼が出るという噂の高い楼閣。正式な遣唐使だっていうのに、なんと真備ったら幽閉されてしまうのだ。そして夜になると当然、幽鬼が出現。真っ赤でかなりグロテスク。しかしコヤツ、よくよく話を聞いてみると、真備より先に入唐し、そこで客死した阿部仲麻呂の亡霊。真備は彼を仲間にすることに成功する。

夜が明けてもピンピンしている真備を見て唐の皇帝サイドはびっくり。高官たちは夜通し密談して、今度は難しいテストを受けさせることに。ちなみにこのとき、下っ端たちはぐーぐー寝倒しています。で、真備はというと、仲麻呂の幽鬼パワーを借りて宮殿まで空を飛んでやってきて(ちゃんと飛んでる絵がある)、恥ずかしげもなく試験問題を盗み聞きし、見事、歴史ある「文選」の読みあげに大成功! 「文選なんて、日本では子どもでも読めますよ」とうそぶく真備。ならば、と相手は囲碁対決を指示。これにはさすがの真備も苦戦したものの、最後、なんたることか石をひとつふたつゴックンと飲み下して勝利! ずるっこだぞ、きたねーぞ、真備! こうして唐サイドをこてんぱんにやっつけた真備は、「文選」や囲碁を日本に持ち帰るのでした、チャンチャン。

…って面白えギャグ本だな! いかにも後白河さんが好きそうな話でニラニラが止まりませんでした。

◆第3章: 静寂と輝き―中世水墨画と初期狩野派
鎌倉時代から室町時代にかけての水墨画、その高雅な世界。「山水図」など、わけもわからずともこういうのを美しいと思うのは日本人のDNAだろうか。京都のお寺、枯山水の石庭なんかを見たときと同じような気持ちになる。とはいえ、ここでの一番人気はおそらく「松に麝香猫図屏風」

花に木に鳥、そして山水。その中心にいるのは、なんとお猫ちゃん。この子がほんとに、かわいいのがぶさいくなのか、上品なのか妖かしなのか判断しかねる、独特な顔をしていて、吸い込まれそうになる。もうひとつ、白衣観音図」

岩窟の中に浮かび上がるように見える観音。どうしてこんなに印象が強いんだろう?としばし絵の前に立ち止まって考える。観音らしく(?)ひだのたっぷりとしたとした白衣を着ているのだが、この襞たちや輪郭がちょっとびっくりするほど太くしっかりした線で描かれてるからか? その部分はなんだか現代的にも見える気がして。

◆第4章:華ひらく近世絵画
狩野探幽尾形光琳長谷川等伯。有名な絵師の作品がずらりと並ぶ。「これを売っちゃったか…」とか軽く思うぐらいだ。てか、彼らは一生でどれくらいの数の作品を描いたんだろうか?(むろん寿命等々で個人差はあるのだろうが) あと、時代が下るごとに、絵のサイズが大きくなってゆく感じがするんだけど、これは単に保存されたかどうかの問題なんですかね? 

やはりひときわ目を引くのは等伯「龍虎図屏風」で、これはやはり本物…少なくとも本物と同サイズで見る価値はある。龍と虎との間に、ものすごい距離があるんだわ。それはもう、ワイドテレビなんかメじゃないってくらいの距離が。その迫力、その緊張感。こんな不穏なもの、どこの屏風として飾られていたのであろうか。


狩野永徳の筆によると伝わる「韃靼人朝貢図屏風」。第2章の「入唐絵巻」もそうだが、飛行機も映像もない時代、外国人の風俗を細かく描くのも、それを見るのも、今とはまったく難易度も意味も違ったんだろうなと思う。「西欧王侯図押絵貼屏風」は驚嘆の異色作。

安土桃山時代の作品だろうが、言われなければ、しろうとには日本で描かれたものだとはとても思えない。作者は不明とのこと。渡来した西欧人が描いたのだろうか。ボストン側の調査で、西洋の画材が使われていることがわかっているという。

◆第5賞: 奇才 曽我蕭白
なんといっても今回の目玉は曽我蕭白の「雲龍図」でしょう。展覧会のポスターを飾り、チケットにもあしらわれているのは、この文字通りの「目玉の絵」。

なんでも、今回、修復がなされ、初めて公開が可能になった作品らしい。これも幅十数メートルもあって、しかも公開されているのは「部分」なのだという。龍の顔だけで襖1枚からはみ出しているのだ。しかも、この人(龍)は、これは、どういう表情なんだろうか?


「商山四皓図屏風」が好きだった。商山四皓とは、中国の古代、乱世を避けて商山に隠遁した4人の賢者のことで、彼らはみな髭と眉が真っ白だった…とのことだけど、それは、単に「年をとったから」じゃなくて人種が違う、的な意味なんだろうと思う。髪は黒く描かれていたようだったから。

間近で見たのに「ようだったから」などと曖昧な書き方なのは、この絵の筆致がひどく独特だから。背景は普通に、緻密に描きこんでいながら、肝心の4人は乱暴といえるほど、ほとんど輪郭だけで描いている。しかもその輪郭は太い太い筆で、おそらく一気呵成に描かれている。全体のタッチに、松本大洋の漫画「竹光侍」を思い出した。もちろん、あちらが、水墨画など伝統的な日本画を参考にした画風なのだし、彼以外にも日本画に着想を得て描く人はいるんだろうけど、なんか、そういうふうに、「今」につながる感じが、すごくある。

曽我蕭白は江戸時代当時から「異端」「狂気」の画家とされ、贋作が多く、つまり人気も高かったのだろうが、近年になってさらに注目を浴びている画家だという。私も、彼の存在を知ったのは最近だと思う。いえね、私が昔の絵を見るようになったのは、高校の日本史の「図録」がきっかけで。小さく載ってる光琳やら北斎やら清方やらを見て「ほえー美しいーすばらしいー」と何となく思って、大学生以降、時々美術展に足を運ぶようになったわけで。厳しい受験戦争に晒されていたからかなりの絵師の名前も覚えた。けど、それらの中に蕭白はなかったと思う。これは、伊藤若冲も同じ。だから何?て話だけど、なんだか面白いのだ。これからも、中世や近世の絵師の、割とマニアックだった人が、いきなり流行りだすこともあるのかなーと思うと。で、その一大コレクションが外国にあるっていうね(爆)

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夫に告げておいた制限時間「一時間ちょっと」を超えてしまったが、急いで半券を片手に、別の展示場へ。

「江戸の粋、印籠」

印籠ってあの、水戸黄門のやつです。あれって偉い人がもつ名刺みたいなもんかと思ってたら、まあ黄門様の場合はそうなんだけど、本来は「常備薬を入れる」という実用的で一般的なグッズだったらしい。ピルケースですね。なんで、今回の展覧会の後援には「日本医師会」の名も見えるというわけ。

ピルケースの展示…? というと不思議なんだけど、この印籠、男性の装身具でもあったらしい。江戸っ子男子、洒落とりますなあ! ZIPPOに凝るみたいなもんかね。ほんとに大きさがそんな感じ。作り方を説明したパネルもあったけど、なんかすごい技術だなーと思った、私が不器用者だからかもしれんが…。むろん工場も機械もない時代、専門の職人が作っていたのだ。

大きさや素材や色合いや絵、ほんっとうにさまざまで、おしゃれで豪華で、ほんとうにZIPPOのショーケースを見てるみたいだった(違)。これが江戸時代のものだなんて信じられないくらいにキラッキラしてた。しかも、なんで会場のあちこちにフィンランドフィンランド書いてあるかと思ったら、これらはフィンランドのクレス夫妻のコレクションらしい! 世界的な印籠コレクターでいらっしゃるらしいのだ!!

区切ったスペースには、印籠の根元に、落ちないように結びつける「根付」のコレクションもあった。これがまた、さまざまな素材、モチーフの数々。こちらはなんと、高円宮ご夫妻のコレクション。ご夫妻は世界的な根付コレクターでいらっしゃるらしいのだ…! 急いで見たけど、なんか、くらくらする世界であった。世界は広く、細かい。世界はすばらしい…。

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ここでタイムアウト。夫・息子と合流し、天満宮内の茶店で、梅が枝餅とお茶をいただく。息子は寒空もなんのその、ソフトクリーム。

紅白の梅の花が、もう開いている木も。