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大人として親として

ちょっと、お酒も入ってるんで、ダラダラと書きますねー。だらだらはいつものことだけど。鬱陶しいんでたたみます。コメントとかは歓迎です…


このあたりって、軽く文教地区っぽさがあるっていうか、高所得の家庭や私立の学校もチラホラあるし、教育熱心な雰囲気があるなーって印象。幼稚園は三年保育の前年に「未就園」って呼ばれる週数回のクラスが隆盛してて、人気の園の場合、未就園から入っている子を優先に三年保育にも入園させるので、結果として、未就園への入園が抽選になったり、未就園の入園選考のために親が作文を書かされたり、両親そろっての面接があったり、願書をもらうために早朝から並ぶことになったりする。びびる。

入ったら入ったで、英語をやったり、なんかでっかいホールを借り切って発表会をやったり、謝恩会の場所がホテルだったりもするらしい。びびる。んで、降園後にも、希望者向けに専門の講師がやってきて、体育的なものだの、英会話だののいわゆる「お稽古ごと」を幼稚園で開催してたりもする。もちろん、幼稚園以外でのお稽古ごともさかんで、サクの周囲を見ても、1歳を過ぎたあたりから、スイミングとかリトミックとかで何かしらの習い事をしてる子は少なくない。ほんとに、少なくないのである。

それらのすべてが教育ママ&パパ的な考えで行われているわけではもちろんなく、親子ともども週に一度の気分転換を兼ねてとか、小児ぜんそく対策とか、幼稚園にもなれば子どもが自分からならいごとを「やりたい!」と言いだす場合もあるだろうし、実際に人気がある幼稚園って、確かに設備も先生もとてもいい雰囲気だったりするから自然と惹かれるのもよくわかる。

子どもの幼稚園の3年保育開始時に転勤でこのあたりにきた友だちがいて、それほど深く考えず、「良さそうな園だから」と人気園を選択。未就園をすっとばしてるのに、運よく入園できた。しかし、周りのママさんたちは未就園時代からできてる仲良しグループが多いし、それこそみんな習い事もさせてるし、どうもいいとこの家庭が多いのか母子していい服着てたりして、園の出ごとがあるたびに憂鬱になるという。で、もともと「幼稚園でならいごとなんて」と言ってたけど、今は「みんな何かやってるしね…」と、スイミングに通わせているらしい。月謝も比較的高い幼稚園で、今はきょうだいふたりを通わせている(きょうだい割引はなし)ので、家計はとっても大変らしい。私が「でも、それは限られた時間だしね。上の子が卒園したらだいぶ楽になるよね」と言うと、「小学校に入ったら入ったで、新たに習い事始める子が多いのよ〜。幼稚園では卒園生向けにもいろんな講座があるの。うちもどうしよう〜」ですって。何その囲い込み! ここまでくるとホラーだよね!

話を聞いただけでガクブルなんで、私は要選考の幼稚園は片っぱしから避けました。や、人気園もみんながみんなセレブじゃないはずだよ。でも、子ども向けの習い事とかって、ほんとによくできてて、「お勉強」「優等生づくり」「型はめ」的な雰囲気はまったくなくて、ひたすら「子どもが楽しめる」作りになってるので、子どもの笑顔を見ると「それじゃあ…」みたいな気持ちになっちゃうんだよねー。園バスのバス停で毎朝毎昼いっしょになるお母さんに話を聞いたりすると、影響されちゃったりするんだよねー。

固定費増額断固反対の私、根がズボラでマメな教育なんてできそうにない私。かといって、鉄の女にはなれない。周りが気になって心が揺れるのはイヤだ。

そう、件の友だちを見てると、心が揺れててほんとにしんどそうで。「あるていどは割り切りでしょ」「医者や弁護士の家と同じ教育はできないよ」「よくよく見渡したら、やってないとこもいっぱいあるって」とかも言ってみるんだけど、それで割り切れるぐらいなら揺れないだろうし。愚痴って、そういう“対策”を求めてるわけじゃないもんだしね。だから、うんうんと頷きつつ、まあ、こっちも好奇心半分で、ガクブルしつつも興味しんしんで聞いてたりもするんだけど。

で、聞いてると、心が揺れるのって、やっぱり判断基準が弱いからなんだよなーとも思う。習いごとひとつとっても、ポジティブに考えられる側面だっていろいろあるのだ。「子どもが楽しんでるし」「集中したり打ちこんだりすることが身につくし」「友だちが増えるし」そして「月にいくらまでなら我が家は出せる」。

彼女の家の場合、家計簿をつけるなどはダンナさんの役割で、彼女は収支の把握をしていないらしい。光熱費や通信費は請求書や明細でわかるけど、家や車のローンの支払いにはノータッチ。おうちが総額おいくらで、おいくらのローンを組んだのか、月々の支払いがいくらなのかも知らない(というか、何度か聞いたけどすぐ忘れる。そしてすぐ忘れるのでダンナさんはもう教えてくれなくなった)らしい。ダンナさんにもらう月々のお金から、食費や日用品、医療費などを捻出し、足りない場合などはまたいくらかもらう、とのこと。ちなみに、彼女のお小遣いってものもない。

「わたし家計簿とか数字とか全然ダメだし、旦那はそこんとこマメだし。でも、基本的に「俺が稼いだお金、俺が好きに使って何が悪い」って人だから、そこの金額や内訳はまったく開示なし。ただ、余裕がないことは常々言われてるから、なかなか「これが買いたい、あれが買いたい」と私からは言えないのよね…」

いやあ、それで家庭円満にいってるなら何の問題もないし、うまくいってなくても、他人が口出しする問題じゃない。けど、彼女(の関係者)がここを見ることはないだろうから書かせてください。ってか、彼女が昔から好きなんで、見かねて本人にもときどき言ってしまうんだけど、

「金勘定はめんどくさい。けど、めんどくさい思いをするだけの価値はある」。

だって、子どもの習い事の月に五千円(かどうかは知らんが)の月謝が、家計にとってどれくらいの重さがあるのか、彼女はわかってないんですよ。つまり、「これで五千円ならじゅうぶん元はとれてるな」とか「我が家の場合、教育費はあと五千円までが限界だな」とかの目安の感覚がない。「習い事させてるけど、ほんとにこれでいいのかしら…みんなしてるし、もっとさせるべきかしら…」みたいな不安には、おさいふ感覚の欠如も関係してると思うんだ。ものさしを持たずに家具家電は買えません(酔っぱらいが即興で格言を作ってみました)。

ダンナさんには食費等のギリギリのお金しかもらってないから、急な出費や特別な出費に弱くて、「ちょっと子どもに本や服を買ってあげよう」とか「たまにはママ友と外で食事を」みたいな日々の裁量ももっていないし、「この調子なら、来春ぐらいにはちょっと旅行に行けそうだね」とか「車の買い替えは○年先まで我慢しようね」みたいな長期的な展望を夫婦で話すこともないらしい。

なんか、めんどくさい部分だけじゃなくて、人生の楽しい部分、豊かな部分も手放して、余計な不安を抱えてるように思えてね。お小遣いがないから、ダンナさんに記念日のプレゼントを買うこともないんだって。「ま、プレゼント選んだりするのも苦手だし。料理もお菓子作りも嫌いだし。その分、こっちももらわないしね」って。や、「あげないからもらわない」夫婦もいっぱいいるし、うちも心ばかりのことしかしないけど、彼女からは夫婦仲についての愚痴も聞いてるし…。

そこらへん、ダンナさんが、うまく解説したり情報開示したりすればいいのにな、とも思うんだけど、いかんせん、本人にそういう意欲がないしなー。以前、「どんなに少なくても、お小遣いの制度は何かしら作りなよー」って言ったことあるんだよね。だってダンナさんだってそれなりに使っているようだし、家事育児だって労働のうち。もらう権利は十分にあるでしょ? お小遣いがあれば、その範囲内で罪悪感なく外食なり自分の買い物なりできるし、年に一度くらいはダンナにプレゼントあげたりしてさ。あげたら、相手だって返してくれるだろうし。や、金かければいいってもんじゃないけど、長く一緒に暮らしてるからこそ、時々は感謝の気持ちを形にすることって大事だし、プレゼントってやっぱり、「自分のために選んでくれた労力」みたいなものがうれしい部分もあるしさー。

しかし、お小遣い制度を創設するには、「アンタいくらが妥当かわかる? わかんないでしょ? 家計簿もつけられない人なんだから」みたいなダンナさんを説得するという高い高いハードルがあって、そこに挑む気にはなかなかなれないらしい。ちょっとね、彼もモラハラなんじゃないかと思うんだけどね。よそのお宅のことを勝手に推し量るのはよくないことなんだけどさ。もとよりうぬぼれなんてものからは程遠い彼女だけど、かつてはこんなに自己評価低かったかな?と。価値観にかけ離れているところがあっても、かつても今も彼女が好きだし親しく思っているので、歯がゆい部分もあってね。

てか、人のことをこんなに長々と書き連ねてもしょうがない。ま、住宅ローンを組む時は、利子総額とか、月々の元利の内訳まで把握しなきゃ気が済まないような私も私で異常なんでね…ははは。

物事を選択したり、判断したりするのには、ものさしが必要って話。

今のところ、子どもにお金や時間をかけることには消極的な私だけど、「どういう人間に育ってほしいかなー」とか「どういう親になりたいかなー」と夢想することは時々ある(いま、一発目で“無双”って出ましたよw)。

優しい子とか強い子とかってのはもちろんなんだけど(そしてそれが一番難しいんだろうけど)「塾とか行かずにそれなりに勉強できてくれたらなー」とか。成績っていうより、やっぱり、読み・書き・そろばん(計算)って生きていくうえでの力だから。てか、私自身が、お金をかけず、親も教育不熱心だったのに、なかなか成績の良い子で、ちゃんとそれなりに勉強してたのはなんだったんだぜ?と。 うちの親、実はテクニシャンだったのか? や、あれはどう考えても教育に無関心ゆえの不干渉だったよな。けど、あれはあれで親として首尾一貫した立派な態度ではあったよな…とか思い出したり。

テストや、受験のときですら、ほんと日々、淡々としてたもんなー。「早く寝なさいよ」と言われこそすれ、「勉強だいじょうぶなの」的なことは皆無。たとえばテストの日の朝は「がんばってね」と送り出されていたけれど、そこには、「いい点を取ってね!」ではなく、完全に「がんばった成果が出せるといいね」の意味しかない雰囲気があった。だから、点数が良くて「よかったねー、すごいのねー」だろうと、私が望んだより悪い点数で「残念だったねー、次がんばってねー」だろうと、ほんとにたった一言でしかなく、親には私の成績とかどうってことない話で、勉強とか成績とかは、本当に自分(だけ)の問題でしかないと、自然に悟っていた面がある。

ま、自分の話はともかく(ここまで書いといて?!)、夫は高校も大学も私立でしかも浪人経験までしていて、それはそれで恵まれた子ども時代・学生時代だったことを本人が実感している(夫の実家とて、少なくとも当時はそれほど余裕がなかったし、夫の父は文字通りの苦学生だったようだ)のも大事だし、なんといっても夫には彼の両親譲りの性格の良さ、まっとうさがあるので、何よりそこはサクに引き継がれてほしいものだとつねづね思っている。

中学、高校、大学と、教育費はどんどん増えていくはずなので、なるべくそれまではお金をかけずに子育てしたいな、とか。それで、まわりより劣後するってことはないはずだ、とか。子どもが小学校に入学したら、習いごとより何より、まず新聞をとろう、とか(とりあえず自分が読むためにw)。今、自分が会うのってママ仲間が中心だったりするけど、そこで俎上にあげるかどうかは別として、子育てしか話題(興味)のない人間にはなりたくないなーとか。

子どもにとって「ちゃんとした大人」でいたいと思う。ある意味の、圧倒的な存在、というか。子どもはだんだん、いろんなことに気づくと思う。がんばってもできないことがあること。望んでも叶えられないことがあること。人が平等でないこと。人間の業。アイドルが丸刈りにしたり日本代表で体罰があったりすること。ねじれ国会、一票の格差、アベノミクス、領土問題、東アジアの歴史、そして少子化や高齢化、資源や電力…。

産んでしまった以上、子どもにはいろんな問題に気づき、向き合いながら年を重ねてほしいし、親としては、何を聞かれても「わかんない」「興味がない」と簡単に言いたくない。大人は、いろんな知識があり、興味関心があり、考えがあって然るべき存在だと思ってほしい(そうじゃない大人もたくさんいることも、おいおい学んでほしいが、我が子には、そうはなってほしくない)。もちろん、しかるべき時期がきたら、親の考えに疑問をもったり、自分の生き方を模索してほしいとも思う。

一方で、子どもには、仕事もそうだし、家事や雑事をする姿も見せたいけど、同じくらい、「好きなこと」をする姿も見せたいなーとも思う。大人にはいろいろな義務や責任があると同時に、大人になったほうが自由で楽しい(部分もある)、って自然に思えるようになってほしい。本当に、子どものほうがつらい部分ってあると思うし(←世界が狭いから)。親が、子どもがどうだろうと関係なく楽しそうだ、ってのは、私の理想のひとつだ。