『泣くな、はらちゃん』 第3話
ピュアすぎるはらちゃんに面くらったり腹を立てたりしつつも、安易に排除しない周囲の人々にほっこりする。そのやりとりにくすくす笑ったりもする。今回で言えば、はらちゃんに、越前さんと両思いになるにはどうしたらいいかと聞かれた田中(なんか呼び捨てしたくなる。親愛をこめた呼び捨てね)が、「いや、だから、僕も越前さんを好きなんですよ」と答えた後の、
はらちゃん 「そうなんですか?!」
田中 「そうなんです!」
はらちゃん 「で、どうしたらいいですか? 越前さんと両思いになるには」
田中 「えっ? ひっかかりとかなし?」
とか、新作かまぼこのアイデアを練っているとき、「越前さん以外で」いちばん好きなものは何か、と聞かれたはらちゃんが「うーん…あっ、猫です!」と答えた瞬間に、間髪いれず「それは無理よね」と真顔で否定する、でも決してそれ以上の否定ではない はらちゃんのお母さんとか。白石加代子は、この枠のこの手のドラマに欠かせない人材ですよな〜。小林聡美の母であり爆笑問題田中の母でありそして麻生久美子の母でもある。
弟のヒロシはバカでウザいし、越前さんにやたらと絡むあくまさんも自意識過剰で鬱陶しいんだけど、ていうかそもそも、「自己評価が低すぎ」で卑屈で、薬師丸ひろこにマンガの話をふられると嬉々として語る越前さんもイタい存在なんだけど、なんかいらいらしないんだなー。この空気感はすごい。
舞台が三崎、ってのも絶妙だと思う。といって、三崎の何を知っているのかと言われると困るんですけど、作家のいしいしんじが一時期、三崎に住んでいて、そこでの生活を日記に書き、本を出しているのを愛読してました。その一冊、「三崎日和」のまえがきを引きます。
いっときは日本でいちばん、ということは世界で有数なほど繁栄した港の、記憶にすがるのではなく誇りをもっていまを笑う。三崎日和とはだから夕暮れをそこにふくんでいる空の晴天である。老人も子どもも皆それぞれの夕暮れの風景を胸にもち、にじみだすその光が三崎の人、という独特の表情や気配をうんでいる気がする。それぞれがそのひとりなのだ。
通りを歩いていてよく「ア」とおもう人とすれ違う。外国人やフーテンや怪我人ややくざ、金もうけに向かない人やアル中やもと自衛官やもと教師、からだがねじまがったような人や頭がぱっくり開いている人、そういう人らが波に打ちあげられるように三崎の下町に流れ着き、大波でまたどこか別のところへ運ばれていきそうなたよりなさをたたえ、それぞれの場所に辛うじてひっかかっている。五十年くらい隣の店でバーテンをやっている佐々木さんでも山梨うまれなので、「俺ぁ旅のもんだから」ばかりいっている。
そうなってしまった、ということでいえば僕もそのうちのひとりで、「住んでる」というより「ひっかかっている」のに近く、ときどき別のところへ波で運ばれていっては気づけばまた三崎の家に打ちあげられている。
(中略)そこにはノスタルジーはなく切実ないまがあり日々ただそれがつづいていくのだ。
- 作者: いしいしんじ
- 出版社/メーカー: 新潮社
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しかし、かまぼこも海老ピラフも、犬も猫も亀も、「寝る」も知らないはらちゃんと恋に落ちるのはすごくハードルが高いことで、でもだからこそ、恋におちたらものすごい純愛だってことよね。海を臨むところに腰かけて、目を閉じ「ないない」とひとりごちる越前さん。ひとりの時間にはらちゃんを思い出してる。その顔は微笑んでる。それはすでに、すでに、恋の萌芽なのでは…!