『八重の桜』 第5話「松陰の遺言」

脚本と役者の熱演が相まって、すばらしい回になったと思います! 

吉田松陰って、一種、不思議なイメージの人。松下村塾で多くの志士を育てた先生であり、けれどその弟子たちが舵を取る幕末の長州は超過激藩で、自身も黒船に乗って密航する計画を建てるなど、奇行に近い行動の数々もクローズアップされる。秀才で開明派、純粋で、アブない行動人で、志士たちの思想的リーダー。それらの、あちこちにとんがったイメージを、小栗旬の松陰は矛盾なく見せてくれた。彼は謹厳に教鞭を取る先生ではないし、かといって、ややもすれば単なる「変人」みたいに描かれるときもあるけど、それも違うと思うのね。あれだけの人材を、あの若さで惹きつけ啓蒙したんだから、稀有な魅力があったに違いないのだ。

「人が変わったように激しい攘夷派になって…」とか「自ら罪を告白した」という伝聞に悩む覚馬の姿は、そのまま、後世の私たちの、松陰の人物像に対する戸惑い、不可解につながっている。ドラマがそれを、学芸会的に説明し尽くさなかったのも良かった。刑死、ではあるけれど“自ら望んで諫死した”に近い、という解釈(だよね?)。

師匠筋の佐久間象山勝海舟が「なぜ死に急ぐ」と嘆くのだが、それ以前から萩で獄に繋がれ自由に動けない中で心底の憂国に沈む彼が、大獄で江戸へ送られるに及び、下手に遠島などで生き永らえるよりも(実際に遠島になりそうだったのだ)「死んで捨て石になるしかない」と思い込んだ、という筋書きには納得がいった。そして、目論見通り、彼の死は日本中の志士たちに衝撃を与え、奮い立たせたのだ。若き日の松陰が、会津を始め、日本中を旅し、長崎や江戸で遊学して多くの人と交わったのも史実なのだから。

なんといってもね、そういう背景や人となりを、この短さで描く脚本がハンパない。辞世の歌も、「天朝も幕府も藩もいらん!」の平等説も、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」の名言も、梅田雲浜一派との談合疑惑→老中暗殺計画告白の流れも。これだけ盛り込んで、それが単なるあらすじでなかった。役人に食ってかかる小栗旬の演技は白眉。圧倒された役人たちが思わず捕縛の手をゆるめるんだけど、それも大げさな演出に感じない迫力だった。当然ながら、ただ睨んだり叫んだりするだけの演技ではこういう感動は得られない。天性なのか、技量なのか、両方か。

ところで小栗旬といえば、藤原竜也と同じく、若いころからその才能を蜷川幸雄に愛される舞台俳優でもあるが、このふたり、どうかすると似てる…とずっと思ってきた。小栗さんは男っぽく、藤原さんは童顔ってイメージだけど、鋭角的な輪郭とか、はきはきとした割舌とかに共通するものを感じる。今回もやはりそう思いながら見てた。藤原さんも、そろそろまた、大河に出てくれませんかね。

あと、(なんか毎週書いてるようですが)生瀬さんの勝に未だに慣れなくて、「むむっ 松陰がふたり!?」みたいな状態に、自分の中でなってるw

閑話休題、今回は、勝&尚之助のぶらり横浜旅〜蘭語じゃないよ英語だよの異文化交流…からの、目の前での攘夷! というアバンタイトルも秀逸でしたよね。世相ってもんがガツンと視聴者に迫ってきた。そしてそれは、いまだ平穏な暮らしが続いている会津、山本家にも及びます。母、風吹ジュン&お吉さんの「くすくす、おめでた〜」「仲睦まじいことで〜」「やだもう!」みたいな、大年増同士の含み笑いでの小突き合いww

畑仕事を通じて八重とうらとが心を通わせるのにほっこりする。苗や茎に「立派に育てよ〜」と声がけをするうらさん、実はじゅうぶん「武家の女にしては変わった」性格で、道は違えど同じオタク道をまい進する八重さんの琴線にえらく触れたようです
w てのは冗談にしても、先週の母親の「うらの仕事にはいつも心がこもってる」をきっかけに、違う視点からうらを見て、心を開いていく八重がいい。女主人公を、「いい子だね〜」って素直に思えるのはすばらしいことです(過去の経験から、力をこめて言う)。

で、謎の攘夷志士に一度ならず二度までも体当たりするうら! こうもり傘=武器になる!と瞬時に悟って丸める弟! ビー玉の八重! 傘ナイススロー&ナイスキャッチ!の抜群の兄弟プレー! と、いきなりの襲撃に対する山本家の対応力&団結力パネェ!!!!!! という驚愕・感嘆に、銃を持ち出し構える尚之助がトドメをさすwww 逃げろ暴漢、そいつは本気で撃つぞ、愛しの覚馬が狙われた怒りにまかせて!!! と一瞬で視聴者の妄想を膨らまさせる脚本が憎いぜ(違)。

その後の、もの思いに沈むあんつぁまの心中を洩らさず解説する尚さん。本人が一言も言わなくても、すべてお見通しなのですよ! 理系脳で、涼しい顔していろんなものを見てて、控え目(けれどホントはハートに火がつきやすい)な尚之助が、あんつぁま大好きで知りたがり少女の八重さん(&視聴者)にいろんな解説をしてくれます。これも、とってつけた感のない(そして腐女子にメシウマな)設定で、毎回、ホントうまい(巧い&美味いw)ですよね。

あんつぁま今回は襲撃が突然過ぎて脱ぐヒマがありませんでしたがw(たった一度脱いだだけでも、視聴者はこうして一年間、言い続けるのであろう…w)、雪の中、松陰を思いその志を噛みしめて、はらはらと涙を流す姿が超美しかったでっす!

桜田門外はあっさりでしたが、あれぐらいの按配で良かったと思います。殺伐としたシーンでゆったりとした音楽を流すのは先週の安政の大獄と一緒じゃーん!と思いましたが、加害者になり被害者にもなった…という対比の意味をこめた演出だったのかもしれない。

で、いろいろハードなシーンのお口直しも兼ねつつ、最後は彼岸獅子でワッショイ。すべてにおいて(あくまで一見、だが)良識的に振る舞うこの大河が、唯一、物議を醸す(笑)大仰な効果音とともに渦中に飛び込む八重さんw かつて一緒にやんちゃしてたアイツが立派な大人の男になってて、ヤツは彼女が気になってて、彼女の親友は奴のことを切ない眼差しで見つめてて…みたいな王道の三角関係を無音で仄めかす高等技術w ちゃっかり手をつないで微笑み合う若夫婦w あんつぁまのこと以外では空気を読まない尚さん。良いシーンでした〜! 

玉鉄、大英才の役ね。大丈夫かしら。あら、なぜ心配になってしまうのかしら。「天地人」の上杉景虎では、眉目秀麗な御曹司で違和感なかったのに、数年でこのギャップ。や、それだけ愛してるってことですけどね。ちなみに彼岸獅子&玉鉄のコンビは再登場ありますよ!

そしてそして、のどかにだけは終われません。大老暗殺後の水戸藩処分について、あんつぁまは意見書を提出。「分際を弁えろ、微禄者が」と本人の頭を押さえつつ、ちゃんとお偉方にかけあう西田敏行の上司っぷりがいいですね。覚馬本人が乗り出すと、また暴走して「井の中の蛙だ!」事件の二の舞になる。でももっともな意見だから握りつぶさず、自分が責任をもって上申する。ってことですよね。お偉方は保守的スタンスから却下。とはいえそれでは終わりません。

あ、今回、殿さま立ち上がるシーンありましたね! 火急の知らせが入って驚きつつバサッと、て所作だったけど、わたくし的には、やんごとなき育ちの大身の殿様には、こんなときでも「スッ」と音もなく立って欲しかったなあ。とまれ、綾野さんの華奢ななで肩、薄い胸板に和服は、肩衣があるときもないときも、ハァハァもんですなあ…

閑話休題会津の殿さまは、自分の判断で、幕府と水戸藩との和平を保とうと意見しちゃうんですなあ。これも、容保の性格や、過日の大老とのやりとりを思うと、ごく自然な成り行き。

「それがしは、水戸様を討ってはならぬと存じまする。大老を害したは脱藩した者ども。これをもって水戸藩を罰しては筋が通りませぬ。今、国内にて相争うは慎むべきと存じまする」感情的になるのではなく、意をこめつつも粛々とした口ぶり、過不足ない文言で申し述べて、また沈黙に戻る…ってのが、いかにもご親藩の殿さまらしくて、いい!未だ微禄の軽輩である覚馬と殿さまとが、巧まずとも不思議と意が通じ合う、てのもいいですね。

黒船が来て、開国を迫られる。揺れる国内で独裁をふるう大老安政の大獄は傑物を殺したが、さらに志士達の奮起が促される一方、鉈をふるった本人自身をも屠ることになる。そして、無用の争いを避け筋を通した意見が、やがて会津にもたらす運命…もたもたしがちな大河の前半で、これだけのスピード感、必然的なつながりをもって歴史が描かれるのは本当にすばらしいことです。

きっと、幕末の2百有余藩の中では立派な藩主のうちだったろうに、英邁で高潔な人柄ゆえに重いものを背負わされる人がいるのも歴史のいたずらであり歴史の常でもあり、とにかく胸をつかまれます。予告の殿さま…!