『円朝の女』 松井今朝子

円朝の女 (文春文庫)

円朝の女 (文春文庫)

さすがは松井さん。講談調の地の文が絶品。硬軟とりまぜた江戸弁で語られる今回は、5編の連作を通じて三遊亭円朝の五厘(マネージャーのようなもの)が語るということで、年や職の異なる男女16人を語り手として書き分けた直木賞受賞作「吉原手引草」より、むしろ読みやすさもある。

幕臣の姫君や江戸じゅうに聞こえた名妓、身寄りをなくした娘など円朝と深いゆかりをもった5人の女をそれぞれの短編で描いてゆく。男女の機微のエグいところを剥きだしにしながらも突っつきすぎない筆加減が絶妙。これはやっぱり若いころから歌舞伎を見たり制作に関わったりしてきたがゆえの名人芸、といったところだろうか。『あやつられ文楽鑑賞』(三浦しをん)なんかを読むと、やっぱり歌舞伎(や、その元になったものも多い文楽)の台本には古今変わらぬ人間真理の真髄が散りばめられているわけですよ。

同時に松井さんらしいのは、なんといっても「時代」の見つめ方、描き方。江戸から明治に変わりゆく東京の風景が、まるで見てきたのではないかというほど見事に描きこまれている。そこには「文明開化」などという明るくきれいな言葉だけでは到底あらわせない慌ただしさやキナ臭さもあり、それらを含めて「移り変わる時代を生きる人々」を書こうとする姿勢は、いつもながら時代小説家として筋金入りだが、彼女の場合そこに留まらない。冷徹な目で時代の中にひそむ普遍性を見つけだし、それを炙り出して現代人に提示する、文壇の中でも指折りの、バリバリ硬派の批評家肌じゃないかと思う。

最後は、語り手である“八っつぁん”自身の正体(?)が明らかになるという鮮やかなオチだが、そこで語られる述懐が胸に迫って、感心しながら目頭が熱くなった。幕末に始まった物語が日露戦争に向かう時期で幕となり、何かで名をなすでもなかったちっぽけな市井の人間が、己が人生を通じて見えた「時代」を語るとき、そこには言いようのない重みが宿り、私たちは深い共感を寄せずにはいられない。

惜しむらくは、“大円朝”と呼ばれる噺家の偉大さのゆえんがいまいちつかみづらいことだが、これは円朝と女たちとの物語が主題であるから仕方ないのかもしれない。ともかく、作者の匠の技は見事に結実し、小説のすばらしさを存分に味わわせてくれる。