師走の六 / 勘三郎追悼特番

●12月某日: さぶい。全然、公園日和じゃない。でも行く…。ちょっと足をのばしてたまにしかいかないところ。大きい階段、大きいすべり台をメインに遊ぶようになってる。サッカーごっこ。急こう配の芝生の丘を昇り降り。それからサクのインフルエンザ゙予防接種2回目。待合室でははしゃいでいたが、看護師さんに名前を呼ばれた瞬間、一気にテンションが下がった。前回の記憶も鮮やかに残っているのだろう、診察室に入るやいなや大抵抗。それだけ騒いどいて、終わると、「どうかしました?」的にすぐにケロっとする。パソコンの調子が悪い。ちょっと激しい仕事をさせただけでカッカして、湯気を出す勢い。だましだましやってる。そろそろほんとに、HDの寿命かな…。

フジテレビでやった勘三郎の追悼特番、録画を見る。逝去当日の勘九郎の口上は見事だった。この人たぶん、もともと口上がうまいんだと思う(口上には歌舞伎役者の格やキャリアが如実に滲み出る、とは松井今朝子の言。勘九郎の場合、口上っていうか芝居自体うまいんだろうと思うけど)けど、ここぞというときにこれだけのことが言えるのはすごい。平静なトーンで襲名の謝辞を述べるところから始まって(このとき、面立ちにも声にも勘三郎の面影が色濃く見えることにも驚かされる)、父への思いを語る時はしばし言葉に詰まりつつも、前へ進む決意を述べ、一門のお弟子の名前をずらずらっと一息に呼び上げて、「いずれも様の*1暖かいご声援、また厳しいご叱咤」といったん切って、やや声を落とし、「そして、父のことを忘れないでください」そのあと間をおかず、「なにとぞ、請い願い奉る次第にござりまする〜〜〜〜」の大音声で締め。とにかくこの間の3,4分、顔を上げているときは一度たりとも目を伏せず、こみあげる涙をこらえて大きく見開いたままだった。役者だ! 数十年後、それこそ勘三郎を知らない世代の鑑賞にも堪えうる、鬼気迫る、ぐっとくる口上だったと思う。

父について語った内容では、「父の魂こもりし勘九郎の名前」、「親子は一世、という言葉がございまして、芝居でございますけど」、「人一倍の悔しがり屋でございました」(と微笑む)、「もう皆さま(観客)の笑顔が見られないのです。無念だと思います」、「そういう父でした」など、随所の表現がすごく印象的だった。

●12月某日: 今度出産する友だちに貸すかもしれないので、久しくしまっておいたベビービョルンの抱っこひもや授乳クッションのカバーを洗濯。すると夕方、取り込んだのを見てサク、「しゅっぱつ! しゅっぱつする!」とうるさい。突然なんなんだ? と思ったら、その抱っこひもで抱いて出かけろと言っているらしい。無理だよと言っても承知しないので、なんとなく装着して(小柄のサクとはいえ、さすがに留め具がきれいに留まらない)家の中を練り歩いてやると、なんとか納得したもよう。クリスマスというものを認識しだしたらしく、町やテレビのあちこちで見るツリー(家にはありません笑)を指さして「クリスマスツリーじゃない?」と言ったり、「ジングルベル」を歌ったりする。サンタの概念はまだ教えないぞ!っと。自分、こういうとこほんとドライなんだが、サクの枕元にサンタさんが来るのは再来年あたりからでいいと思ってる。うーん、来年はもうやばいかな。「サンタ業務はなるべく最短年数で終わらせたい。遅く始めて、早く終わる」と仲の良い友だちに言ったら笑ってくれたが、昨日きょうできたママ友には、さすがにここまであからさまには言えません。でも本音。夕食につくったチリコンカンが出色の出来だったのか、バカ売れ。

*1:口上では「みなさま」のことをこう言う