読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

大人になりたい

日々 moonshine

先日、妊娠9か月になっている友だちと遊んでるときにふと出た話。「周囲に、『もうすぐ出てくるのね〜早く会いたいわね〜楽しみでしょうがないでしょ!』て言われるけど、そういう感じでもないんだよね。赤ちゃんグッズにキャッキャウフフするでもないし。あと1か月もしたら、そら出てくるやろ、て感じ?」。意訳。

あー、私もそうだったかも、と思った。や、これは「自分の赤ちゃんに愛情がもてない問題」云々の話では、まったく、ありません。妊娠期間を通じて、彼女の「お腹の中の人」の楽しい逸話は、彼女やダンナさんのリアクション含めて様々聞いてきたし、彼女はしっかりした人。もちろん、これからの産前産後にはいろんな揺れがあるかもしれないけれど、少なくとも今のところはいつもの愉快な、頼りがいのある彼女なのだ。私にしたって、妊娠中は(腰痛とあばら痛に悩まされた以外は)至って順調で、ひどく楽しんだほうだと思う。ブログの[妊娠]カテゴリに残されている文章が浮かれ気分を物語ってもいる。

今の彼女と当時の自分が、同じ感覚だと決めつけたいわけでもない。とりあえず共通しているのは、出産間近=仕事が終わる!てことと。彼女は来週いっぱいで産休に入るし、自分は妊娠8か月の終わりで退職した。妊婦はなんせ自分の腹で育てているわけだから、胎児が大きくなっている実感、喜びはひしひしとあるけれども、第一子を産む前には、産後の生活を想像するにも限界があって、とりあえず「出産=会社に行かなくていい日々が始まる!」というリアリティのほうが大きい部分はあると思う。

私なんか、出産直前に「産後、実家でヒマした時間に読もう」なんつって、かねて読みたかった本を買い集めたり、再読したい本をピックアップして、リストまで作ったもんである。完全に何かを履き違えている(笑)。ただし、リストアップした20数冊のうち、実際に読めたのはたった数冊だったと記憶しているが、長い読書人生の中で忘れられない数冊であることはまちがいない。

二者択一するならば、私は自分の仕事が好きだった。けれど仕事にはとにかく時間が拘束される面がある。自分が仕事を辞めようと決意したのには、周辺にいろいろな理由があった*1のはもちろんだが、「これを機に、たった数年でもいい、仕事をしていたらできないことを思いきりやってみたい」という思いが強かったからではないかと思う。結婚してすぐさまの妊娠というわけでもないし、確たる根拠はないけれど、私たち夫婦はなんとなく子どもができにくいのかなと思っていた(いる)ので、授かったことは本当にうれしかった。子どもにも興味しんしんだった。それでも、「子育てが始まるのをきっかけに、自分のやりたいことに注力してみたい」って…とても自分らの親なんかには言えませんわな。表向きにはもちろん、これからは家庭(夫と子ども)を中心に生活したいから…てことでの退職ということになってます。

で、その、「やりたいこと」が、たとえば料理だったりハンドメイドだったり、子どもの教育だったりしないことで、同じく専業主婦のママさんたちの中にいても時々「ほんとすんません、こんなんで…」て気持ちになったりもするんだけど、一方で、「まあ、もともとそこを目指してるわけじゃないしね。」という変なポジティブさもある(笑)。もとより、全方位型を目指すほど身の程知らずじゃないのだ。

じゃあ、何がしたいのか? というと…いうと…「これだッ」と明確には言えるわけでなく…。実際、子どもが生まれて最初の数か月は夜も日もあけずおっぱい・おむつ・寝かしつけで行動は制限されるし、自分の場合、とある家族の事情も重なって、人生で最大に落ち込んでいた部分もある(今思えば軽いうつ状態だったような…)。とにかく最初の一年は、赤子の世話と同時並行で「それまでの自分を取り戻す」ための日々だったと思う。

それからは徐々にペースが定まって、出歩いたり、趣味に時間を費やしたり、酒を飲んだり(笑)できるようになった。とはいえ、「毎日」ってたいして何もしなくても、駆け足で過ぎてゆく。まるで幼子の成長のように、早い。

そんな中、せめてもの心がけとして、日々のいろいろを書き留めるようにはしてきた。見たり読んだりして感じ取ることを楽しみたい。苦もなく轆轤を操って見事な器を生み出す陶芸家のように、思うところを自在な言葉で表せるようになりたい。そんな漠とした気持ちが、日々、私に駄文を書かせ、その多くがここに墓碑銘のように晒されているわけである。なんせ今年など、清盛なんていう何につけても語りたくなるようなドラマもあったしね。

誰に強制されてるでもないから、肩肘はらず、楽しんでやっていることなんだけど、最近、容易に言葉にできないな、っていう強い感懐をもたらされた本がある。

西の魔女が死んだ」や「家守綺譚」で著名な梨木香歩が書いた「ぐるりのこと」。ジャンル分けするならエッセイになるんだろうし、しかも再読。なのに、心臓をぎゅーーーっと掴まれるような衝撃と、何か大声で叫び出したくなるような衝動が、読んでいる間じゅう続いていた。

いたって静かなトーンで、派手さのない一冊だ。連載当時に「彼女が感じ、考えていたこと」が毎章ごとに紡がれている。それらには、少年による殺人事件、対イラク戦争や、そこで起きた日本人人質事件など、タイムリーな社会的事件についての述懐も含まれている。彼女は、古今東西の事例や人の言葉を縦横無尽に引きながら、考えを進めてゆく。それでいて、決して机上の人にならない。ヨーロッパで暮らした経験があり、中央アジアをはじめ旅の経験も豊富である。生け垣や沼、草花、動物、古い神社…彼女の興味関心にはとどまるところがない。

五官をつねに外に向かって開き、多くを取り込み、そのことについて考え、自分が進むべき道筋を明らかにしてゆく。言葉の確かさ、美しさもさることながら、それを支える「思考する力」について今さらながらに深い感動を覚えた。海深く潜り、あるいは空高くから見遥かし、一点を突き詰め、あるいはあまねく広がっていく思考。ここまで考えて、表現をしているんだな、と。

「深さ」に憧れる性向がある。昔からオタクとかマニアとかっていう人種に全然抵抗感がなかったですもん。自分自身はオタクだとは思っていない。周囲にはそんなふうに見てる人もいるかもしれないけど、ヲタ(笑)を名乗るにはあまりにも浅薄で怠惰な人間です。そう、「なりたいけどなってない」状態であって、そう簡単になれるもんじゃないと思ってる、つまりはオタクに憧れてますよ! 村上春樹はクラシックや外国文学オタクだし、椎名林檎は洋楽オタクだし、石破茂は軍事オタク。極めるって素敵なことだ。頭でっかちと言われようと、知識や教養を豊富に備えることにも憧れる。データベースは、分析や敷衍、新たな創造を支えるもののひとつだから。

いろんな人のブログを読んでるけど、そういえば今年は、「社会人大学院生」さんたちのブログを、とりわけ愛読してたなと思う。過去ログを遡ったりして、生活と学問とが同時に営まれる様子を興味深く読んでいた。大学生だった当時はあんなに勉強してなかったのに(単位をかき集めて卒業した…)、もう一度、しっかりした環境の中で学んでみたいという気持ちが、不定期に盛り上がったりもする。

一方で、「広さ」を手放したくない気持ちもあって、だって自分は家族や友との生活はもちろん、スポーツが好き、テレビもけっこう好き、それらから「今、この世界」を見てとるのが好き。それらもまた、蓄積すればするほど「深く」楽しめる、考えることのできるものだ。好きというのとは違うけど、政治や経済もいつもそれなりに感じていたい。有象無象に見える事実を自分なりに系統立ててゆくために寄与するだろう歴史についても、まだまだ学びたいことがたくさんある。

もっと直接に生活に関わるところも精進したい。産前、仕事を辞めるからには料理とか針仕事とかも上手くなりたいもんだ、と思ってた。家族の弁当を作るとか、さらっと人を招いて食べてもらうものを出すとか、子どもが手にするものを作るとか。そういうことのそれ自体に興味関心が深いとはいえないんだけど、やっぱりそういうのって生活能力の一部で、できたほうがラクだし、楽しいだろうから。

…って、ちょい待ち。そんな、なんもかんもやっていくには、私はいかにも未熟で不器用で怠惰。だらだらと飲んだり食ったりする時間も必要よ! で、こーゆーふうに「あれもこれも」と言ってる奴は大成しない、と国立大学の教授(研究者)と人気小説家、の二足のわらじを高いレベルで実現していた森博嗣も言っている。彼は、酒も飲まなけりゃテレビも新聞も見ない、(一般でいうところの)レジャーにも興味なく、あまつさえ食事も一日一回だったらしいもんね(今もそうなのか知らないが)。

まあでも、望みは望みとして、あるから。私は妊った時点で、こんな望みたちを漠と心に抱いて、「そうだ、とりあえず会社を辞めちまおう」と決めたのだと思う。それは、キャリアとか生涯所得とか再就職とかを考えると、いかにも短絡的で子供じみた発想だなとも思う*2のだが、モロモロの望みは、実は一言で表せるのじゃないか、「大人になりたい」という。

なんつって、身ごもった時点で私はさんじゅっ歳でした、てへぺろー。社会で仕事もしてました。戦うサラリーマンでもあり門前の小僧から叩き上げる職人風でもある、面白く、立派な(と、同業者たちへの敬愛を込めて言い切る)仕事です。お給料も、ちゃんとしたものをもらっていたし(なにげに当時の夫より多いくらい・・・)、仕事は当時の自分の地盤だったと思う。ちなみにひとり暮らしだったので、いちお炊事洗濯、ごみ出しとか家賃の振込とかも自分でやってました。

それでも、「このままでは、いかん」という小さな焦燥がどこかにあった。二十代の終わりが見えてきた頃から芽生えていたそんな思いが、梨木香歩米原万里松井今朝子のような、深い見識を供えた大人の女性の著作に立て続けに向かわせたのだろうと思う。前述した「ぐるりのこと」を最初に読んだのもそのころ。そうして子どもを授かったところで、なんだか突き動かされるように「今だ」と感じたのだ、きっと。今が、深くて広くて生活能力にも不自由しない、自分がなりたい大人になるための修行をするチャンスだ、と。

それはやっぱり、“子どものために”良い親になりたいというような献身的な気持ちというわけではなくて、自分がどう生きたいか?という問題なんだけど、それでも親になることについて、本能的な盛り上がりというか、何かしらの切実さがあったような気もしなくもない。

子どもを産んで2年半、「ぐるりのこと」を読んで鮮やかに思い出した感覚は、くっきりした輪郭をもっていた。なんか、この2年半って何だったんだろう?と思わんでもないが、救いは、前に読んだとき以上に感動が深かったこと。ちっとは理解力が上がったかね。

ということで、2013年は原点(?)回帰して、「もっと大人になりたい」を目標に掲げようと思う、さんじゅうよん歳なのであります。できることから一歩ずつ。とりあえず、無駄に長いブログを書かない! え、この文章? これは年末に書いたものですから。てへぺろー。

*1:ex 産休→復帰の前例がない会社

*2:まあそうでなくとも仕事を続けにくい周辺環境ではあった