『平清盛』 第49話 「双六が終わるとき」

衆院選の前座ではありません。「双六が終わるとき」ではありますが、あくまでラス前の平清盛ですからっ。

六波羅で迎える治承五年のお正月。…とも思えない暗ぁぁぁい顔の清盛とは裏腹に、一同を代表して新年の祝詞を述べる宗盛は晴れやかな表情。このあたり、見たくないものは見ないっていうか、クサいものには蓋をしとこうっていうか、先送り大得意な宗盛さんの特質が表れていて相変わらず面白いです。しかしそうもしてられないバッドニュース、各地の反乱の報が次々と入ってきます。清盛は対抗策として惣官職とやらを置くことにするのですが、そこで平家政権の権威の源泉たる高倉上皇の容体が重篤である旨、知らされるのですね。

場面は内裏へ。死期を悟った高倉上皇は「そなたのことだけが気がかり」と言い、中宮徳子は「王家より平家より上皇様だけが大事」と返す。最後の力を振り絞って笛を吹こうとしても、か弱き息が虚しく洩れるばかりの上皇に、「なんと美しい音色でございましょう」と応じる徳子…という美しいシーンでございました。ちょっと美しすぎるきらいもあったけどね。高倉上皇は「腎虚」で亡くなったというのが定説だし、寵愛した女官やなんかがあちこちにいたはず。ゆえに、思いきし仮面夫婦なのに皇子を上げなければならないプレッシャーが徳子の苦しみの端緒だった、というのは平家物語モノの鉄板だと思うんだけどな…

まあ、わたくしとて千葉雄大くんと二階堂ふみさんにそんなドロドロを演じてほしいわけではありませんが、なんといいますか、このドラマって、最初のほうで鳥羽院とたま子ちゃんが天然SMプレイに興じてた(興じてた、としか言いようがないw)以外は、夫婦といえば麗しい情愛ばかりが描かれたので、主演はしょうがないにしても、周辺にはもうちょっと別の形があってもよかったのかなと思います。ていうか、今年に限らず、最近の大河ドラマはどこもかしこも夫婦愛ばかりやりすぎでは。かつて『北条時宗』で、北村一輝寺島しのぶが演じた夫婦なんて、すんごかったぞ。

で、はたちそこそこで高倉上皇薨去したため、なんとあの人が復活です! ここの見せ方は、ラスボスキタ---!て感じで高揚しました。1年ぶりにシャバに出てきた後白河法皇、老けメイクかっこええぇぇぇ! 皺はなく、肌をザラッとさせて細かいシミを見せる感じ。新しいお召しものもお似合いです。のたまっていわく、「絵に描いたような四面楚歌ではないか。政変など起こすのではなかったと思っておろう!」こ、コワイ。六波羅の邸宅では、「幽閉されながらもあちこち操っていたのはあの方だったのか!」とガクブルする一門の面々。ううむ…それはちょっと行きすぎなセリフでは? そういう描写をしてきたわけでもないし…福原遷都に帯同させられる後白河とか、見たかったな。てか、そもそも、高倉上皇薨去後白河院政再開、の理屈が、歴史オタクでない人にスラッとわかるのか? 

ともかく、やる気まんまんの後白河を懐柔するため、清盛は徳子をゴッシーに差し出すべく画策します。こ、このエピソードやるか! てか、やるなら、もちょっと念を入れてくれんかね。こんなインモラルな話、サラッとやるものじゃないと思うんだが。そんなにサラッとやるなら、先帝の中宮が別の帝の後宮に入った例(近衛帝=→二条帝の后となった多子ね)にちょっとぐらい触れるべきだろうし、それだって「二代后」と後世にまで伝わる異例中の異例だよ。そして、このエピソードやるなら御子姫君はセットでしょ。どーも、この辺の取捨選択、軽重の捉え方に共感できず、残念だわ…。

てか、たとい「上皇さまだけがわたくしの光る君」でなくても、ふつうに考えて断られるわな、って話を簡単に持ちかけたからには相当な決心かと思いきや、娘に断られたらあっさり「じゃ、別の案を」と引き下がる清盛が謎ですからぁ! 

しかし、ここで時子「もう良いではありませんか…(中略)これ以上の高望みはなされますな」、清盛「気楽に言いおって」、時子(にっこり笑顔で)「気楽に参りましょう」のやりとりは良かったなあ。これは清盛の心を軽くさせるためでもあるけれど、時子自身の性質を表すセリフでもあると思うんだよね。この、気楽にいきたい時子が、次週では幼い天皇を抱いて…と思うと震撼とするものがありました。深キョンは、清盛相手=プライベートでは柔らかい話し方だけど、貴人(娘とはいえ女院や、前関白など)相手のときはしっかりとした時代劇のせりふまわしで、うまいし、見ていて心地よい。なんといっても美しいし。

一方、源氏。先週に続いて頼朝が優秀すぎて唖然です。時政が「あの生白きお方が…」とかいって変身ぶりをアピールしてるけど、そんなセリフすら上滑りしてる。もはや別人レベルですから! だから伊豆時代の十数話をさ…(毎週書いてるので以下略)。岡田くんがとんでもなく麗しいのは良いことだが。

先日、危ないところを助けてくれた梶原景時を助け返すエピソード。これもわざわざやるか。まあ、これにかこつけて御家人制度を説明したかったのか…来週に梶原さんがもうひと目立ちするには、尺が足りませんよねぇ? ともかく浜田学は大河が似合う役者ですね。で、ここの人々、鎌倉に新しい都を作っています。作っていますといっても、出てくるのはやっぱり絵図だけですけどね! 「源氏の都じゃ! 武士の都じゃ!」とか言ってキャッキャウフフしてる面々を見ると、「平家があんななってるのに、のんきに青春グラフィティを…」と苦々しく思う反面、「おまいらとて十年も経てば…」と諸行無常の感に駆られますね。

政子の弟にして三代執権義時が(成年してのち)初登場したのも良かったです。セリフは「はい、兄上!」の一言でしたが、「ああ、こいつが将来あんなことやこんなことを…」と具体的な想像ができるので、最終回間近で、ほんのちょっとの出番でも、こういう登場は歓迎です。大河ドラマならではですよね。キャスティングも(この役者さん存じ上げませんでしたが)虫も殺さぬような甘いマスクの青年だったのが逆にツボでした。

さて、ちょっと前後しましたが久しぶりに上西門院さまが登場です! 滋子ちゃん逝去以来ですね。お髪やメイクに老けメイクが施され、声音も以前より低めに作っていた様子ですが、相変わらずの品の良さ。愛原実花さんはこのドラマでひそかに名を上げた役者さんのひとりだと思うし、好評を得て登場シーンも当初の予定より増えたんじゃないのかな、なんて勝手に思ってます。

で、その上西門院さま主催の歌会には藤原俊成なんかも来てるんですが、西行、おまえがそんな上座でいいのか?!(笑) そして出てきた堀河局ー! まさかの超老けメイクー! ほぼ妖怪ー! 恋の歌を雅に詠み合う花の平安時代の終焉を告げるため、まさかりょうさんがここまでなさるとは。そらオープニングのクレジットもトメグループになるはずですわ(笑) 袖の中にそっと手を入れる演出よかったですね。いくつになってもろくでなし男って感じで。ま、「生臭坊主」って、平安時代に言われるとちょっと違和感あったけど(そんな昔からあった表現?)。あと、すげーどーでもいい話だけど、西行がしてるのにそっくりのマフラーを愛用してるわたくしです。

そんな一夜をわざわざ清盛に報告する西行。ここで、まさかホントに楽しんだわけじゃないよ、夜なべして歌詠み合っただけだよ、と誤魔化す(笑)西行を、「まことか?」とさらに追及する清盛。おまいら(笑)。ここいらへん、清盛の顔やセリフまわしが、もちろん老いてはいるものの、なんか憑きものが落ちたようで、暗すぎるわけでもなく、妙にすっきりしてるのがポイントだったんですね。西行との会話も、気の置けない旧友との猥談 雑談って感じで。

逸れるけど、西行って出家したのちも清盛とタメ語で話せばいいのにとずっと思ってました。西行が北面の武士の先輩で花形で、清盛が落ちこぼれだった、てのが、(ドラマにおける)ふたりの関係の出発点なんだし、出家後も里の女たちにキャーキャー言われたりする生臭坊主なんだから。まあそりゃ身分は天地の差なんだけど、兎丸だってずっとタメ語だったやん? 悟りすましたような敬語と、「お手前!」て呼びかけに、いつも違和感が拭えませんでしたのよね。枝葉末節ですが。

閑話休題。ここで西行がわざとらしく話題を頼朝の鎌倉建都に転じると、かつての厳島造営や福原新都の回想シーンを盛り込みながら、何か考え込む様子の清盛。建設シーンが、回想・現行(鎌倉)含め、確かに希望にはあふれてるんだけど、インドアで話し合ってるものばっかり…(苦笑)。なんとここでまさかの頼朝、笑顔でエア矢ずっきゅん! ひっぱるのう。

で、考え込んだあげく、清盛は後白河法皇を訪ねて一局…は将棋か、一番手合わせ願う。深夜の無礼な訪問もなんのその、清盛大好き、徹マン大好きのゴッシーが否やのはずもなく、始まる最後の双六勝負。ここからの回想がアナタ、長いこと長いこと。まあ、盛大な回想は大河ドラマ最終盤のお約束ですけどね…。しかも2回目3回目の回想も多かったんで、わたくしどうも盛り上がることができませんで、残念でした。松田翔太のみずら姿は何度見ても鼻血が出ますがねっ。

過ぎし日々についてのふたりのコメントでは、ゴッシーの即位について「あれはわしにもとんだ珍事であった」がウケた。

ということで、回想シーンが長すぎて夜も明けました。「合わせて七以上を出さねばわたしの勝ち」と言われた瞬間、「1と6きますからー!」と閃くくらいには、だてに1年、このドラマを見続けてません(笑)。負けが決まった瞬間、ちゃぶ台ならぬ双六盤をひっくり返すかと思いきや、静かに「して何が望みじゃ」と問うゴッシー。清盛はなんと、双六プレーヤー引退宣言。

いわく、朝廷の代理で武士が戦わされる時代は終わったと。これからは、武士同士が覇権争いをする世の中になると。「武士はもはや、王家の犬ではござりませぬ」。これが、清盛の、この物語のファイナルアンサーなんですね。疲弊した旧システムの破壊であり、また同時に古き良き時代の終焉かもしれない。ともかくも、これからは、「ほんとうの武士の世」。頼朝の台頭によってそのこと、そう、かつて父世代、忠盛が為朝に向かって言った「平氏と源氏、どちらが強いかを決めるのはまだ先で良いではないか」、数十年後の今こそ、それを決するときが来ていることを確信した清盛は、かつてしのぎを削った後白河法皇に別れを告げなければならなくなった、というわけです。

いや、涙を流す清盛は、本能的に悟っていたのだと思う。後白河法皇のみならず、自分もまた、古い時代の人間になり果てていることを。「もうさようなところまでたどり着いておったか」と答える後白河もまた、清盛の言葉からすべてを察した。だからトレードマークの高笑いで去るのではなく、黙って、清盛を見送った。このとき、これまで一貫して「常人とは違った」オーラを発していた後白河法皇が、なんともいえずさみしげで、けれど同時に過ぎし日(と清盛)を愛しむような、非常に人間くさい表情をしていて、目を奪われました。松田翔太すばらしい。

時代の趨勢を感じると同時に、武士の本能が残っているのも事実なら、一門の行く末が気がかりな面も大きい老いた清盛。一時は錆びきっていた宋剣を手入れしながら、今後の戦略について盛国に話す。「しかし、暑いのう」「暑い?(笑って)1月ですぞ」「そうか」。これは超冴えた脚本! これだけの短いやりとりなのに、あまりの不吉さにゾッとさせられた。

その後、遠く伊勢の西行の庵に現れた軽装の清(の幽体)、驚いてかわされる会話。そしてパッとカットになって、現実にはすでに病臥し熱にうなされている清盛、悲痛な顔で扇ぐ一門の人々…というラスト。長々しい双六・回想シーンから一転したラストまでのたたみかけはすばらしかった! しかも、予告が、予告が…(絶句)!