『平清盛』 第48話「幻の都」

ここへきてまさかのエア矢復活! よりによって南都焼き打ちをやる回、オープニングのクレジットに「三上博史鳥羽院(回想)」が名を連ねていたのでまさかまさかと思ったらそのまさか。限界まで見開いた目で「朕を射てみよ」とのたまう鳥羽院、今見ても絶句しちゃうもんがあるんで、本放送を見ていなかった人の驚き・慄きが察せられます(笑)。しかしまあ、あらためて見るとこのドラマを象徴する名シーンであり迷シーンだよね。これを掘り出してきたのはなんとなく納得です。

第1回冒頭、壇ノ浦で平家を滅亡せしめたばかりでありながら、源氏の棟梁に「清盛なくして武士の世はなかった」と言わせ、彼を思慕する様子を描写したのだから、そのワケを視聴者に納得させるのは作り手の使命であるといえます。最大の伏線のひとつを、今回、回収したわけですね。遥か昔から弁慶をあちらこちらに出没させてきたのも、「語り部」としての役割を負わせ、ここへ着地させるための手口、周到な用意だったわけです。

今になって見ると、「そなたは乱れた世に放たれた一本の矢だ」と清盛を称する鳥羽院のセリフに、あのときよりは腑に落ちるものがありました。今の(平家の)世がダメダメになっちゃってるんで忘れかけてたけど、かつての朝廷(を中心とする王家の世)も腐ってたんだったよね、そういえば。

そこに、王家の犬でしかなかった平氏出身のひとりの男が単身、斬り込んでいった…というか、己そのものが鉄砲玉…は、まだ、この時代登場していないから…己そのものが矢になって突っ込んでいった、と。この、「清盛=矢」の隠喩は、オープニングテーマの映像にも重なるんですね。そして30年ぐらいの時を経て、まさかの「エア矢、頼朝に命中!」。岡田くん、「うっ」て仕草が妙にうまい。

「古い仕組みを破壊し、そしられながらも新しい都を作る」清盛がやってきたこれを、そっくり受け継ごうと決めた頼朝。ふんふん、こういう経緯で清盛がやり損ねた新しい都を、鎌倉に作るわけですね。うまく収まりました。…って、納得しちゃっていいの? いいのかしら?! ちょっとエスパーすぎるというか、エスパー通り越して自己都合の解釈が入ってるというか、義朝ってとにかく力頼みで、あんまりビジョンとかなかった感じだし…。

まあ、短いとはいえ平家の世があったからこそ、鎌倉幕府、ひいては足利や徳川に至るまでの長い長い「武士の世」が確立されたとはいえるわけで、そのように、すべての時代やそこに生きた人々が後世への礎となり、歴史は連綿と続いてきた…というのを感じさせてくれるのが、大河ドラマの一つの面白さであると思っています。だから、「清盛なくして武士の世はなかった」というのは、実はそんなに違和感なく受け容れられる概念だと思うんですけど、その表現がエア矢ズッキュンからの、「我が父と清盛の道は再びひとつになる!」になるのが、このドラマのテイストなんですよね(笑)。

まる一年見続けているからして、わたくしとて、この味が嫌いなわけではなく、好きなシーンもいろいろあるんですけど、こういった観念的な手法というのは、ふつう舞台などで用いられるもので、というのは、2時間、3時間の中で多くを表現するための工夫じゃないかと思うんです。翻ってこちらは45分×50回を費やす大河ドラマなので、最終回近くにもなれば、言葉や表現を尽くさなくても、むしろ「何も言えねぇ」ぐらいの態度であっても、一年間のテーマはおのずと視聴者に伝わるのではないでしょうか。

義朝や忠盛の夢を清盛が継ぎ、清盛の夢のある部分を今度は頼朝が継いでゆく、だから平家が滅びた後にも希望は残るし、源氏の将軍が三代で絶えたあとも…(以下エンドレス)という美しい主題は、第1回で既に提示されていました。それを描くために、清盛が打ち立てた歴史的パイオニア的偉業の数々を「どんなもんだ!」*1とばかりに忘れ難く、視聴者の心に刻みつけてくれるものだとばかり思っていたわたくしです。

だから、今回、都返りもありましたが、ついに清盛邸以外の福原の町の様子がわからないままであったのも、個人的にはとても残念です。遷都なんて、還都なんて、戦国や幕末の大河をやってても、ついぞお目にかかれるもんじゃないのに! 見たかったよぅ。画面が汚いだなんだとケチつけた兵庫県知事にも、これぞ清盛が神戸に作った美しい都であると、「どんなもんだ!」と(しつこい)見せつけてやったらよかったのに。たとえCG多用でも。いくら「幻の都」だからって、ホントのホントに清盛だけの夢(=視聴者に見えない)都にしなくたって…(泣)。五節の宴で奏でられた音曲の、ご丁寧に出ていた訳詞の内容にも興ざめでした。なんとド直球な。詩情も何もあったもんじゃありません。視聴率低迷を受けて、こういう「わかりやすさ」に取り組まざるを得なかったんでしょうか?

しかしながら、都返りを促す宗盛のシーンは良かったです。これも、一世一代の入道相国への諫言ですね。深夜、清盛の部屋にてマンツーマンでの説得…というイメージがあったんですが、宗盛の「わたくしが皆を集めました」というお膳立てに痺れました。もとより皆の前で足蹴にされる覚悟だったんでしょう。そこで涙ながらに自分の幼少のころからの四方山までも語ったことは、ウェットでも気になりませんでした。戦の折の名乗りにしても、古典を見ても、このころの人はやたらと自分語りをするものでございます。

幼いころはアホの子っぽい描かれ方が多い宗盛だったけれど、俗説どおりの暗愚キャラとしてではなく、劣等感の伏線を延々と張っていた、ってことだったんですねえ。劣等感、なんていうとまたまた、この物語特有の「登場人物オール中2」問題が浮上するわけですが、とにかく登場以来、終始良いお芝居をしていた石黒英雄@宗盛の総決算、て感じで、素直に引きこまれて見てました。石黒さん、いくつものドラマでお見かけしてきたけど、失礼ながらこんなにお上手だとは知りませんでした。きっとまた大河ドラマにも出演されることと確信します。

あの場では、みんなが「都返り…実際、すべきだよね…」て顔をしてる中、時忠だけが声を上げて止めるのが面白かったですね。現実的に割り切った、シニカルな態度を崩したことのなかった彼が、ここへきて、多分に情緒に流された発言をする、という。そこには、「都返り=正しすぎること」は間違っているのも同然、という彼の持論も関係しているのか…平家のために汚れ仕事を担ってきたからこそ、夢の都を捨てることが忍びなかったのか…なんにせよ、長い人生の中で、いつのまにか、清盛にシンクロした存在になっていた時忠。

重盛、忠清、宗盛と全面に出てきたので、やはり最後は盛国なんだろうな。どんなにセリフが少なくても、清盛の影にふさわしい表情をしてきたこの人は、今、能面のようになっているわけだけど、当然、そのままでは終わらないよね。

そして今回の楽しみ、南都焼き打ち、これもまあ、大仏様をはじめ世界遺産級の寺社仏閣群が燃えに燃える映像を、西部警察の爆発ばりにやってくれるものとは、もとより思っていませんでしたが、まさかのマロたちの顔芸描写がメイン! ハハハ…。受信料という名の予算もね、限られてますしね…。相島さんの九条兼実が「我が寺が興福すれば天下は興福し、我が寺が衰微すれば天下は衰微…」云々の聖武天皇詔書をスラッと口にするのは良かったです。

そんで、重衡の坊ちゃんは期待通りの演技をしてくれました。「これこそもはや運が尽きたということ、天が平家を見放したのじゃ」とまで言ってお葬式状態の六波羅なのに、帰ってきた重衡の目に一点の曇りもなし!

「悪僧の首四十九を打ち取り、一人を生け捕りにしました。伽藍を焼き尽くしてしまいましたが、なに、天もお許しくださいましょう。我らが焼いたは仏に非ず、仏を盾にする不埒ものにござります、これを抑えられるは我ら平家のみ、どこにも劣らぬ強き武門の我らをおいて、ほかにはおらぬと世に示しましてござります」

脚本も口舌も超イカす。重盛亡きあと、宗盛といい、この重衡といい、新進の役者の演技にこうも楽しませてもらえるとはうれしい誤算でした。

そして「蹴られる、蹴られるぞぉぉぉ」とおののく一同をよそに、立ち上がり歩み出た清盛の「重衡ようやった、ようやった」。それは、「運は尽きた」という諦念であり、「武士の強さを履き違えた息子」を育ててしまった己への悔恨であり、あるいは、これは劇中ではほとんどアピールされなかったけれど、若き日に神輿を射た己の因果応報としての大仏・寺社消失の咎…という「業」を感じてもいたのだろうか? ともかく、松ケンの一言では言い表せない表情、絞り出すような声、今回も凄まじいものがありました。

  • 「面白き世とはこれか! by西行 → 助けてくれぇぇぇ」(第46回)
  • 「殿ご自身が、もはや武士ではござりませぬ by 忠清 → 心の軸は錆び錆びだった」(第47回)
  • 「大仏まで燃やしちゃって、もう平家オワタ」(第48回)

どこまでも落ちてゆきますね…。そして次回、ラスボス後白河は、瀕死の清盛にとどめを刺すのか、それとも…?

最後に源氏にも触れておきますが、もうほんっとーに、頼朝が別人。文句なしにかっこいいんだけどさー。「斬首の上、さらし首とする」なんて世にも涼やかに残酷な下知はするわ、関東武士たちの所領を安堵し始めるわ…。いえね、本領安堵、御恩と奉公ってのは、鎌倉幕府の根幹なわけですけれども、いつのまに、何をもってそんなオーソライズができるようになったのか、その過程が知りたかったわけですよ。また、歴史に残る大将の器はどのようにして育まれたのか、その過程が知りたかったのよー。

何度でも書きますが、伊豆配流〜挙兵までが鬱すぎたのが返す返すも悔やまれます。八重姫との一件で、いったん底まで落ちる経験も必要だったにせよ、それからの十数話で、何かしらポテンシャルを描いてほしかった…。きっと、「そこまで手が回らなかったんじゃないかな」と想像もしてます。30話代後半ぐらいからって、放送前に書いていた貯金もいい加減尽きて、締切的にも、モチベーション的にも、本当に大変だろうと思うから。やはり今年の異常なバッシングが、脚本家をどれだけ痛めつけたであろうかと考えると、そのダメージが作品に出てくるのは致し方ないと思う面も大きいのです。

*1:「どんなもんだ!と見せつけてきなさい」by 佐藤信夫コーチが腰痛で苦しむGPファイナル直前の浅田真央を焚きつけたセリフ