『ゴーイングマイホーム』 第7話

あったかくも、じんわりと哀しい、切ない回。夏八木勲をこんなにいいと思えたのは久しぶりでうれしい。先週の「若いからこそ難しいということもある」のセリフにもすごい含蓄があったけど。2010年『龍馬伝』のときなんかは、「器が大きな立派な殿さま」という記号だけを与えられたような、典型的な「役不足」で不満だったことですよ(松平春嶽)。

冒頭の西田敏行とのシーンからしてつらい。もう二度と町に来ないでほしいと懇願する西田。あんな年になっているのに、激しく憎んでいるわけではなく、しかも相手は大病をして先が長くないかもしれないのに、それでもなお精算できない気持ちってあるんだなあ、と。でも、わかる気がする。人間、いくつになってもそういうものって持ってるんじゃないのかなあと思う。

昏睡中、妻(吉行和子)や子どもたち(YOUと阿部ちゃん)がさんざっぱら「ひどい男」呼ばわりするもんだから、どんな暴君かと思ってみたら、そうじゃないんだなあ。もちろん、「家族に見えないところでは」という但し書きがつくのかもしれないけど。

西田の懇願を受け容れ、「自分が鈍感だから」と謝り、けれど菜穂(宮崎あおい)の息子、大地に「来月いっしょに雪だるまをつくろう」と言われると、何ごともなかったかのように笑顔で頷き、約束する栄輔。旧友を責めず、きっとかつてファム・ファタールだったのであろう女の娘(宮崎)やその子どもを不安がらせない。嫁(山口智子)にはさりげなく彼女の生き方を肯定し励まし、ユーモアを交えて別れを告げる。

孫娘には真摯に。クーナにはあんなに夢中になってるのに、神様について「あんなものは教会が作ったんだ」のセリフが最高。怪訝な顔で聞いている萌江に、「ちょっと難しかったかな」と照れたように笑う。いっさい愛想笑いをしない萌江ちゃんも最高。「いいか、まずは信じてみる。そして、探してみる」。しかも、「それでも見つからないこともあるけどな」と正直に答える。字面だけを見ると、まったく愚直で、子どもをワーイと言わせない言葉。だけど、役者のセリフは希望にあふれた力強さで響いた。きっとあの子は大きくなってからも、迷った時や不安なとき、祖父のあの言葉を、声のトーンや表情を込みで反芻するんだろうな、と思えるような。

そうか、あれは、科学者になりたかった男から、科学者の卵かもしれない孫娘へのメッセージだったんだね。

「死んじゃうの?」と飛躍する萌江。その前の「神様に会ったら…」のセリフが心にひっかかっていた敏い子。「ああ、もうすぐな」ゆっくりと、やはり力強く、笑顔で。ちっとも怖くないんだよ、とでもいうように。帰り道、両親を振り返って「おじいちゃんじゃなければよかったのに」と言う。親ふたりにはその真意はわからず、戸惑った顔を交わし合うだけ。作り笑いも泣き顔も、容易にはさせない是枝さんだが、最終回までに萌江を泣かせるのかなあ。

みんなが帰ったあと、「正月はもう(子や孫を)呼ばなくていいぞ」という夫。いつものようにズレた会話をかわしつつも、なんとなく何かを悟っているような、さみしげな顔をのぞかせる妻。幾多の浮気(たぶん)を経て、最後には自分のところに帰ってきた(来ざるを得なかった)夫。けれど、きっと遠からず、今度こそ旅立つ夫…。

最後はそこで死にたいと土地まで買いながら、きっともう二度と故郷に足を踏み入れることのないだろう男。それでも、誰にも取り乱すところを見せない男。ふるさとを持たないクーナのように。土地の件を聞いた阿部ちゃんが真っ先に「母さんが聞いたら悲しむだろう」と言ったのが面白かった。母のことも父のこともどちらも困った人だ、と思っている気持ちと、それでもどちらともを思い、気遣っている息子、て感じ。奥さんの仕事のことも、心中穏やかでないときはあっても、根本的には肯定している。菜穂が良多(阿部ちゃん)を「クーナのようだ」と言ったけど、彼は大きいようで小さいようで、その実、優しい男だ。

萌江が母・沙江(山口智子)とハンバーグを作った日の食卓に夫が「あっ」と声を上げた。私のようにかぶりつきで見ているわけでない彼にも、一家が初めて普通のダイニングテーブルで食事をとっている図に打たれたらしい。あのローテーブルでの食事風景がいかに「特異」感を与えていたのか、ダイニングテーブルに座られると、非常によくわかった。

姑からお餅ピザのレシピを習い、あまつさえ「オレンジページの連載にどうかしら」と持ちかけられる沙江。慌てて止める夫で良かったよね、ほんとw  これまでもこれからもまったく違う世界で生きていく嫁と姑、その相容れなさを滑稽に撮りながらも、簡単に断絶させない描き方がいい。互いに別世界の住人であることを認識しつつ、両者は歩み寄り、気遣い合って、別れる。

帰宅後、「疲れただろ」と気遣う阿部ちゃんの夫に(一言でもこういう気遣いをしてくれるのっていいよね)、「んーでも面白かったよ」と答える山口智子。そこには本音も混じってると思う。今回もなんとかうまくやった、という嫁の達成感。別世界の住人ともなんとかうまくやろうと思えるのは夫への愛情があってこそだし、親や故郷というのは、煩わしさはあってもやはり、何かしら自分のルーツ。そしてそのことにあらためて気づけば、じゃあ自分もこの子のルーツになるんだな、と思い至ることにもなる。だからそこで夫婦の会話が「この家が我が子の故郷になるんだろうか」みたいな方向に向かうのも、とても自然だった。