『神去なあなあ日常』 三浦しをん

神去なあなあ日常 (徳間文庫)

神去なあなあ日常 (徳間文庫)

三浦しをんは大好きな作家のひとりだけど、いつも文庫化するまで待ってます。単行本が本屋で並んでるのを見てから、はや3年ほどか。長かったわー。次にくるのは社史編纂のやつかな。あれも読みたかったのよね。

もとい、予想にたがわず面白かった。タイトルにある「なあなあ」とは、辞書に乗っている「いいかげんに済ませること」の意とはちょっと違う。神去村という架空の村の住民たちが多用する方言(作者が創作したもの)であり、村人たちの精神性を一言で如実に表す言葉。広範囲の語用があり、「ゆっくり行こう」とか「落ちついて」とか「焦ってもしょうがない」、また、「今日はなあなあな」というように、「のどかないい天気ですね」という意にまで使われる。

村は林業を生業にしている人が多い。「なあなあ」には、木を育てるという百年単位の仕事を続けてきたがゆえの大らかさが表れている一方で、自然と共に生きてきた人間の悟りや諦念のようなものも含まれている。決して、お気楽なだけの言葉、概念ではない。けれど、この言葉にどこか救われたような気のする読者は多いのではないかしら。

私はそうだった。生き急ぐ、というと大げさだけれど、「リア充=リアル、現実が充実している人」なんてスラングもあるように、私たちの日常には、「楽しまなければ」「充実しなければ」「刺激的な毎日を」といううっすらとした強迫観念がないこともない。だけどそんなの、「なあなあ」精神の前では、何ほどのことかい、と思える。山火事や、人の死に際しても、もちろん人間だから感情は揺さぶられるにしても、「なっともしゃあない(なんともしかたがない)」と受け入れる素地のようなものが、この人たち(って小説の中の人たちですが)にはある。人間も自然の一部だから。そうだよな、人間ってこうやって生きて、死んでいくもんなんだよな、と思えば、何かしらの安心感をおぼえる。

この「なあなあ」の一言を作り、物語の核に据えたのはすごいな、と思った。ストーリーにファンタジーが混じっていること、出てくるのがいい人ばかりで、キャラクターがマンガ的であることなどを簡単に批判する人もいるようだけれど、作者がしっかりと取材をしたうえで、敢えてそういう小説に仕立てているのは明らか。何より、「なあなあ」の一言に説得力をもたせるための書き込みの過不足のなさがすごい。少年の一人称の文章も、あれだけ軽やかでありながら、いきいきとした山の四季の描写や林業についての蘊蓄も盛りこんでいて、さすがだと思った。