『平清盛』 第44話「そこからの眺め」

吐く演技うまっ! と感心して始まった今日の大河ドラマ平重盛」でしたが。

このドラマで、棟梁といえど重盛が一門の合議でもっとも上座につくのは、何か事が起こっての(殿下乗合とか)の対処か、父・清盛の命によるものばかりだったのだなあ。彼が自らの意思で弟たち、息子たちをそろって呼び集めるシーンがあってよかった。たとえそれが最初で最後で、場所が病床で、自分の死後を託すための招集であっても(泣)。しかも、己が欲得に絡む頼みは何ひとつなく、次の棟梁を自らさだめるでもなく、息子たちにさえ「抜け駆け禁止、年長者を支えるのが務め」だなんて、どこまでも、どこまでいってもこの人はこの人。そんなだから早死にするんだよーーー(泣)。

しかし、なんせいいシーンでした。妙に険のある表情をしている宗盛。いつも変わらぬ沈毅な顔つきの知盛。素直に心配と悲しみが顔に出ている重衡。三人三様の弟たちの表情。そして重盛。顔には無精ひげが生え、痩せ細った肩に濃い色の狩衣を羽織り、脇息にもたれかかっている。弱々しくも優しく微笑んで、ひとりひとりを見つめ、かすれた声が発される。病みやつれた姿もそそります(最低)。

…なんて思ってましたが、次のシーンでは伏して詫びました。ニヤニヤしてすまんかった…何この死相…! そこに現れた老けメイクいっさい無しの後白河法皇。先週、乙前を見舞ったときと同じく「そのままでよい」と優しい言葉をかけ、あまつさえ病の穢れをものともせずに重盛の手を握ると彼の忠義に頭を下げます。

ここ、「かようにやつれおって」のセリフなんかには、病の篤さへの真の驚きや、忠臣への哀れみがあふれていたように聞こえたんですよね。この人はこの人で、非常に情の厚いところがあるから。だから、あそこで重盛が清盛のことを言い出さなかったらどうだったんだろう?と思ったんですが、まあ、それとこれとは別って話なんでしょうね。双六盤、ばっちり持参してたし。目的のためには手段選ばず。使える駒は躊躇なく使う。この回、かつて清盛が詠んだアホ歌への言及があるだろうとは思いましたが、まさか清盛からではなくゴッシーの口から出るとは…! 予想の斜め上でした。

褥をきつく握りしめながら体をよじって起き上がる重盛は色っぽい(まだ言うか)のだが、全身の力を振り絞り、息も絶え絶えに賽を振る(しかも断然負けそう)姿に「ヒャッハー、こいつ命を賭けて双六遊びしてら! 超ゾクゾクするのう!」と言わんばかりにくっくっくと笑ってるゴッシーが鬼畜すぎる…! けど、この人にしてみたら、寵臣ふたりを嬲り殺しにされてるわけで、どーせ死ぬ奴を多少痛めつけるぐらいなんだ、てな話かもしれません。こうやって、「国の頂の双六遊び」によって憎しみの連鎖が生まれ、弱い人、優しい人たちが次々と屠り去られていくわけですね。悲しい。

これも必ず触れるだろうなと思ってた40年前の双六遊びにしても、もう何ひとつ救いのない伏線回収。あ、回想シーンは眼福でした。松田翔太のみずら姿に鼻血。「さ、賽を振れ」ってすげー優しい(怖い)声で言ってたんだね。清盛は若ェーな、ていうかアホづらだな! こちらは現在、加速度的に老けメイクが進んでて、特殊メイク術に唸る。皺とかシミとかすごい。

閑話休題、「そちの身を守るのはそちのみ。生まれたときからひとりで生き、ひとりで死んでいくさだめなのじゃ!」ってアナタ自身の人生観を重タンに押しつけないでー! 40年経っても何ひとつ精神構造が変わってないってのが凄い。だからこの人に老けメイクがないのは私は至極納得してます。盤上の駒をジャラッ!と凪ぎ払い、フハハハハ〜!高笑いでの退場、今回もお見事。

「疾く死なばや…」脚本演出はすっかり悦に入って(?)重盛くんに文語調せりふをあてがってるわけですが、まあこういうのも大河のお楽しみのひとつなので。って死相がすごいからーーー! でも、後白河が呪いの言葉を放っているとき、清盛が必死に重盛の耳を塞いでてよかった。瀕死でも父の腕に抱きしめられる重盛、守りたいものをその手でしっかり抱きしめることのできる清盛。ゴッシーの“ぼっち”ぶりが際立ってた。

何ひとつ私欲はなく、ただ折り目正しく、仰ぎ見る君主や父のために生きたかったのに、忠を捧げたかったゴッシーも、その理想の一端なりとも共有したかった父も、ともに狂気の持ち主だった重盛、何ひとつかなわず、最後の賭けに勝つこともできず、絶望して死んでいった重盛。うう…ひどい脚本だ。でも、脚本がひどければひどいほど(?)窪田くんの演技は冴えわたり、見てるみんなは彼に釘付けだったわけで、重盛がこのドラマでももっとも輝きを放ったひとりであることに異論を唱える人はいないでしょう。

そして窪田くんは、来年の前半あたりまでには、とりあえずNHKドラマで主役を張るんじゃないかと予想しています。もちろん大河ドラマにもまた出ます(断言)。願わくば、大役は脚本がアタリの年にね…!

廂を雨が叩く日、重盛、逝く。枕頭の皆が誰も感情をあらわにせず、ひたすら沈鬱な雰囲気。同じく平家の良心であった兎丸も雨の中で命絶えました。伊豆の頼朝が激しい雨の中で覚醒したのはその対比なんでしょうね。重盛の死のとき、雨とは別に、“水の戯れ”的なくぐもった音色が挿入されたのが「?」だったんですが、そうかあれは壇ノ浦を想起させてるのか…! ものの20分くらい前までは「落ちつかれませ」とか言って清盛をなだめてた盛国が、重盛が死んだ途端、後白河の遣り口に我を失って激昂したり、幽閉の報ににっこり笑顔で「おめでとうございます」と真っ先に祝辞を述べてたのも、重盛亡きあとの平家の危うさを表してたのかな。

ということで治承三年の政変と相成ったわけですが、超あっさりでした。ていうか、ここでも徹底的に、政治は脇なのな。ふと我に返ると、この人たち、互いに大事な人たちをむごたらしく失うまでに、何でそんなに揉めてんだっけ?と思わされるところではあります。中納言人事の争い、盛子や重盛の所領の召し上げ→対抗措置としての幽閉、後白河派の大量解任など描いてたけど、ほんと、人事権に代表される統治機構がよくわかりませんよね。まあ全部、双六ともののけの血と新しき国造り…一言で言うと「遊びをせんとや」で説明しようとしてる大河だってのはよくわかってるんですが…。若くして未亡人になった盛子の末路までをきちんと描写したことは評価できるのかもしれない。厳島宮司の温水さんがとってつけたように「あの人がいてこそ成就したことも多かったでしょう」みたいなこと言ってたのは蛇足だったとも思います。鼻白んだ。

さて、聖子も去っていってしまいました。髪型といい(白髪もなかった)衣装といい、あれは乙前でなく祇園女御…の、幻? twitterでも見た「聖子=座敷わらし説」はきっとビンゴ(死語)。そうとはっきり言語化できないまでも、そういう…「強運女王聖子が去った、これはなんかやばい」的雰囲気をむんむんと醸し出してて、うまかった。

永訣を告げる彼女に怪訝な顔をしつつも、手にした栄華に酔いしれようとする清盛。太平御覧?とかいう最先端の百科事典?を孫たる東宮に献上。絢爛たる錦でラッピングしてさらに松の根に付ける趣向に目を奪われます。東宮が穴をあけた障子を保存したという“清盛ジジ馬鹿エピソード”を「そこからの眺め」に絡める…今回もアイデアに脱帽させられました。なんせ、聖子ちゃんという飛び道具をこんなにもうまく使いこなしたのは、この大河の白眉のひとつだと思います。

そしてその穴から何をか眺めん、の清盛の老いた顔、血走った眼。徐々に暗いトーンになりながら、暗転したあとまでもリフレインされる、聖子ちゃんの「いかがにござりますか。そこからの眺めは」。拭いようのない不吉な予感。最近、ホラーテイストで攻めてきますね。

いっぽう、狭い一室に籠められながらも、不敵な笑いを浮かべる後白河。手には賽。まだ勝負をあきらめてなどいない。てか、重盛を突ついて清盛に横暴をさせ、余人の反感を募らせる…というのがゴッシーの手だった、ってことですよね? これは恐ろしい。財にも人にも乏しい後白河はこういう戦い方をするしかなく、しかし彼はこういう方面に関しては天才的な腕をもってる、と。のちに義経もこれにやられちゃうんですよね〜!(泣)