『純と愛』 いま3週目です

梅ちゃんからはひと月足らずで脱落した私。それからというもの、子どもといっしょにEテレに専念してきましたが、再び朝ドラを見る日々が戻ってきました。『純と愛』。おんもしろいです!

かの名作(といわれている。自分では見ていない)『結婚できない男』を書いた尾崎さんをして、あの梅ちゃんの体たらくだったんですから…って、あ、失礼。高視聴率が示すとおり、あれが好きな人もたくさんいたはずです。でも、まあ、なんつーか…深みのない作品だったな、というのが私の感想です。言いかえれば片肘はらずに見られる良さがあったんでしょうけど。

もとい。ですから、今回も、遊川和彦脚本といったところで、「朝ドラ仕様」に仕立てるのかも、とも思ってたわけです。

そしたらまあ、遊川さんったら渾身の作をぶつけてきましたよ。NHKで、毎朝、8時から、半年間もこんな物語をやるって…書くほうも書くほうなら、放送するほうも放送するほうだわ。そして楽しんでる私も私かもしんない。

もちろん、良識ある皆さまからは批判が殺到してるはずです。特に、わめいてばっかりで独善的、しかも何ひとつそれが局面打開につながらない主人公にかわいらしさは寸分もなく、梅ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませたい、と歯噛みしてる善男善女も多いことでしょう。しかーし、そこが良いんじゃないか! 

私は当初、夏菜演じる主人公の純よりも、ホテルで働く面々に若干イライラしてました。10年近く会社組織で働いていた人間としては、新入社員の拙さよりも、それを見守り指導していくべき周りの大人たちの無能さのほうがよほど罪深いと感じざるを得ません。でも、イライラして切るにはあまりにもったいないドラマであることは、もう歴然としています。もう、今じゃ毎日ワクテカですよ。

「朝ドラ的なもの」に対するアンチテーゼがすごいんですよね。けなげな主人公とか、愛情深く助け合う家族とか。アンチ朝ドラの急先鋒だった古美門センセイに見てほしい(笑)。アンチテーゼといえば不朽の名作の太鼓判を押されている「カーネーション」もそうだったけど、こちらは遊川さんだけあって、もっと徹底的に露悪的。朝ドラのみならず、旧来のドラマのセオリーそのものを憎悪しているかのようです。

つまり、定法を全部、外してくる。そこが面白い。風間俊介演じる愛(愛と書いて“いとし”と読む)みたいなキモいストーカー男は、ふつうなら主人公を恐怖させ追いつめる“敵キャラ”的役柄なのに、このドラマでの役割は「王子」です。第2週、タチの悪い客に凶器で殴られそうになる主人公を救出に来る場面には、このドラマ初のカタルシスがありました。手をとって走って逃げるところ、ちゃんとスローモーションで、キラキラキラキラ…って効果音までかぶせてありましたよね(笑)

しかしその勇姿の印象も鮮やかなうちに、彼があちこちの物影からジトーーーーーーーーッと純を見張って(見守って?)いるカットをまとめて見せたり(キモくもコミカルに見せていた)、次に主人公が「危なくなったら助けてくれる?」と思わず頼ると、「無理です、ぼくなんかケンカも弱いし…」とふたつ返事で断って(笑)、あげく「危なくなったらトイレに駆け込むってのはどうですか?」と謎の提案(笑)。しかも「トイレにはすべての答えがあるって何かで読みました」と謎の根拠(笑)。呆れつつも主人公はここまで二度ほど、窮地でトイレに駆け込むんですが、もちろんトイレの神様は助けてくれない。

「人の本当の顔が見える」愛が、ホテルの従業員たちの「ほんとうのかお」を次々に看破していくシーンも、セリフの具体的な描写がおもしろく(ex.「赤ん坊みたいにギャーギャー騒ぎながら、手当たり次第に周りのものを壊しています」)、最後に、やけに主人公にアプローチしてくる城田優が出てきたので視聴者が期待すると、「この人は…」 「この人は?!」 「ぼくの同級生です」ってオチ笑

そんな城田優に手首をつかまれてキスされそうになった主人公が彼を突き飛ばす、という“いかにも”なシーンのわずか数分後、今度は主人公が愛の腕を掴んで、逆に突き飛ばされる。ストーカーされていたはずなのに、気づけば何十回も彼に電話して「あたしゃストーカーか」と自分でツッこむモノローグもあった。主人公の誠心誠意の土下座が、ふさがった局面を打開するどころか、決定的に悪化させる。愛の妹が登場すると、名前が「誠」。往年の名作マンガおよびドラマ『愛と誠』と性別が逆だ。ま、そもそも純と愛だって、普通は純が男で愛が女だよね。はずす、はずす。すごいテンポで裏切られ続けるこの感じに、すっかりハマってます。

トイレネタにせよ、武田鉄矢の「言いそうで言わない四字熟語」にせよ、やたら具体的な、「純の“あたしったら昔からこうだった…”」なトホホ回想シーンとか、小ネタを手を変え品を変え、ずーっと引っ張るんだろうな、という楽しみも遊川脚本の基本だし、カリカチュアされまくってる登場人物たちにも、妙にリアルな設定が施されている。いきなり「サモトラケのニケ」ってトリビアを繰りだした城田優は、主人公に対して何か深い意趣があるのかと思いきや「ただHなことがしたいだけ」(←おずおずとこのセリフを言う風間君が傑作!)のケダモノなんだけど、コンシェルジュとしては有能で勉強家な一面もあることが描写され、だからこそサモトラケ…のセリフだったんだなあ、とか。

話にダイナミズムがあるのもいい。第一話、“いかにも朝ドラ”っぽく母の手料理の数々が並ぶ食卓を囲むも一家はバラバラで大喧嘩、そのまま家出…といきなり定石を外してきて、第二話でいきなり愛と出会って、第三話が圧迫面接だったよね? もったいぶらず、単なる顔見せでもなく、どんどん話が進んでいって、それだけでありがたい、と思った第一週だったことです。我ながら、梅ちゃんのトラウマは深かったのね笑

たぶん、主人公はそう簡単に成長しません。味方もそうそう増えません。登場人物はみんなクズです。それがイヤって人も多いだろうけど、いかにもなドジっ子で心が純粋で、「だから応援してね☆」って主人公の顔に書いてあるような押しつけがましさがないのが良いです。まあ、「全員クズだから余計な感情移入しなくていいでしょ? どうぞ存分にゲスな楽しみ方をしてくださいよ」と言わんばかりの遊川テイストに辟易とするときもあるんだけど、とにかく脚本家のえげつな〜い極彩色にあふれてます。そして愛が、愛がキモかわいすぎ! 純より先に、私が愛に恋に落ちそうです。まだまだ先は長いので、そんな話はまたおいおい。