『平清盛』 第40話「はかなき歌」

大河ドラマのサブタイトルはわかりやすいものが王道なので、「はかなき歌」と言われてもいかにも漠然として内容の想像がしがたく、少々不安視しておりました。もちろん、予告を見れば「あ、滋子の死ね」とわかるんですが、私は後白河と滋子の出会いのエピソードがそれほど好きじゃなかったもんで、別れにもあんまり期待してませんでした。

ところがどっこい! と唐突に死語。とっても良かったよ。隠れた名作回。「滋子、いい女!」「ゴッシーの梁塵秘抄・誕生秘話!」「もうすぐ鹿ケ谷だよ!」そんで、「清盛、おまえって奴はもうー!」

ということで、兎丸という人柱の上に完成した大輪田の泊です。これまで、水盥の中に金魚すくいのカップみたいなのを大量に沈めて浮島に見立てる、というミニチュアしか見せられてなかったんで、「おお、ついに港の現物が!」と一瞬昂揚しましたが、ほんとに一瞬しか映りませんでした。宋との交易が盛んになった、とナレーションで言ってますが、清タンちのお庭(これがまたビミョーに狭い)でフリマかオークション(しかも出品者ひとり)をやってるようにしか見えません笑 もう予算がないんですよね、わかります…。

邸の縁側の高いところ、港が見えるように兎丸の遺品の被り物を飾り、満足げに語りかけてる清タン。そうそう、死んだ人は大事にできるんですよね〜結局、自分の夢をかなえただけなんですけどね〜。それまで慣例(?)だった人柱を否定して代わりにお経を奉じた、というのは、合理性やヒューマニズムを兼ね備えた大人物であったことを語り継ぐための、数少ない「清盛いい人エピソード」なのに、このドラマでは「結局、兎丸が人柱になったも同然じゃん!」ていう展開にしたっていうのが凄いよな。清タンは今日も元気にもののけ道を驀進中です(怒)。

そんな父ちゃんのけなげな娘・徳子は高倉帝の中宮になっていますが、入内後、3年経っても子ができないことを滋子に詫びてます。「焦ることないわよ!」と大笑いで応じる滋子ちゃんがいい女。頼もしいお姑さんですね、叔母さんでもありますが。

しかし、この滋子のセリフで、「高倉帝ってまだ14歳なのか! てことは、11歳から子作り頑張ってるのか…! 」と驚愕した視聴者は少なくなかったはずです。ちなみに今回、この「帝は14歳」を皮切りに、次々にセリフで明らかにされる登場人物たちの年齢に、あいた口がふさがらない視聴者も多かったはずです。清盛58歳、後白河50歳、滋子35歳…!

もとい、撮り方がうまいのもあるにせよ、二階堂ふみさん、これまでのわずかなシーンで、驚くほどの存在感。

滋子ちゃんは徳子の子宝祈願も兼ねて、後白河とともに厳島を訪れます。清盛に呼ばれたらホイホイ出向く後白河さんが(笑)。厳島神社の「横へ、横へと伸びていく」意匠の面白さを一発で飲み込むゴッシー。けれど、「これが私の目指す国の姿です」という清タンのビジョンが思い描けず懊悩します。「アイツ、いつのまにか遠くへ行っちゃった…」

ここで、「わからなくてもいいじゃないですか、視聴者にも全然わからないんですから あなたはあなたなんですから 」と軽ーい口調でゴッシーを全肯定する滋子ちゃんがいい女。加えて、ゴッシーの清タン横恋慕にヤキモチも焼かず、「私がいる限り、あなたと清盛の絆は盤石よ♪ いつでも橋渡ししてあげる♪」と、バックアップを約束する滋子ちゃんがいい女。この明るさは、私のもってる滋子像にもすごく近いです。いい女すぎて、完ぺき、フラグですが。

そんんでゴッシーの居ぬ間もがんばるがんばる滋子ちゃん。平家ばかりが取り立てられて面白くなかろうと、ゴッシーの近臣ふたりを招いて自ら酌をせんばかりに慰撫するいい女。これ、ほんとにお酌をするんじゃなくて、「私が酌をせねば飲めぬか?」とあくまで貴人らしい上から目線なんだけど「だったら、してあげてもいいのよ♪」というニュアンスのセリフが良かったよね。

鷹揚で優しい女院さまに、福原で清盛に邪険にされて怒り心頭だった西光も、出世した重盛に祝辞を述べた直後に舌打ちせんばかりだった成親も、思わず籠絡されちゃいます。こういう気配り上手、盛り上げ上手も、史料から伝わる滋子像。これまであまりこういう描写がなくて歯がゆかったんですが、この回で一気に盛り返してます。

成親と西光の造形はすごくわかりやすく、かつ工夫されている。私心しかない成親と、無私の西光っていう対比だよね。で、西光の無私は信西への心酔ゆえで、その最期を見届けた加藤虎ノ介さんの名演が説得力を増してる部分はあれど、その後のリアクションがあまりにもセンシティブ過ぎてちょっと作り物っぽく感じもするんだよね…。

清盛に宋銭を渡されて信西の遺志だと言われれば率先して推進。かつて信西が復活させた「相撲の節会」を軽んじられたら沸騰。うーん、わかりやすいんだけど、わかりやすすぎて、なんだかな。ま、忸怩たる思いも手伝って、ってことなんですかね。信西の遺志を継ぐため、西光にできるのは、後白河に仕えることや相撲の宴。そこで、宋と貿易するためにでっかい港を作ったり銭を輸入したりしてる清盛に「俺こそが信西の志を継ぐ者」とばかりのことを言われたら、そら、ぐうの音も出ない。悔しいわな。

てか、あそこでケンカを売る清盛が謎。なぜ、「自分、福原で隠居してるんで、都の息子(孫でも弟でも誰でもいい)の某にやらせましょう」とでも言わない?! 政局安定のためには、どう考えても西光に恩を売っといたほうがいいでしょ?! 相撲の宴にかかる金なんて、今の平家にしたら、はした金じゃないのか。一門には公卿のたしなみとして歌舞音曲つきの宴を奨励しておきながら、「中身のない宮中行事」というセリフには、脚本上の矛盾があるのでは? 

ちょっと、「ふたりを対立させるために拵えました」って匂いがぷんぷんしてた感も。「清盛が相変わらずトチ狂ってる」描写でもあったんでしょうが。ったく、こいつほんとにどうかしてるよな。

都では、かの名高い「梁塵秘抄」の編集が始まってます! おっ、久しぶりに新曲キターーーーー!と喜んでたら、これ、ホントに新曲みたいですね。梁塵秘抄って散逸してほとんど残存していないらしいんですが、10年ちょっと前に、神田かどこかの古本屋から発掘された歌だとか。「♪夜昼明け越し手枕は明けても久しくなりにけり何とて夜昼睦れけんながらへざりけるものゆへに・・・」いい歌ですね〜。またそれを、滋子との別離という良いドラマに仕立てあげたこと。そう、ここでまた、いい女、滋子にわかりやすいフラグです!

後白河が語る梁塵秘抄・誕生秘話にも、ぐっときちゃいました。「歌なんて、梁に積もるチリのようなもの。吹けば飛ぶようなはかないもの。歌声は後世に残すこともできないもんね。だけど、だからこそ、好きなんだ。歌はいつもそこにあって、楽しませてくれる」

なんていいセリフだったことでしょう。愛を知らぬ女・たま子を母に持ち、王家の中枢から遠く離れ、誰からも必要とされず育った後白河の孤独な魂が、歌…しかも、貴人の王道の和歌でなく、庶民がくちずさむ今様を求めたという理由が、なんだかひどく納得できる。また、清盛の築港という、目に見える大事業と比較させたのも、「そういう視点でくるか!」と驚嘆させられました。

なーんか、ゴッシーがしみじみ哀れで、愛おしくなっちゃってね。そして、そんな彼を再び全肯定する滋子がいい女。「滋子の心は滋子のもの」というおなじみのセリフは、大河の猛者(←毎度書いてて恥ずかしいけど私のことよw)には大概不評だったんですけど、なんとびっくり、ここで「そして滋子の心はいつでも法皇様のおそばに」と続くじゃないですか。あまりに直接的で、大河ドラマの女性のセリフとしてはどうかな、とも思うんだけど、なるほどな〜、と。

生来孤独だった後白河を、唯一愛したのが滋子だったんだよね。「王子だろうと乞食だろうと関係ない」と豪語するような奔放さ、意志の強さをもった滋子が、自分で選び、決めて、生涯を通して一途な愛を捧げたということ。それがバーッとわかって、「なるほど、このときのための、“滋子の心は滋子のもの”のセリフだったんだなー」と感心しました。

最後に、「法皇様の世が絶えぬことが滋子の望みです」と言わせたのは、ちょっと蛇足だったかも。藤本さんが(わかりやすくするためでもあろうが)そういう種をきっちり蒔くタイプの人なのはもうわかってるんだけど、やりすぎは禁物だと思うのよ。

後白河、五十の賀。惟盛・資盛の青海波は、平家物語でも「まるで光源氏!と、見てるみんなが感涙に咽ぶ」という記述(大意)があるくらいなので、特に惟盛にはどんな美貌の主を?と思っていたが、意外に普通…? これなら重盛が踊ったほうが…(以下自粛)。衣装は凝ってましたね〜青海波っていうぐらいだから青い衣装かと思ってたら赤だったけど、波っぽい意匠はあった。あ、平家の赤、てことだったのかな。経盛も今日は珍しく教盛とセットでない出番が多し。鐘(?)を叩くあの格好もすごく豪華だったけど…駿河太郎さん、あんまり似合ってない笑

さてその場で後白河、ななんと清盛にどストレートな告白です。「わしの目指す世にそなたは欠かせず、そなたの目指す世にわしは欠かせない」。これは滋子の体面を慮ったというか、彼女の愛情に応えて、という感じもありましたが、なんせ、その内容はちょっと「?」。清盛が後白河のハクを利用しているのは事実ですが、それは自分が頂に立つためのものだし(それはうすうすわかってるでしょ?)、後白河の目指す世に、というより、後白河の刺激的な人生のために清盛が欠かせないだけですよね? なんか単なる熱烈な愛の告白にしか見えなかった。

ま、それはそれでいいのかも。だって、応える清盛ったら、言葉こそ恭しいんだけど、すげー固い表情。全然目が笑ってないの。明らかにゴッシーの片思いです。これじゃ、滋子がおらんくなった途端、「なんだよ清盛って実は俺のこと全然大事じゃないんじゃん! えーいかわいさあまって憎さ百倍! なんでもかんでも邪魔したる!」て展開になるのも無理ないな…と思わされる場面でした。

そして牡丹?芍薬?のお花をおふとんの周りに敷き詰めたベッドルームでしっとりと戯れるゴッシー&滋子…高倉帝が14歳ってことは付き合いも15年、滋子ちゃんもいい加減、古女房ってとこなのに、超ラブラブですな。って滋子ちゃん死んじゃったー! 「フラグ立てまくったからもういいでしょ?」と言わんばかりの唐突さでした。実際に唐突な死だったんでしょうが。でも、徐々に弱っていくようなのより、華やかに咲いてパッと散る描写は滋子らしかったとも思えますね。きっとお酒を飲み過ぎたんだよね…ああ、ひとごととは思えないわ(汗

ここで超驚かされたこと。滋子の遺骸に後白河がキッス! かつて、今にも逝こうとするたま子ちゃんの顔に触れる鳥羽院を、近従の者たちが羽交い絞めにして引き離し、ぶ厚い扉を閉めるシーンがあったとおり、神聖な身分の人が死という穢れに触れるのは厳禁のはず。それを、よりによってキスしたよ、この人! 歴史考証という点からは完全に逸脱してるけど、後白河らしい深い深い愛情表現で、すごく良かったです。

死のシーンが、部屋に駆けつける上西門院さまによって始まったのもちょっと驚きでした。この再登場は、視聴者からの人気が上々だったからじゃなかろーか。相変わらずお上品で美しく、優しげでございました。

そして夜更け、「夜昼明け越し手枕は明けても久しくなりにけり…」の新曲をひとりくちずさみながら、涙にくれる後白河。といってもこの人の場合、泣き笑いなんですけどね。悲しみの深さが伝わる…。編集中の今様の原稿が、一陣の風によってハラハラと舞いあがっては散っていく表現にも、サブタイトルが思い起こされます。

あんなにいっつも清タン・清タン言ってたゴッシーを、嫌な顔ひとつせず、大きな愛で包んであげてた滋子ちゃん(違?)。唯一無二の存在を失くした彼はまたひとりになってしまいました。この大河では丹後局は最後までスルーでしょうか。ところでそろそろどなたか、後白河の泣き笑い集をニコ動あたりにアップしてくれませんかね?

時子、時忠、宗盛のそれぞれの悲しみ方。この時子、深キョン史上最大に美しいね。リアリストらしく今後を危ぶみつつも、時忠が一筋の涙を流すのは納得。利己的な理由もあったろうが、姉や妹を大事にしてきたのもまた事実…な時忠である。

そして、「これから逆風になろうが、俺は一歩も引かないぞ。それが滋子への弔いだ」と、また超絶理論を振りかざしている清盛が。
こいつほんとにどうかしてるよな! 

清盛にしてみたら、あのとき頼朝の中の義朝に激白した(って、なんだそれ?て感じだけど、そうなんだもん)ように、「どんなに苦しくても俺は乗り越える。途中で降りた者たちが見ることのできなかった景色を俺は見る」ってことなんだろうけどね。清盛の前に破れ、または志半ばで去った者が多ければ多いほど、彼はその決意をより強くする。死者を取り返すことはどうやってもできないからそうやって報いるしかない、という理屈。

そりゃ、どんどん孤独になるわな。頑迷になるわな。いま生きてる者たちが見えなくなってしまうわな…。白河院が言った「頂に立って見える景色」がどういうものか、だんだん、わかってきた感が…。それにしても、大河ドラマで、ここまで意図的に主人公と視聴者の気持ちを乖離させる脚本も珍しいんですが、なんか、死の直前までこのままいっちゃいそうな気がしてきました。

今週のそのほか。ここ2週、重盛がピンクレです! てかつまり、奥さん(経子)が出なかったらピンになるっていう寸法らしい。乱暴だなー。舞のスジの良い息子たちにうれしそうなのはいいんだが、なんかどう見ても傍観者。右近衛大将に昇進してこの人らしく身を引き締めてはいましたが、働き盛りの棟梁、て覇気は無し。この辺の演出もしっかり先を見据えてるんですね(涙)。どーでもいいけど、「きっと」のアクセント(き、が強い)が清盛と同じだね。

伊藤忠清にもらい泣き。重衡の、的を上手に射抜きはするんだけど、笑顔で「戦など起こるのか?」の一言はうまいセリフ&演出。分武に長けた知盛はフォローした上で「でも時代は変わったから」と「正しすぎるのは間違っているも同然」のセリフでこの老い武者をノックアウト。しばし呆然とした後、目から出たものを拭う忠清。藤本隆宏、うまい。ドラマではそこまでやらんだろうが、この忠清なら、壇ノ浦のあとも抗し続けて頼朝を脅やかしたであろうなと思わせる。ここで宇梶さんの頼政きたー! 宇梶さんはこのドラマに大河らしさを与える役者のひとりなんだけど、役が役だけに出てきたら超警戒心をもっちゃうよ。

源氏。塚本高史のセリフによってきたろうの死が告げられました。政子も成長して顔を洗うようになったようです。頼朝も日常の雑事をこなせるぐらいには元気になったようです。政子、そのネクラにかまわず、髭切の封印を解いちゃえ! いや、やっぱりやめて!