『負けて、勝つ』 第3話

アメリカ、とか、GHQ、とか聞くと、なんだかがっちり一枚岩のような気がしてしまうのだけど、確かにちょっと考えてみたら、そんなはずないことはすぐわかるってなもんだよね。これは現代に置き換えてみてもまったく同じで、今般の中国における反日デモの背景にも、実は中国共産党最高幹部の改選に関する激しい内部抗争がある、という記事を読んでナルホドと思ったものだ。「劇薬を飲む」覚悟で、ウィロピー准将を利用した吉田茂白州次郎ラインよろしく、現在の政治家も、各国、各団体の内部事情までをふまえて、戦略的に動いている…と思っていいんでしょうかね?

…と、のっけから話が逸れたけど、GHQとアメリカ本国、またGHQ内の派閥争い、のふたつが描かれたのは興味深かった。このドラマは別に政治を詳しくやってるわけじゃないけど、歴史を見る上でのいくつかの視点を与えていると思う。

さて、第一次内閣のころの吉田茂って、支持率低かったんですね。いわゆる「不逞の輩」発言のころか? 昭和天皇も憂慮を示していたとかいう。第一話か、舅にあたる牧野伸顕が、「政治家は頭を下げるのが仕事だ。あんたにできるのかね」と尋ねるシーンがあったけど、「答え: できません。」て感じ。

それを、「人気がないのよね」「やっぱり向いてないのよ、お父さんに総理なんて」と、あっけらかんと言う三女の和子がいい。暗めで頑迷な父・茂、ネクラの兄・健一、極端に控え目な父の後妻・小りん…とやたら暗くなりがちな吉田家の家族全員を、あるがままに受け止めつつ笑っている姿が印象的。性根が明るい感じを、鈴木杏がすごく上手に演じてる。実際に、この人は、先妻と早くに死別した茂のファーストレディー格としてあちこちに随行していたらしいね。太郎の母ちゃんってそんな大物だったのか。

娘のみならず後妻もすばらしい。なんですか? あの寝室シーンの、そこはかとないエロさは〜! ふたりとも、別々の寝台に横になり、首まで布団をかぶった下はもちろんきっちり寝間着で、豆腐がどうの肉がどうの、あげくに「もっとよく噛んだ方が」なんて話してるだけなんだけど、馴れ親しんだ男女の睦まじさが香り立っている。(このドラマの中の)茂は、こうして決してでしゃばらず、知りたがらず、いつも変わらぬ奥ゆかしさで自分を慕う小りんが、かわいくて、愛おしくて、同時にその姿に支えられているんだろうなあ、と思わされるシーン。下手な人がやったら相当寒いシーンになりそうだけど、そこは渡辺謙松雪泰子。役者が違う。

ドラマに出てくるもうひとりの女。広島の孤児で、政府が作った進駐軍向け特殊慰安施設に応募して、やがて街のパンパンになった女は、客から病気をうつされて、多分もう助からない。架空の人物だけど、確実に、ああいう存在が多数いたのだ。きっとあのあと、(こちらも架空の人物らしい)永井大はなすすべもなく帰るしかなかっただろう。

この回では、広田弘毅の処刑と、その報を受ける吉田茂の姿も描かれた。刑の執行が終わったことを告げにきたのは白州次郎。けれど、顔は映らない。扉をあけて報告し、すぐに去ろうとして、茂が何か言うかと思いなおして少し待って、けれどやっぱり出て行く…という姿が、上着を着た腕から腰のあたりまでだけで表現されていて、すごかった。扉が閉まる直後、唐突にこみあげた吐しゃ物を押さえ込むかのように口を手で覆ってかがみこむ茂。眼鏡が床に落ち、激しく嗚咽する。

直後、衆議院総選挙で、彼の民主自由党が大勝利を収めた場面。党本部、大喜びの党員たちの前に口をへの字に結んで現れた茂。笑顔はなく、目をかっと見開いて、大きな声で何度も万歳を叫ぶ。

あのころの政治家は、たくさんのなすすべもないこと、その悲しさや悔しさを仕事にぶつけていたのではないかと想像する。今の政治家もそうであったらいいのだけど…。

広田弘毅は、麻生太郎が出現するまで、ここ福岡が輩出した唯一の首相だった。そしてもちろん、A級戦犯として処刑された唯一の文官だ。「落日燃ゆ」も読んでいない私だけど、市民で賑わう大濠公園の中、通りに面した格好で銅像が立っているのは知っている。あと、天神の水天宮の鳥居の字は、彼が書いたんじゃなかったかな。

第1話では近衛文麿野村萬斎)、第2話では鳩山一郎金田明夫)がフィーチャーされたが、今回は芦田均。お茶漬けのシーンは、一見、怜悧で腹の底が見えにくい雰囲気のある篠井英介という役者のニンを逆手にとってうまく利用したような感があり、見応えがあった。まったく違うタイプの人間であり、めざす「将来の日本の姿」も違う。政治家としては融和できないけれど、同じ時代に生まれ、互いに己の矜持と志をかけていることはわかり合う、っていう…。ぬか床からとったきゅうりを丁寧に切り分け、ごはんの上に乗せてお茶を注ぐ…というだけの料理がたまらなく美味しそうに見える自分はやっぱり日本人だな。

あそうだ、『風林火山』ファンのみなさまお待たせしました、またひとり、このドラマにお仲間が加わりましたよ〜。茂に代わって首班指名されそうになっていた山崎猛幹事長役の大橋吾郎さん。風林では、上杉家から武田家へと主家を変える大熊朝秀を演じていましたね。この分野、来週も要チェックや! 高橋一生とか上杉祥三とか、出てきてくれてかまわないんですよ〜ふっふっふ。

閑話休題。さて、池田勇人(大蔵官僚)&佐藤栄作(運輸官僚)&岡崎勝男(外務官僚)が、茂のパーティに加わった!! 「ぼくたち官僚は実務のことはわかるけど政治はまったく…」とびびる3人を、「政局に明け暮れるだけの政治家より、実務がわかること、行政手腕のほうがよっぽど重要。これからの日本には君たちのような政治家が必要なんだ!」と口説き落とす茂。

彼らが官僚出身の政治家であることすら知らなかったし、今日びの国民に「官僚=能なし、保守的、自分の部署さえよければいいという事無かれ主義」のようなイメージが定着して久しい気がしますが、なるほどかつては官僚こそ優秀な実務家の証だったんだな、と目が覚めるような思い。だから「官僚たちの夏」なんて作品も存在するわけね。

後半には今回も、クライマックスとして吉田茂 vs マッカーサーの対峙が。大統領選の予備選挙に惨敗してからというもの、意気消沈し、進駐軍の仕事にも意欲を失ったかのようなマッカーサーを茂は非難する、「失望した。あなたを尊敬していたのに。大統領選のほうが大事だったのか?」するとマッカーサーは引き出しの拳銃を持ち出して茂に握らせると己の額に銃口を押し当て、「おまえは戦場に行ったことがあるのか。俺が気にくわないなら撃て。俺に逆らうのは合衆国と戦争をすることだ」と顔色を変えて凄む。

そんなこと言われたら、敗戦国の政治家はすごすごと引きさがるしかない。けれどこのやりとりで、茂は初めてマッカーサーと同じ高さに立った気がする。愚かな四等国の民主主義化を進めてやっている為政者、というこれまでの自信たっぷりの姿とは違った。図星を突かれて衝動的に憤り、優位を保つために必死に恫喝していた。さて、次の対峙ではどうなるか。

前後するが、芦田均に尋ねられた茂が、「日本を世界一の国にしたい」とぶち上げるシーンがあった。「この焼跡の敗戦国を世界一にだって?」と芦田は最初、鼻白むが、茂が日本人の勤勉で志高い国民性に思いを馳せると、うなずく。画面が切り替わると、場末の屋台で酔いつぶれそうになっている息子・健一は、屋台の親父に向かって「貧しくてもいい。誰もが隣人や家族を愛し、ささやかな幸せを感じられる国になってほしい」と語っている。これは、なんというか、非常にわかりやすく対立する思想でありながら、どちらを支持するか決めかねる本当に難しい命題だ。

戦後の政治史、マッカーサーとの関係、それに加えて息子との相克と、全5回しかないドラマにしてはいろいろな要素を詰め込んでいるので、少々とっ散らかった印象にもなっているが、吉田茂は最後には失脚するのであるから、この、「父と息子」パートに何らかの落とし前をつけて、物語をまとめるのではないかと思われる。同じく芦田に、「私は民衆を信じているが、あなたは自分しか信じていない」と指摘されていたのも、その伏線だろう。(とはいえ、今なお、近衛や広田らを思い痛切な顔をしている渡辺謙吉田茂が、独善のための独裁を行っているとは、とても思えないのだけれど。)