『平清盛』 第35話  「わが都、福原」

んー。たくさんの伏線を張っては回収し、コントラストやリフレインを効果的に使ったりと、とてもよく工夫されていて感心しきりなこのドラマなんだけど、有無を言わせず引きずりこんで離さないような求心力、多少の内憂外患をぐんぐんなぎ倒していくような推進力に、ちょっと欠けてるきらいがあって、最近はそこが気になるかな。

清盛と後白河とか、清盛と白河@冥界とかのぶつかり合いを作ると、まさに「ぞくぞくするのう」なんだけど、福原遷都にしても、高倉帝即位にしても、実際の歴史イベントが、つるつるーっと、あまりになめらかに進んでしまって、ちょっと印象の薄いのは残念。これは、一昨年の『龍馬伝』にもかなり見られた現象*1なので、やはり、いろいろ想像を膨らませて書ける部分より、創作の余地が少ない厳然たる史実を描くほうが難しいってのはあるんだろうな。

ま、去年とか、天地…とかは、そこまで求める水準に達していなかったと思うので、今年は全然、断然、幸せです。去年は製作陣の話し合いで、原作にあった大きな伏線を排除したという。理由は、「一年間の長丁場で伏線をひきずっても、視聴者はいちいち覚えていまい。むしろ物語をわかりにくくする」というようなことだったと思う。まあ、それもひとつの考え方なんでしょうが、私なんか、引きずるべきところは引きずってくれないと、大河ドラマの面白さは激減じゃないか、と思うたちなんで。

さて…。今日の本編は先週ラスト、清盛「勝手に死んだりはいたしません」 後白河「この死にぞこないめが!」のやりとりの再現から始まりました。あの松田翔太の顔! 再見でも笑っちゃいます。

山法師と渡り合うため、親玉を呼びつける清盛。このとき、清盛が上座から降りていて、座の位置に上下がつかないように並んで向かい合っていたのにはびっくり。天台座主ってそんなにもエラいのか、とあらためてびびりました。

楽しみにしていたリアル剃髪、剃ってましたね〜ジョリジョリと。お相撲さんの断髪式みたいに髷を切り落とすかと思いきや、元結(っていうの?ゴム的役割のやつ)をチョキ、チョキと切って、あとは額の生え際を執拗にジョリジョリやるという、なかなか斬新なシーンに仕上がってた。ポスター見てわかってはいたけど、松ケン、ボーズ頭、似合うなー! すげーかっこいいです。大好きです(どさくさにまぎれて告白)。

50才の清盛が全然老けメイクしてないとか、だから弟や子どもたちとの関係もわかりづらいとか、あれで後白河40才オーバーとかないだろ、とかよく言われてます。その感想ももっともだと思います。けど私としては今のメイクで全然OK。あれは清盛の精神的若さ、“遊ぶように”生きている男の活力を表してるってことだと思う。後白河に至っては、若いっていうより未成熟、「赤子のような御方」だから髭すらなくてOK。もちろん、それがドラマ終盤に向かってどう変化していくかは、チェックのしどころだ。

死の淵をさまよう大病のあと、周囲には「十も若くなったような」と評され、自らは「年をとったからこそ、前へ前へと進みたい」と明るいまなざしで言う清盛。この描き方はいいナーと思った。

当時としてはそこそこの年まで生きた清盛だから、いずれ「老い」に関わる表現を避けては通れないだろう。まして史実、清盛の晩年は不穏にみちみちている。第三部のキャッチフレーズのとおり、諸行無常、盛者必衰を描くことがドラマの主題のひとつでもあるに違いない。

でも、ここまで平氏の、清盛が主人公の物語を見てきたからには、やっぱり清盛には元気でかっこよくいてほしいなーと単純に思うんだよね。成りあがって尊大になって年をとって足元をすくわれて…みたいなのじゃなくて。たとえば「カーネーション」は作品の性質上、老いのリアルさを追求する部分があったから夏木マリに交代してすごい老けメイクしてたわけだけど、それはそれ。●才になったから強制的に老けメイク、というのもちょっと違うな、と、これまで「老けメイク党」だった私ですが、この大河を見てきて転向しました。ま、過去を振り返っても、中井貴一堤真一だって、向井理忽那汐里だって、親子には見えなかったのが大河の歴史でしょうよ。

とりあえず「ゴキゲン・ゲンキ」(from 「おかあさんといっしょ」…すみません超限定的な表現で…)な清盛なんだけど、この人、一門の中の波紋とかさ、どこまで気づいてるんでしょうね。

“わかっていて、敢えて”の対応をしている部分もあるだろう。重盛に対しては、清盛は次代の棟梁には完全に重盛と決めているから、そのために彼を鍛えたい気持ちもあって、敢えてあまり手を差し伸べず、手の内を明かさず、という感じ? 頼盛に対しては、彼のわだかまりを承知していて、なおかつ彼を活かすために、官位の件はとりなさなかったけれど、遠大な夢を打ち明け、最大級の賛辞を送るという「鞭とアメ」作戦。

立派ですね。父性あふれる平家の棟梁。だけど、重盛−宗盛以下に生じている亀裂とか、互いが互いに抱く優越感とか劣等感とかには、気づいているんでしょうかね? これから気づくんですかね? 気づいたとして、どうするんでしょうね? 清盛自身も昔は長いこと反抗期でモラトリアムでコンプレックスの塊だった。彼はそこから自力で(もちろん友からの刺激や家族の支えもあったが)這いあがったけど、やっぱり、みんながみんなそんなに強いわけじゃなく…。

そして、一門の面々は清盛のこと、全然理解してませんよね? 弟はノー天気とコンプレックス。子どもは、三男以下は「うちの父さんはスーパーヒーローだから」と目を輝かせているだけ。二男は早世。唯一、長男は父を理解したがっているけれど、父のほうではその切実さに気づいてないし、長男自身、今大変だから…。救いは盛国と時子なんだけど、盛国はもう完全無欠の黒子だし、時子も「とにかくついていくだけ。女子衆はまかせて」って感じで、清盛の心に踏み込もうという気はさらさらない。てか、まずもって清盛の側が、ふたりになんでもかんでも話す感じでもなさそうだからな。

先週、白河院の前で体を折って慟哭していたような悔恨とか、母への追慕とか、まあ確かに普段は引っ込んでるものだろうけどさ、清盛自身の迷いとか、弱さ・やさしさとかはもう、ずっと前から、全部たった一人で処理しちゃってますよね(常磐を押し倒したときは、ちょっとだけ清盛の内面が洩れ出してた。だから、あのシーンはすごい緊迫感だった)。それが大人の男、それが棟梁ってもんなんでしょうが、一蓮托生と言いながら、清盛と一門との間の隔絶具合はすごいもんがあるなーと感じる。

最近、重盛が孤独で見てらんない…て感じで見てたけど、それ以前に、清盛もあたりまえのように孤独なんだよな。のちの平家の瓦解は、今回の作品の場合、この辺が端緒となるような。

つーか、都移りにせよ、厳島社の造営にせよ、歴史に残る大業・偉業が、主人公ひとりの頭の中でポッと閃いてパッと出てくるのが、ちょっとつまんないんだよね。これは、龍馬伝薩長同盟船中八策のときも思ったんだけど…。実際、そんな大それたことを思いつくから英雄なのかもしれないけど、ドラマとして見てると、なんかすんごく呆気なくて、ものたりないんだよな。そんなに簡単に?て感じがする。ま、清盛の場合、博多を都の隣に…とか、交易で国を富ませる、という思想は前々から描かれてきたんだけど、それでも、もっと難産のやつが見たい。

福原については、「後白河から離れたい」って理由が説得力あったけどねw。今回のゴッシーは、清盛が勝手に出家するわ、勝手に福原に行っちゃうわで、たいそう御立腹でしたねww 「離れるならそれなりの覚悟をしていけよ」って立派な捨てぜりふですからwww

でも、なんだかんだいって、「隠居なんかじゃない、あれは前に進んだのだ」「道なき道を突き進むのは、あやつのもっとも得手とするところ」って、完全に清盛を理解している後白河ちゃんなのでした。しかし、その腹いせ? それじゃこの隙に、て感じ?で高倉帝を即位させたような描写には首をかしげたなあ。このドラマ、ゴッシーの清盛への愛は十分に(十分すぎるほどにw)伝わってるんだけど、この辺のパワーバランスが具体的にどうなっているのかの説明が少なくて不満だ。

さて、頼盛いいですね〜。頼盛って相当ウザいキャラになりそうなもんだけど、西島隆弘さんの演じる頼盛はなんか応援したくなる。線も細いし声も高いけれど、苦渋をにじませたり、かと思うと激昂したり、声を裏返らせたり震わせたりと、すごい熱演ぶりで、そのすべてから、いい意味で若さ青さがほとばしっていて、「こいつもつらいもんがあるよな」ってすごく感情移入してしまう。AAAで歌って踊ってる姿?が全然想像できません。見てみたい…。

もうひとつには、言わずと知れた叔父正さんの存在がある。「口うるそう一門を支えよ」も、「途方もないことをしでかす兄をもった弟のさだめ」も、まあちょっと食傷って感じがせんでもないリフレインでしたけど、あれらの言葉がなくても、頼盛の背後には、つねに、豊原功補がその演技力を遺憾なく発揮して作り上げた忠正の影が、あるんだよね。そしてそれは同時に、パパ盛こと忠盛と忠正の関係、忠正と清盛の関係、さらには清盛と家盛との関係、池禅尼と息子たちの関係…までもを想起させるものでもある。こういう重層的な人間関係を前半にしっかりと作り上げたのは、今回の大河の出色というべきところだと思います。

最後に源氏。源氏パートはそれほどの出番もないのに、時政にしろ藤九郎にしろ、やたらキャラが立ってるのもいい。これはエンケンさんと塚本さんの演技力のたまものだと思う。今んとこ政治的なイズムをまったく見せない時政の今後が気になる。頼朝はまだまだ鬱だけど、頼朝もかわいそうだけど、そばにいる藤九郎もかわいそうだと思っちゃうよー。彼、峰竜太のとこの従者(やべきょうすけが演じてた)のほかにも、よそに、世間話をするような従者仲間みたいな人いるのかな? てか、村の娘と懇ろになったりしてないのかな? とか要らん心配をしたくなる。

政子ちゃん本格登場。突きぬけてる。杏さんの演技に、なんというか、すごく良い「抜け」感があって、最後にちょこーっと映った遮那王義経さんと合わせて、まさに新風って感じがしますね。神木くん、童形が似合うな〜! あ、松田翔太登場時の童形も良かったよな、とか思い出した。

「昨日も今日もない」頼朝。「ああー今日が終わってしまう」の政子。「明日しか見えていない」清盛。また、これまで白河院の血を引くラインにしか使われてこなかった“もののけ”の語が頼朝に対して使われたこと(しかも発したのは政子)。など、セリフにいろいろ散りばめられてましたね。政子は「もっと遊びたい」とも言ってました。頼朝は政子と出会わなかったら始まらなかったんだろうなー、という予感が、すでに、ぷんぷん。

*1:長崎のお元のくだりとか、高杉晋作登場のあたりは、ものすごく面白かったのに、肝心の薩長同盟とか船中八策とかはかなりサクサクやってしまって全然感動がなかった…