読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日もブログ書いてます 4

さて、「好きじゃないのにブログを読んじゃう問題」には、もうひとつの側面があります。「自分のブログを、好きじゃないのに読んでる人がいる問題」です。その可能性はもちろん承知してたんだけど、あんまり具体的にイメージしたことなかったんだよね。辺境でちまちまやってるブログだし、とか思って。

でも、アクセス数の問題じゃないんだよね。人が複雑な感情を覚えるのって、たいてい、それなりに接点や共通点のある(あった)相手に対してだもん。たとえば、普通、見も知らない社長さんとかって、興味があったとしても好奇心でしかないじゃないですか。かつての同級生、しかも昔はパッとしなかった子がお金持ち(リア充)になって・・・てのを見たときに、嫉妬心とか劣等感とかが生まれるわけで。

もちろん私は出世もしてなけりゃステキ生活を送っているわけでもなく、むしろオタク気味な生活を披歴し続けてるだけなんですが、逆に、そんな私に対して優越感をもってる人がいるかもしんないし、文章からダダ洩れる私の至らない人間性に唾棄してる人がいるかもしんない。どんな印象で読まれてるのかはわかんないし、どんな印象を持たれても不思議じゃない。

そう。最近、ひょんなことから「え! この人が読んでたの?!」と判明してびっくりしたんだよねぇ。詳細は省くけど、たまたま、じゃないの。たぶん、少なくともあるていど継続的に、読んでるみたいなの。

もう長いことブログやってるし、このネット時代、オンラインの自分をいちいち隠しだてしたりしてないから、誰がどんなきっかけで知って、読んでもおかしくないとは思ってる。実生活での連絡もまばらになっている古い知人・友人から、「たまに読んでるよ〜」みたいな反応をもらうことも、たまにある。それはかまわない(っていうか結構うれしい)。私にも、そういう感じで読んでるブログ、あるし。

でも、「あなたから離れていったんだよね?」てな人がいまだに読んでるとなると、さすがに「それどういう心境?」て首をかしげる。あ、元カレとかじゃないよ。人間関係が悩みの種になるのは浮世のお約束といっても、こちとら、そうそう悩めるほど豊かな或いは複雑な人間関係を展開してないんで(笑)、免疫も経験値もないんだよ。

だからといって、やたらとブログを引っ越したり、パスワード制にして読み手を制限したり、有料モードにして詳細なアクセス解析をしようとは思わないんだよね。目立ちたいわけじゃないけど、間口は広くしときたい。来るもの拒まず、去る人追わず。開放性、流動性を確保してこそ、ブログの面白さを満喫できる気がする。読み手の反応を気にしすぎないのも大事なこと。たいていの人にとって、私のブログなんて、まず間違いなく取るに足りないものなんだから、そこは自意識過剰にならなくていいのだ。

と、もろもろの原則に立ち戻ってみたらば、やっぱり「気にするに如かず」なんだろうな。

きっと、その人は、親和的な気持ちで読んでくれてるわけじゃない気がする。嘲笑? 嫌悪? なんにせよ、わざわざ読んでネガティブな気持ちになってるなら、それは、その人が、私のエゴと見えない格闘をしている状態。私が拒んだり、あるいは歩み寄ったりしなきゃ、と思わなくていいんだ。

(コメントなど)書き手にわかるリアクションをするわけでなく、ただ「ブログを読む」行為に関係性は発生しない。あくまで読み手の内部問題。書き手が関知する必要はないんだよな。うん。誰がどう思おうと、自分は自分。かわりなく続けることによって発生する価値があると信じる。(続く 次で終)