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今日もブログ書いてます 2

よっつ、前記とも重なるけど、ブログは、ちょっとした居場所になります。先般読んだ、町田康いしいしんじの対談本。「会社」について語る部分は、非常に示唆的でした。

いしい: 会社に所属するってことがまず大目的としてあって、会社員でいること、いつづけることの条件のひとつとして「働く」ってのがあるんじゃないか、と

町田: 組織に帰属しているっていうのは実はとても快感なんでしょう。
いしい: 快感でしょうね。
町田: 自己拡大というか、たとえばだんじりをひとりでひっぱろうとしても、絶対びくともせえへんのが、みんなで「せえの」とひっぱると、別にたいして力をいれていないのに、あ、動いてる、って。

いしい: (中略)そういう心地よさのいっぽうで、会社って、人間関係の悩みをうみだすマシーンって側面もありませんか。
町田: 「なんで俺が課長どまりやねん」とか。
いしい: お金、上司と部下、男女関係、その他いろいろ。(中略) といっても、そこで生まれる悩みって、自分たちが思うほどオリジナルではてんでなくって、所詮マシーンがつくる悩みですからね、ある程度、類型的に決まってるわけです。

つまり人は、帰属への願望をもち、帰属することで安心感を得、しかし、帰属によって生じるしがらみに悩むわけですよね。居場所がほしい、でも、自由を確保しときたいし、面倒は避けたい。

そんなムシのいい願いが、なんと、ブログでは、ある程度、かなえられるんですよね。もちろん、世間ではオンラインがらみのトラブルは枚挙にいとまがなく、「炎上」なんて言葉もすでに浸透してますが、そこらへんとは無縁でいられるのが、辺境の個人ブログの気楽さです。

それなりの常識とITリテラシーがあれば(ってあるのか、私に笑)、ブログって、自分用にカスタマイズしやすい居場所です。好きなことばっかり書いてりゃいいし、書きたくないことは書かなくていい。そのうえ、良くすれば、それを読んでくれる人や、からんでくれる人までいるのです。

自分が、今、職場とかPTAとかのようにわかりやすい帰属先をもってないことも、この居場所感覚に関係してるのかな。20代半ばのころは、ずーっとブログに仕事のこと(怒りとか愚痴とか熱意とかw)を書き続けてた。たぶんそのころのブログには、メインの帰属である「会社」のはけぐち的意味合いがあったんだと思う。

今は、何らかのテーマにagainstするためのブログではありません。いつからかだんだん、居心地の良さをキープすることに自覚的になりました。

自分のプライベートは、出し過ぎず、かつ、ひっこめすぎない(私も、人の日記を読むのが好きなのでw)。脊髄反射的なことは書かない。過激なファンがついてる芸能人とか、政治的にデリケートな話題には、軽々しく言及しないww  でも、あたりさわりのないブログにもしない。何かを主張したいときは、日にちをかけて落ちつき、考えをまとめてから書く。など・・・。

ま、それなりの“おとなげ”と引き換えに失った面白さもあるような気もするけどね。やっぱ、アグレッシブなブログ、尖ったブログの面白さもあるからなー。しかし、この居心地の良い場所をそう簡単に失いたくはないのだよ。(続く)