8/23 NHK特番「新・猿之助誕生」

亀ーーーーー!(澤瀉屋、とでも掛け声をかけるべきなんでしょうが、どうしても・・・)

NHKってこういう番組の編集がほんとに抜群にうまい(民放比)。吸い込まれるように見入った。革新、異端、猛優・・・そんなふうに語られる澤瀉屋の役者を前にこういう紋切り型で表現する己の凡々さ加減がアレですが、ほんと、片時も目が離せなかった。

元亀ちゃん、この短期間に、ものすごく変わったなという感じがする。

ご多分に洩れず2007年大河『風林火山』でファンになってから、実際の舞台は2回きりとはいえ、いろんな媒体で彼を追ってきた。もともと才気煥発という言葉がぴったりで、しかも才に溺れることない研究熱心の人であり、また揺るぎない自信をもっているようにも見える。あらゆる問いに対する答えをあらかじめもっているようであり、かと思えばすべての発言が巧妙な煙幕のようでもある。私はそういう亀ちゃんが前から大好きだったが、見る人によっては「油断ならない人」「至誠の薄い人」だったかもしれない。

それが、番組のためのインタビューでは、夾雑物を削ぎ落としたかのような、自分を守っていた殻を脱ぎ捨てたかのような印象。「好きな漢字を一字」と言われて、迷わず「亀」と書くようなクレバーな茶目っ気は変わらずなんだけどね。「もうすぐ書けなくなるから」ですって。よりシャープになっているのに、ひと回り大きくなったようでもある。もとより、うまい役者だと誰もが認めていたけれど、こんなに迫力があったかな?ていう。

まあこういうのって受け手の感情や勝手な想像が入っている部分もあるにせよ、それも含めて、「これが襲名なんだなあ」と思った。環境や、おかれた立場が、こんなにも人を変えるのかと鮮やかに見せつけられた感じ。

襲名が発表されたとき、ファンの多くは「うれしい」よりも「淋しい」「こんなにも早く亀じゃなくなるなんて残念」という気持ちが先に立っていたような気がする(私もそうだったよ〜)。でも、亀治郎最後の公演を終え、松竹等々へのあいさつ回りや配り物の準備など、襲名に向けての仕事を着々とこなすうちにどんどん変わってゆく彼の顔つきや物腰を見て、頼もしく、期待で胸がはちきれそうになってきた。「お練り」のころには、もう完全に、澤瀉屋の棟梁の顔になってるんだよね。風格みたいなものすら出ている。

今回、猿翁を名乗った三代目も、ことのほか多く映った。大病をして以来、彼の“今”がこんなにも映し出されたのは初めてだろう。動作にも言葉にも、病の影響はやはり感じられ、往年の映像のあとでは、いたましさも禁じえない。といって、あんな大病をした人が?と信じられないぐらいかくしゃくとしている、とも思えるし、「楼門五三切」では立派な口上で、「舞台に立つ」ことが役者に与える力って凄いんだな〜と驚嘆。当時の記憶がある人は、胸苦しいほど多くの思いにとらわれたのではないか。

三代目は、新・猿之助を称して「金のとれる役者になった」と言う。「あの子に期待している」と。「僕に足りないところを研究していけばいい。僕だって人間なんだから」。とても雄弁。去年の正月、浅草歌舞伎の舞台に立っている亀ちゃんを呼びだして、自分の口で「猿之助を譲る」と言ったらしい。勘三郎藤十郎といった大名跡と“猿之助”との違いは、初代の登場以来140年、1日も途絶えずに受け継がれてきたところにある。

亀ちゃんは「猿之助には強烈なあこがれがあった」けれど「すべてに反発していた」と言う。2003年、亀治郎は自らの意思で猿之助劇団を離れた。そのわずか4か月後に先代猿之助は脳こうそくを発したが、見舞いにもいかなかったらしい。テレビなどで来歴が紹介されるときには、猿之助から離れたことを「武者修行」と称するものが多かったが、「そういうきれいな言葉で括れるようなものではなかった」と亀本人がはっきり言ったのには驚いた。再会までには6年を要したということである。

歌舞伎ファンとしてもシロートの私だが、色々考えさせられたよ。両者ともに、胸中、今なお簡単に言葉にできない様々な感情が渦巻いてるんだろうなって想像する。

襲名披露の演目は、いずれも先代猿之助にゆかりのもの。亀ちゃんの重責は相当なものだろう。別媒体で、「先代を知っている人に、それよりいいとは絶対に言われないだろう」と言っていた。三代目は精力的に稽古に顔を出す。誰もが彼に敬意を払い、彼の意見を仰ぐ。けれど、今や舞台は新しい猿之助のものだ。

襲名披露の演目のひとつ「楼門三五切」の千秋楽。真柴久吉を演じた先代・猿之助に、また、その黒子をつとめた息子の中車に、盛大な拍手が送られる。涙する人もあっただろう。けれどもっとも客席が沸くのは、この演目には出演しない新・猿之助が、幕引きのあと、素顔に羽織袴で登場した瞬間だ。中心に立って人々を動かす若き猿之助、その自由な肉体を見るとき、猿翁は何を思うのだろう。72才。歌舞伎の世界では、まだ現役で主役を張っていても何らおかしくない年だ。

双方に、きれいごとだけじゃない様々な感情は、きっと、あると思う。それでも、猿之助という名前、澤瀉屋への思い入れ、そして歌舞伎という芸への情熱、執念は同じなんだろうな。そういう修羅のような芸道を(勝手に)感じさせるのも、猿之助って名前、澤瀉屋一門の凄まじさだな。もちろん、そこには新・中車を襲名した香川照之と、その子・団子もいるから、なおさらだ。

譲る者、継ぐ者。ただ言えるのは、その両方の思いを乗せてこれから走り続けるのが、新・猿之助の肉体であるということだ。もちろん、襲名の祝幕(from 福山雅治☆)の隈取りが表すように、初代・二世の重みもある。澤瀉屋一門、猿之助になれなかった弟子たちや、それこそ歌舞伎の台本ばりの恩讐を超えて梨園に来た中車の上に立つことでもある。歴史に残る功績を残した先代と比べると、まだまだ役者としては、圧倒的に分が悪い。

けれど、バラエティに富んだ(富みまくった)襲名披露の演目のすべてで躍動する新・猿之助の肉体を見ていると、ものすごい希望、可能性を感じる。新・猿之助はいわゆる「インテリ役者」であって、よくいえば知的、悪くいえば頭でっかちという評を受けることもあるけれど、澤瀉屋の持ち味はなんといってもケレン。これは肉体をぎりぎりまで酷使する芸だ。そうでなくとも、少年時代から踊りの名手として知られる亀ちゃんでもある。

「天翔ける心、それがこの私だ」。生涯を終えたヤマトタケルが言うセリフ。すごいフレーズだよね。私、本編を通して見たことないんだけど、ポスターに書いてあるのを見るだけでぐっときたし、万感の面持ちでそれを口にする新・猿之助に胸熱。大哲学者、梅原猛が先代のために書いた長い戯曲なんだけど、この一言でつかめるものがあるよね。これほど、澤瀉屋の精神を一言で表す言葉はないように思う。

歌舞伎には名門がいくつもある。市川宗家成田屋)に中村屋勘三郎)に音羽屋(菊五郎)に高麗屋幸四郎)・・・もちろんそれぞれすばらしく、家の芸風をもっている。それらに比べると、家格としては、一段も二段も下の門閥とされているのが澤瀉屋。でも、「天翔ける心」が似合うのは、澤瀉屋だけ。

「心=私」という言い切りに、哲学の香り。天空を飛翔する精神が宿るのが、ヤマトタケル猿之助の肉体なのだ。

人間の体はいずれ老いて滅びるけれど、そのたびに、猿之助の名は若く秀でた役者に受け継がれ、生き続けていくのだなということ。そして、名を継いでも、二世と三世、三世と四世はそれぞれ違う役者であり、それでもなお、みな猿之助であるということ。舞台上の亀もとい猿之助を見て、なんか、そういうことを、理屈ではなく実感した・・・気がした。

舞台の上でも外でも、元亀ちゃんがほんとに元気でね。この1年近く、亀治郎としての舞台もあり、襲名の準備もありで目が回るほどに忙しかっただろうに、表に出るときは、つねにすばらしいお顔の色つや、シュッとした背筋で、着物を着れば体に吸いつくよう。いっぱいいっぱい感がまったくなく、飄々と、悠々とさえしてるんだよね。ほんと惚れなおした。脇にいることの多い香川さんが日に日にやつれていくのがすごく気の毒なんだけど、それでなおさら亀が頼もしく見えたのかな・・・

最後に、「こんなに亀治郎の名に愛着をもったのは『風林火山』があったから」と言ってくれて、風林ファンとしても大河ファンとしてもうれしかったことです。「亀ちゃん亀ちゃんって言われるのっていいでしょ?」だってさ、亀かわいいよ亀〜。やっぱり大河に重要な役どころで出演するって、視聴率以上の価値があるよね! もちろん、千載一遇のチャンスをものにし、それから5年でここまでこぎつけた亀ちゃんはすごいんだけど(実際、猿之助一座を離れたときは、猿之助の名跡を望むどころか、役者生命の危機であったはず)、抜擢した若泉プロデューサーには足を向けて寝られませんな☆