『平清盛』 第32話「百日の太政大臣」

白河、鳥羽、崇徳、近衛、後白河、二条ときて、7人目の帝きたー! 六条帝です。今現在のうちの息子と変わんないくらいのほやほやの幼児でした。記憶があやふやだったんですが、これにて、この物語中に在位した天皇だけで野球チームが作れることがハッキリわかった。いや〜これだけでもレア大河! 価値あり!

摂関家もすっかり次代になってフレッシュに・・・なってません! 前代の氏の長者・忠通(堀部圭亮)の息子たちとして、先に登場していた基実、基房(家電)に加え、今回からは兼実が登場。相島一之か〜。相島さんは最近、こういう眼光鋭い役が多いな〜。私が見てるものに限ってのことかもしれないけど。大病から復帰されたとのことだし(from 三谷幸喜「ありふれた生活」)、柔らかい役も見たいもんです。

ってそれはいいけど、この兄弟、仲悪っ! これが藤原摂関家のDNAなんでしょうか。細川茂樹のイケメンポジションをかなぐり捨てた荒ぶる麿演技には期待できます。

で、基実に清盛の娘を娶らせる話が以前出てたんで、盛子さんの件、どげんするっちゃろうか〜?と思っていたら、出ました。所領問題があったからね〜。これをちゃんとやったのはうれしかった、のちに語られた解釈はなんかすごかったけど(笑)。この所領については、ダイジェスト的になるかもしれないけど、その後にも触れそうですね。

ともかく出てきた盛子ちゃん。現実に幼女でした。「11歳で後家に」ってハッキリ言ってました。そこで基実の年齢を明かしてくれないと、この夫婦について無駄に興味が湧きすぎるだろーっ!(注:基実さんは享年24歳です。見た目年齢は45歳くらいでした) この説明不足は、視聴者を惑乱させるための意図的なものですかーっ!!(違)

や、たぶん、さすがに役者年齢が役者年齢なんで、これを24歳ですとは言いきれなかったんでしょうけどね。清盛の子どもらが相当若い世代の俳優陣なんで、ドラマとしてのバランスをとるためにも、摂関家には中年層の役者をもってきてるんだろうけど、普通にシリアスな場面が一種、相当シュールでした。

子盛たちは優秀な家庭教師・盛国さんとお勉強中。この大河、「種馬といえば源氏」てな視聴者のコンセンサスがあるけど(あるのか?)、いつのまにか清盛の子も相当増えてるな。宗盛以降は全部時子の子っていう設定なの? まー作中で出てきてる中で異母腹説があるのは、今んとこ盛子ちゃんだけなのか。

宗・知・重衡の3兄弟が、父に対して超無邪気。この子らにとっては、もの心ついたときから清タンは押しも押されぬ昇り龍・平氏の棟梁なんだもんなー。この、まごうかたなき金持ちのボンボンっぷりが怖いよ。

そんで時子がここまできてもたいして活躍しない。このドラマでは、特に女子は、クセモノまたは死の直前じゃないとなかなかクローズアップされない傾向にあるんで(ex: たま子ちゃん、得子ちゃん、由良ちゃんetc)、作中で活躍しないということは、たぶん平家内では棟梁の妻として大活躍してるんでしょう。ま、主人公の正妻がここまで奥にひっこんでる大河も珍しく、これはこれで面白いです。某愛の兜のころはホント辟易とね・・・役者さんにはまったく罪ないんだけどね・・・。で、深キョンには、清盛の死後があるからね。って清盛、何月何日まで生きててくれますか?! 清タン死んだらマジで悲しいんだけど!

西光が久しぶりに登場。朝子さん≒信西入道の命により、後白河院の近臣に復活。やけに威厳たっぷりに命じた朝子さんに、ちょっと「?」だったんだけど、これ、彼女の最後のシーンだったみたいです。「こののち、ほどなく亡くなった・・・」的、おなじみのナレーションが割愛されたみたいです。そうか、頼朝さんは今週、それどころじゃなかったもんね。

頼朝さんは空前絶後の王子ビジュアルだし、昨日が今日でも今日が明日でも明日が昨日でも変わんない暮らしを営んでいた若い頼朝さんにとって、ちょっとかわいくて気立てがよくて、しかも俺に惚れてる女の子ときたら、もう天女にしか見えないのです。ということで、落ちるべくして恋に落ちたふたりなのです。伊豆に流されてヨカッターーーー!ってな感じだったんでしょうね。ちょうどよく、父ちゃん単身赴任中だし。てか、若い二人にとって、「許されない恋」と思えば余計燃えあがる部分もあったんじゃないのォーこのこの。

そういえば今週はもうひとり、流人生活をエンジョイしてきた人が・・・そうです時忠さんです。「ちっっっっとも変わってないんですね」と冷静にツッこむ盛国さんも良ければ、それに対して「食いものも女もなかなかであった」とエヘラエヘラしてる時忠さんも良い。行かされるときはあんなド田舎〜って感じで嫌がってたくせに、行ったら行ったでそれなりに楽しんじゃうあたり、人生における勝者の風格ですな。

話は伊豆に戻って、「よ、頼朝! そんな綺麗な顔して、おまいやっぱり、あの父&祖父の血を引いてるな!」と視聴者驚愕。あっという間に八重姫懐妊! 「流人の分際でなんと罪深いことを」と後悔する頼朝さんを、従者の藤九郎くんが「罪って、子どもをもうけたことですか? だめですよ あんなに楽しんどいて今さら そんなこと言っちゃあ」とたしなめます。それほど隔たった場所もなさそうなこのあばら家ですから、ラブいふたりの物音なんかも、随時聞いてたんでしょうね。

頼朝&藤九郎の主従関係は、先代の義朝−正清とも、また清盛−盛国とも、その先代の忠盛−家貞ともまた違って良い感じ。いろんなタイプの主従関係が見られるのもこの大河の楽しみのひとつ。はっ、そしてついに来週、牛若&弁慶の究極の(?)主従が登場なのか?! ・・・もとい、藤九郎くんにも、誰かかわいい女の子を紹介してあげてください。

時政さんが全部を見てて、理解者っぽく振る舞ってるのも面白いよね。我が身になったときに君の真価が問われる・・・! なんたって時政だし、エンケンだし、修羅の道は約束されたようなもんなんだけど、その道をどんな足取りで歩いて行くのか、楽しみ。

再び京に戻ると、なんか滋子がかわいくなーい。ぶーぶー。政治的な面でも清盛と後白河とのパイプ役をやってのけるようになった「出世した女」って感じなんだろうけど、この滋子ちゃん、目立つ髪型に比して、この大河には珍しく、ちょっと記号的に見えてしまう。

で、清盛がなんか簡単に内大臣になって、これは後白河が裏で手を引いてたことがあとで明かされるんだけれども、二条帝治世には政治から遠ざけられていたという描写があったゴッシーが、今はそういうことがあっさりできるのか? 六条帝の御世では、摂関家が実務をとっているのか、それとも後白河の院政なのか、イマイチよくわかんない。「わしの世じゃ」といってたからには、もう院政ってことでいいの? うーむ。

ともかく五節の宴、やりますよー。闇夜にかがり火をいくつも焚き、幕を張ってのVIP専用順路、という場面、第4話「殿上の闇討ち」を思い出しますな〜。この大河、こういう画作りは本当にうまいので、わくわくしますな。しかしバックステージで「極上の歌と踊りを披露せよ」と厳命する重盛タンの顔が暗い、重い、怖い〜! なでしこの監督には絶対なれないタイプです。

もうひとりのプロデューサー、宗盛タンは冷静沈着とは程遠く、一の舞姫が何者かによって拉致られたという緊急事態をバタバタと告げにきます。いちお様子を見に来た盛国さんに、のび太ばりに「なんとかしてよ〜!」と泣きつくんですが、さすが盛国さん、そんなムチャぶりにも動じない。あるときは執事、あるときは漁師、あるときは家庭教師、そしてあるときはドラえもんなのであります。

主を送っていったあと、ちょうどいいときに永遠のアイドルと邂逅していたんですね〜。「え、祇園の・・・? え? ちょい待ち、俺がもう50だから・・・もう80ぐらいにはなってるよね? え?」て感じで、さすがの名執事も聖子のもののけっぷりにびびってましたが〜。

内大臣のVIP席で酒と舞を堪能する清タンの背後に、いつぞやのお面をつけた後白河がぬっと現われて、「ふっふっふ、そうやってそこに座ってられるのも俺の差し金。摂関家の遺領を相続させたのも、俺の子のために金と権力を使ってもらうためさ。それが済んだらおまえなんかお役御免。おまえなんかしょせん番犬なんだよはっはっは!」と手の内をバラして勝ち誇ります。「日ごろの行い良いといろんな人が助けてくれるなー」なんて糠喜びしてた清タン、憤怒の表情でぶるぶる震える。しかしそこに、AKBの代打で松田聖子が登場! 

祇園女御?!」「乙前?!」ふたりはそれぞれ自分の女神の名を呼び、あたりをはらう「遊びをせんとや〜」にうっとり。清タン、そのうちに怒りが武者震いに変わって、「治天の君の掌のすわり心地を存じているのはこの平清盛のみ、修羅の道を歩んできた故にこそのこの心地、存分に味わい尽くしますぞ」と、後白河のお株を奪った「ぞくぞく宣言」。それを受け、ふははははーと笑いながら真剣にムッとする後白河。

ここいらへんは今週の白眉、なんかよくわかんないけどカタルシスな場面でしたな。松ケンの怒り→不敵な笑いへの表情の変化もいいし、笑いながら泣いたり笑いながら怒ったり笑いながら笑ったりする後白河翔太の笑い演技はもはや折り紙つき。ふたりの相対は、少年漫画一直線だった清盛−義朝のときとはまた全く違った、温度が高すぎて青く見えるような炎がたちのぼっているような燃え具合だ。で、なんたって、その眼前の聖子ですよ!

大河ファンとして、老けメイクの必要性については一家言ある(?)私だけど、聖子にそんなことを求めるのは野暮。聖子が聖子であるがゆえに、あれでいいんです。華やかな舞姫コスプレが似合うのなんの〜! 基本はアイドル声だけど、ちょっと低めに歌ってるせいかなんか深みもあって、祇園=セイコ=乙前の「遊びをせんとや〜」は聞き飽きない。闇夜にかがり火の舞台での踊りつきなら、なおさら。聖子の衣装も、松ケン&翔太の着物も、この場面、ほんときれいでした。

その後、後白河の予告通り、清盛は太政大臣に上るんだけど、ここをあっさりナレーションですませたのが驚愕でした。や、頼朝さんはそのころ、ほんとそれどころじゃなかったからね・・・

ってのは冗談として、「清盛、太政大臣に」というのは、歴史年表にも載ってる一大事じゃないですか。それを、「や、位人臣を極めるといっても、実際は太政大臣って名誉職ですから。しかも後白河の掌中ですから」っていう解釈で、「清盛、太政大臣辞めるってよ」という描き方をしたのは、時流を読んでる! そっかもうすぐ神木くんも出てくるしね!・・・ってのも冗談としても、うーんこれは斬新。

ま、政治向きのところをチャッチャと急ぎ足でやっていくのは、ちょっと物足りなさを感じているんだけど、それが作り手の意図だろうからね。政治向きの詳細を求める視聴者が多くないのは、過去の大河の視聴率も雄弁に物語っている。その分、この大河ではほかに見どころが多いので良いのです。

わけても、ナレーションがかぶさる場面、朝廷の廊下を鼻歌歌いながらゆっくりと闊歩する清盛の後ろ姿、という絵はとてもよかった。そこに上がることさえ許されなかったところから、もはや誰にも邪魔をされず、まるで遊ぶかのような足取りで歩くことができるようになったんだね。それは「我が世の春」を謳歌するの図そのもので、前の場面で「ここはわしの世じゃ」という後白河のセリフがあったけれども、その実、ここは平家の、清盛の世であることが感じられた。

そして、その裏では、裏では、ほんとにそれどころじゃない人が・・・前にも書いたけど、このドラマ見ると、ほんと思い出すわ〜「♪誰かの願いがかなうころ あの子が泣いてるよ〜」 by 宇多田ヒカル

初子を抱いて「わたしにも血のつながった家族が」と泣く姿が、かつて赤子の清太=重盛を抱いたときの清盛とそっくりだったのは、きっとわざとなんでしょうね。そのあとの場面はもう、再見できそうになりません。こういうとこ、子どもを産んでからやっぱり物語に対する耐性がなくなりました。幼いわが子がそばをウロチョロしてる生活だとさぁ・・・

小心者が思いつめるととんでもないことをしでかす・・・の典型!みたいな伊東祐親の凶行。先週の小心者演技がご本人のもつイメージとぴったりでものすごく馴染んでたので(失礼)、そのギャップで、最後の尋常でない顔つき、首から上を全然動かさない所作が、ものっすご怖かったです・・・! ここまで見越しての峰竜太キャスティングだったんですよね?! なんという侮り難いドラマ!

この一件は、頼朝が軽率なのでも、伊東祐親がオーバーなのでもなく、ハタから見ると清盛がそこまで巨大な存在になっていた、ということの表れで、説得力があったと思う。源氏再興編って政子との婚姻から始まるのが定番な中、新鮮だった(出典は曽我物語なんですって?)。子どもが犠牲になるという悲劇的ではあるけれどオーソドックスでもあるラストを、峰竜太の芝居で強烈なインパクトに仕立てた。

そして単なる挿話ではなく、ちゃんとしたプロローグだった。「この子を殺したのは清盛だ」というのは、ある意味逆恨みなんだけど、ある意味やっぱり本質をついているのだ。

だって峰竜太だって、何も好き好んでかわいい孫を手にかけるわけはないもんね(泣)。清盛が命じたわけでなくとも、権力というものにはそういう面がある。ちなみに、これは、清盛にとっても怖いことだよね。彼は「新しき世」という理想のため、一門のためにまい進してるわけだけど、どこでどう怨みをかうかわからないっていう・・・

頼朝の視点に戻れば、父を忘れ母を忘れ、都にいるあの怖い人のことを忘れ、へき地に流され、つまりはそれまでのしがらみからも逃れて生きて行こうと思っても、己はどこまでも源氏の御曹司であるということ。持っていたものをすべて捨てて、ただささやかな幸せを望むことも許されないどころか、相手を不幸にしてしまうこと。彼はそれを思い知った。だから立ち上がらなければならない。実際に立ち上がるまでには、もう数段階のステップが必要なんだろうけど。

「逃れられない宿命を背負って生きる人々」「一生懸命生きた上での帰結」を描くと、ほんとに天下一品だなーと思う。それは大河ドラマの醍醐味でもある。