ひらりと跳べ 3

オリンピックの間に政局が動いたり、しれーっと重要法案が成立したりするのもいつもの話だし、この時期には、戦争と平和に関する記念日が続くことも忘れたくない。

中3の男の子と一緒に定期テスト前の勉強をしてたとき、ちょうど昭和の歴史が範囲になってたんだけど、彼、原爆投下と終戦とが同じ年(ていうか同じ月)であることを知らなかったんだよね。信じられる?! 唯一の地上戦が沖縄で行われたことも知らなかった。つまり、先の戦争についての知識がまるでない。えええええええ!!

定期テストでは、「広島と長崎、それぞれの原爆記念日を書きなさい」て問題が出た。・・・・・まちがえてた、両方とも。6月ですって(・Д・) ← 目が点。親御さんはまるで気にしてない(気づいていない?)ようであるが・・・。

特に受験生ともなれば点数の良い悪いが気になってしょうがないのはわかるけど、物事には、順番とか軽重ってもんがあると思うのよ。

もちろんこの子だけの問題じゃないと思う。ふと考えてみる。こういうことをほとんど知らない若者たちが大半(そして彼らが回すようになっていく)っていう社会と、こういうことを若者みんなは知ってるけど自分の子どもだけはわかってないってのと、どっちがイヤかなー? ・・・って、考えてみるまでもなく、どっちもイヤだっっつーの!

でもな、あれがサービス問題で、正答率98%だった・・・ってことは、ないような気がするよな。甥っ子の小学校でも、8月6日(9日)は登校日じゃないらしいし。私が子供のころには、1年に4度は平和授業があったけど(福岡大空襲、原爆、太平洋戦争の開戦、あと、毎年一度は「はだしのゲン」とか「対馬丸」とかの戦争映画を体育館の大スクリーンで見る企画があった)、今は違うんだろうな。

数え15歳でこーゆーことを知らないっていう背景はいろいろ考えられる。学校が身を入れて教えてない。8月は毎年やってくるのに、家庭でもそういう話が全然出ない。聞いたことはあっても、それを受け止める感受性が乏しい。

こんな恐ろしくてショッキングな話、一度聞いたら忘れたくても忘れられないぐらい刻み込まれるもんじゃないかと思うけどね。想像しちゃうもんじゃない? 「もしこれが今の時代に起こって、B29が爆弾をたくさん落としていって、自分やお父さんやお母さんがバラバラになって逃げ惑ったり、誰かが火だるまになる姿を見たり、親と離れ離れで疎開させられたり、15歳になったら“特攻に行けー!”とか言われたりする世の中になったらどうしよう?」って。

自分の半径1メートルくらいで見える物が世界の全てって感じの人は嫌だな。

つらつらTL見てて流れてきたこんなツイートがあった。ほんとそう。乳幼児のころのそういう初期状態から、見える範囲をだんだん広げていくのが「成長する」ってことだと思うのね。そのために、もちろん本人の「もっと成長したい」って気持ちも大事だし、家庭や学校や周りがはたらきかけたり、支えたりしなきゃいけないんだと思うのね。こーゆー書き方ってすごく綺麗ごとみたいだけど、ほんとそう思うのね。

私にしたら、原爆記念日を知らなくて失った2点って、御成敗式目とか西岸海洋性気候とかで失う2点とは、意味合い、重みがまったく違うんだよね。歴史が好き・嫌いとかいう問題じゃないし、テスト以前、つーか学力以前の話。中学生どころか小学生でも知って当然の、日本人の常識なの。知らないのは恥ずかしいことだし、傲慢でもあるし、何より危険なことなの。こういう無知は罪だと思うの。

学校が教えないなら、家庭や地域で教えるべき。でも、こういう考えが少数派なのだろーか・・・。そう思っていたところで、大学の友だちのブログにタイムリーな記事が。上の子の10才の夏休みに、広島に旅行したんだって。原爆ドームと平和祈念資料館を一緒に見るために。子どもは、資料館に行く直前、「やっぱり行きたくない」と言ったらしいけどね。出たあとで、これからの平和について話したりもした、と。下の子たちが10才を迎えるときにも行きたい、と。

そういえば、小学校時代からの親友が、3か月ほど前の鹿児島旅行の途中で知覧特攻平和会館に行ったんだったな、というのも思い出した。すごく思うところがあったと言っていた。うーん、持つべきものは、共感できる友だ。

旅行みたいな特別なことをしなくても、日々の暮らしの中でだって、じゅうぶん伝えられるとも思うんだよね。私の親も、戦争体験者じゃないし、アカデミックとはほど遠い人たちだけれども、ニュースや新聞に接する習慣は昔からあったから、一年に何度かはそういう話題になったものだ。別に、その都度深く掘り下げて語ったりするわけじゃないけど、そういう積み重ねが子どもだった自分に与えたものは小さくないんだな、と今は思う。

今だって、8月6日や9日、15日、沖縄戦の終結の日、東京大空襲、ここ福岡では福岡大空襲…など、戦争や平和に関わりある日には、必ず新聞でもテレビでもやるし、平和祈念式典には首相や皇族が出席したり、小学生や中学生が作文を読むこともあるから、ふつうは目に留まるはずだ。目に留まれば、自然と家族の話題にものぼるはずだ。・・・と私は思う。(続く・次回で終)