ひらりと跳べ 1

オリンピックとか清盛とか、非現実的で安上がりなものにうつつを抜かしてたのも事実だけど、だいじょうぶです。ちゃんと地に足のついた生活してます。せきららに書いてるように見えるのか、たまに、「ブログに書いてあることがすべて」みたいな受け取られ方をすることがあるけど、そんなことはもちろんないんですのよ。だらだらだらだらと長い駄文乱文を綴っているわけですけれども、これでも、書けないこと・書きたくないこと・敢えて書くまでもないなってことなど、いろいろありますのよ。

しかしブログに関しては、この1週間あまり、オリンピック(陸上)の感想を書くのに追われていた面もあり。その間、頭に浮かんでは消えしていた事どもを、今日は思いつくままにつらつらと書きたいと思います。いつものことだが前置きが既に長い。

そもそも無邪気な子どものころはいざ知らず、10代後半〜20代前半の10年くらいは、オリンピックってほとんど見てなかった気がする。アトランタシドニーアテネのころです。冬期は、リレハンメル・長野・ソルトレークか。トリノすらそれほど見てない。あ、マラソンだけは常に見てたな。今思えば、アトランタアテネは女子マラソンの黄金期だったのよね〜。

10代後半からハタチ前後は、受験だ大学生活だバイトだなんだと忙しかったし、20代前半から半ばにかけては、仕事だ遊びだなんだと忙しかったし、まあその10年ぐらいって恋とか愛とかにも夢中なお年頃(ウフ)でもあったから、オリンピックに限らず、ドラマもバラエティも、つまりテレビ全般から遠ざかっていた、というのがひとつある。

またそれぐらいの10年というのは、とかくいろいろなものに批判的な目を向けがちな時代で、オリンピックについても、村上春樹が言うところの「商業主義と国家主義の両輪」で動く巨大なサーカス・・・みたく冷めた感情を抱いてもいた。ふだんは見向きもしないスポーツを、オリンピックのとき、しかもメダルが獲れたときにだけ狂騒しては、また潮が引くように去っていく人々やマスコミを汚い醜いと思ってた。そのぐらいなら最初から見ないほうがマシよ、と。お祭り騒ぎの間、ないがしろにされる多くのことが妙に気になって、「もっと報道すべきことがたくさんあるでしょ」なんて嘯いてた。

そういう時代って、思い出したら恥ずかしくもあれど、ま、自分を確立するために必要なステップだったのだとも思う。葛藤や逡巡や愚考・愚行のない人生がナンボのもんじゃい。てか、今これを書いてる自分だって、10年後に振り返ったら青臭くて赤面ものだろう。

さて、それが北京あたりからオリンピック大好きっ子になったのは、その前年、夏の仕事の閑散期にばっちりかぶった大阪世界陸上で陸上好きの血が覚醒したってのもあるし、結婚して生活が落ちついたりってのもあるんだけど、年をとるにしたがって考え方自体が変わってきたってのも大きい。(続く)