『平清盛』 第28話「友の子、友の妻」

視聴終了後、「うわあああああああ! はぁぁぁぁーーーーーー」って気分に。ぐわんぐわん残響。興奮、でも脱力。なんかこれまでの「平清盛」史上でも最大級に疲れたかも。

このドラマをすごいなと思うのは、これだけいろいろ創作しながら、歴史が必然として描かれていくこと。こういう戦後処理っていかにも「歴史の後追いをしてます」って感じになりがちなんですよ、大河ドラマって。大河ドラマとしてそれじゃいけないんだけど! それは、作り手の力量の問題でもあり、ハナっから「長い伏線よりスポットの見栄え」て方針を掲げるせいだったりもするんですが、むろん真性大河オタク(言うまでもなく私のことだ)にとってはどっちにしろ度し難いんですよ。

今年はすべてがつながっていて、今回も、義朝の最期、常磐の出頭、頼朝&牛若らの処遇など、すべてに必然性があり、納得! そして面白さに感動。だけど面白い脚本って心をもっていかれすぎて疲れる・・・。30すぎてもこういうところってなおらんのだね。

と、前口上ですでに何字なのだ。

二男・朝長って、(仕込みの段階を除くとw)平治の乱が初登場で、父との交流とか全然描かれてきてないんだけど、重傷で瀕死の彼に義朝がとどめを刺すシーンが、ことのほか、ぐっときてねぇー。これは、義朝がどういう男なのか、もうはっきりとわかってるからだよね。強きもののふ、だけど心は優しくヘタレの血を引く源氏の棟梁。父や兄に続いて、今また子をも手にかけなければならない彼の心中を思うとさぁー。

長田忠致の背信を悟るのも義朝らしい。これまでの生涯で虐げられることにものっすご敏感にならざるを得なかったからね。って解釈は穿ちすぎかw そこは、強きもののふだから、ってことでいいのか。

義朝の最期といえば酒を飲まされて入浴中に殺害…て認識がポピュラーですが(「平治物語」)、確か、刺し違えバージョンも何かで見たような。このドラマの義朝にふさわしい、誇り高い源氏の棟梁としての死だった。雪の中での最後の殺陣も、泥臭くも美しく、正清と阿吽の呼吸で刺し違えたことにも、作り手の義朝への愛と敬意(と腐女子たちへのサービス精神w)を感じました。ま、正直、玉木氏には風呂に入ってみてほしかった気持ちもあるがw

義朝は確かに愚かなんだけど、清盛と対比するとき、その愚かさはやはり「生まれ」に起因するところも大きいと思えて(持てる平氏と持たざる源氏)、だからものすごく哀れを誘う。運命ってやつの残酷さ。しかし、そう考えると、父以上に「持たざる」状態からのし上がっていく頼朝は、半端じゃなくすんげーな。

ともかく、強くて荒ぶっててヘタレで悲劇的。そんな役柄をまことに立体的に演じた玉木宏に万歳! 君は今後も3−4年に1回、良き大河に出るように(厳命)!

しっかし、京都で負けて、知多半島まで落ちていったって、やっぱり昔の人ってすごいよねえ。なんかいつにもまして、すごく散漫に綴ってますけど。

今回、清盛がはっきりと言葉にして「志のない者の人生が面白くないのはあたりまえ」と言ってましたが、逆に、愚かでも、途中で破れ去っていっても、志ある者に対しては、誇り高き死を与えるのがこのドラマの特徴ですね。悪左府さんなんかは、死そのものは哀れだったけど、あとからかなりフォローしてたし。

志なき者、であるところの信頼さん。ちゃんと後白河に断罪された。信西のことには一言もふれずとも、ちゃんと彼の諫言を容れて「長恨歌」でキメる後白河さんだった。しかも隣にちゃんと信西の妻・朝子を同席させている。「朕はそうはなりたくない」ってのは後白河の覚醒宣言(二度目)とみて、いいんですよね?

ここで長恨歌の巻物をシャーーーーッと飛ばす絵はすんごくかっこよかったね。翔太さんは、歌ったり、舞ったり、聖子の膝枕で泣いたりと変わった動き(笑)が多く、榊の葉(?)をもてあそんだり、清盛に向かってサイコロをパッと投げつけたり、今回は巻物と小道具もいろいろなんですが、どれも良いビジュアルになっててすごい。

今週も平氏一門はすばらしい安定感(笑)。父に対して言いたいことや聞きたいことがお腹にたまりまくっている聡明な長男・重盛、お母さんのことになると皮肉屋の顔をかなぐり捨てる末弟・頼盛、単細胞の三盛&四盛、ヒネてるんだけどある意味いつも正直で自然体の義弟・時忠。こいつらほんとマイペース過ぎ(笑)。棟梁のつらさ・孤独さを慮ってやるのが女と爺さんだけってのがねぇー(笑)。

だがしかし、女たちに慮られても決して救われない真の孤独をもつ男、それが清盛。この辺の隔絶を描いているのも、今年の大河で好きなところです。例年だったら絶対あっさり癒し合ってるよね。

「時子、俺をたばかったな」と言って、清盛は一瞬、素の表情に戻るんですが、裏を返せば、時子は“たばかる”までして、やっと、一瞬だけ清盛を素にできるんだってこと。清盛は時子を「春のひだまりの如き女」と思っているし、酒を飲みながら心安く本心を語ることもあるけど、驚くほど、時子の顔を見ませんよね。まー、夫婦ってそんなもんだ、ともいえるが、時子のほうはいつも清盛を一心に見つめている。近年の大河って、「夫婦はツーカー」か、「夫婦はツンデレだけど実はツーカー」とかばっかりだったので、清盛と時子ってすごく面白い夫婦関係に描かれてると思う。

池禅尼さんの有名なエピソード、こう調理してくるとは! 頼朝のためというより清盛のための助命嘆願。彼女はやっぱり、清盛の母なんだなあ。とはいえ、ここの母子関係も一筋縄ではいかなくて、どこか愛憎半ばしてるんだよね。「家盛の命が二度奪われるようで」というセリフには、どこか、「家盛の命もおまえが奪った」ニュアンスがあるじゃあありませんか…! (家貞によれば)母の真意をうすうす知りながらも、(体面のためというのもあろうが)激して否定したり、みなの前で笑い話にしてみせる清盛にもまた、複雑なニュアンスが感じられる。愛情も本当。でもそれだけじゃないのも本当、なんだよね。

頼朝がねーーー賢くて立派な子なんだけど、あれほど誇り高く育てられたがゆえに、父も母も兄もみんな死んじゃったって聞かされると、そりゃ泣くよね。悔しいよね。それを見た清盛の心も揺れるよね。でもすぐに卒塔婆を作り始めてた。さすがだ…。そして宗盛との器の違い…。宗盛、おまえがむちゃくちゃ心配だ! おまえがそんなだからそんなだからぁぁぁーーー(ry

この回の最後まで、中川大志くんの演技はすごかった。「ミタ」もほぼ全部見たけどこれほどのポテンシャルを秘めてたとは。これはもう、ヘビー級の役者に育ちますばい。今の時点では、岡田くんが彼を超える頼朝を見せてくれるのかどうか、ちょっと心もとなく感じるほど(岡田くん、期待してますけど)。

落ちのびる途中で義朝とはぐれたのは定番だけど、髭切を探してっていうのが泣けたよなあ。母の教えのとおりの孝子に育ってるということでもあり。源氏の御曹司の資格でもあり。逆に髭切を手放しちゃった義朝はやっぱりあのとき既に死んでいるわけだ。義朝が頼朝に、遺言のひとつも残さなかったのも、もはや源氏の棟梁の「器」は義朝から頼朝に移ってるからなんだよね。

そして、清盛はただ単に頼朝の生命を救っただけじゃない。義朝のかわりに、義朝の分まで、新しき源氏の棟梁に命を吹き込んだのだ。恭しく保管した髭切を差し出し、一騎打ちの顛末を聞かせて焚きつけた。あそこで頼朝が義朝になっちゃうのはすげーイカす演出だったな! ああいうアグレッシブな演出が効果的だと、見てて、ぐっと気分が上がるよね。『カーネーション』でもたびたびそういうことがあった。

あの清盛の言葉は心の中の独白なんだよね、義朝→頼朝に戻ったとき、清盛の頬をつたっていた滂沱の涙が消えてたから。頼朝はあの言葉のすべてを聞いたわけじゃない。でもその背中に「父の志」を感じ取った。頼朝にとって清盛は、父を継ぐ父、父を超える父になったということ。頼朝はこれから清盛の背を追っていく。そしていずれ超える。そして、今「まやかしの武士」と評した清盛のこを、この大河の最後=最初=平氏滅亡後には、「武士の中の武士」と言うのだ。すげー!

頼朝って実は清盛と並ぶくらい人気がない歴史の巨人。義経はじめ身内や家臣を殺しまくってるから。でも、この大河を見てると、頼朝にもすごく感情移入しちゃうよね。ふつう、伊豆配流から、あるいは挙兵から描かれることが多くて、蔵人として上西門院の御所に殿上していたことや、冷遇される父を見ていたことや、平治の乱に参陣していたことって、なかなかここまで詳しく描かれないもんなあ。みんなのヒーロー・義経に負けないくらい数奇な運命だよ、幼少から。

もちろん牛若=義経もすごいよ! 鬼若=弁慶があれだけ早くからちょろちょろしてきた意味がわかった。祖父のこと、父のことをつぶさに見てきた頼朝と違って、いま生まれた義経に、鬼若がすべてを教えるんだね。でも、鬼若がどうして源氏を選んだのかは、まだよくわかんないんだけど、こののちに説明されるんだろうか。最初に登場したのは祇園事件のとき。神輿に矢を射る清盛を見てるわけだよね。その後、悪左府に悪態ついて百叩きを二百叩きに増やされて、ダメ義さんに刑執行されてる…はずだよね?

でさ、清盛は頼朝を、ある意味、義朝の形代として見てるわけだけど、じゃあ義経はどうかって言ったら、自分と重ねて見てる! すげー! 社会的にとても弱い身分の母が、命を賭して守ろうとする赤子。

ということで常磐。前々から、このドラマの清盛と常磐は、何がどーなってあーなるのであろーか?と思ってたけど。

まず、清盛の「お慈悲にすがろう」と出頭するなんて、亡き由良御前が聞いたら卒倒しそうだけど、常磐はその出会いやなんかから、清盛と義朝との仲についてが念頭にあるんですよね。出頭に彼女の母親を絡ませなかった。有名エピソードの取捨選択がうまいな、と。潔い。で、平氏一門(当時の、どこにでもいる健全な男子たち)の雑談で、「敗軍の将の妻だし、あんなに美人だし、当然、側女にするよね? 出頭したんだから本人だって納得済でしょ?」っていう、ごく自然な雰囲気を見せる。しかし、心やさしく、そして義朝のマブダチである清盛は、そんなことしたくない。

そもそも頼朝のこともある。平氏の棟梁として、これから公卿として国づくりをリードしていくためには、当然、斬らなきゃいけない。でも斬りたくない。継母はあんなことを言う。西光もやってきて、信西のことを思い出させ、絶対斬ってくれと言う(ここで西光の伏線。相変わらず抜かりがない脚本だな)。

懊悩したあげく、結局、頼朝を助けてしまった。結局、後世から見ると、清盛最大のミステイクなんだけど、まあ現実には清盛−義朝の友情というのはなかっただろうが、やっぱりどっか、人間的な感情の揺れがあったから助けたんじゃないかと思うし、そこには、油断・慢心とか、池禅尼の嘆願とかいうより、清盛自身の“気持ち”があった、という捉え方はすごくしっくりくる。

助けてはいけないことはわかっていた。でも助けてしまった。叔父や信西や義朝を失い、その屍の上に新しい国を作ろうとする強い志が清盛にはある。その強い志を、助けたい気持ちのほうが凌駕してしまった。かつて自分が父からされたように、源氏重代の太刀を突き刺して言った言葉は、「まことの武士がいかなるものか見せてやる。指をくわえて見ておれ!」なんだけど、言外には「死にたくなければ強くなれ!」とイコールなんだよね。

昔なにかで、「伊豆に流したのが悪かった。もう少し遠ければ、そもそも都の噂も耳に入らない。つまり挙兵もできなかった」という解釈を見たことがあるけど、それもこのドラマならば納得できる。清盛は“都の噂を頼朝の耳に入れるため”わざわざ、わりと近い伊豆に流したのだ。上皇である崇徳さえ、讃岐にまで流されたというのに。

さて話は常磐義経に戻って、助けちゃいけない頼朝を助けてしまった、こうなったらもっと若い、しかも傍流の牛若たちだって助けてしまおうってことになる。そのためには、体面として、常磐を自分のものにしなければならない。気が進まないけどやらなきゃしょうがない。そこで、赤子の牛若に赤子だった己を、そして常磐に母・舞子を重ねるという思いを無意識のうちに肥大させる。「死ぬことなんか許さない。母なら生きて子を守れ」。清盛は惑乱の極みに達し、常磐を犯すイコール母子相姦すら匂わせるという図。これぞ、もののけの血のなせるわざ! 

「もとよりその覚悟でございます。私は義朝の妻ですから」常磐の静かな目を見て笑う清盛。いい覚悟だ、って感じ? やっぱり男だから劣情もあるよね? 「この女は本当に義朝を愛していた」と知ってうれしい? 友の面影を、友が抱いていた女を抱くことで見る喜び? 

「親友の女なんて抱けない」から、「親友の女だからこそ抱ける」に変わった瞬間。あそこで、清盛と常磐は共犯者として関係を結んだんだと思う。明子とも時子とも濡れ場の描写なくここまできた清盛の、初の閨シーンは、ものすごくなまめかしいようでもあり、ものすごく醒めたサスペンスのようでもあり、いろんな解釈が成り立ち、それを視聴者に委ねる、大人の一幕だった。期待以上だった!

今週の武井咲ちゃんがまた、無茶苦茶きれいなんだ。あばら屋にいるときから髪がちょっと乱れてて、眉のメイクもいつもと違って。鬘が、ものすごくうまく“ついてる”。清盛に押し倒されたときの、あの扇のように広がる黒髪の美しさ!

しかし常磐ちゃん…ここまでのなりゆきにはまったく納得いったけど、ここからどーなってあーなるのかは、またまた読めませんな…。

ふう、いいかげんもう締めますよ。源氏一党の死が悲しいってのもあるし、平氏滅亡のフラグが立ったショックってのもある。みなさま素晴らしい演技だった。けど、とにかく、中心にいる松ケン清盛の重量感、孤独感にあてられ、引きずり込まれた週でした。あれだけたくさんの人の死、思い、運命、すべてを受け止めてる重さ。孤独。

顔がさー、ほんとにむなしそうでさ、目の奥が死んでてさ、ぞっとするもん。最初の頃、あんなにわめいたり地団太ふんだりしてた人が、ここまできてしまったよ。

明子を失ったとき、父が世を去り棟梁になったとき、叔父を斬ったとき、これまでにもいろんな節目はあったけど、今度こそ本当に、彼の青年時代は終わったんだなあと痛感。この空しさを抱えながら、彼はこれから「面白く」生きられるのかしら…って思える。歴史の流れははっきりしてるのに、どんな描き方になるのかまったく読めない。これも今年の大河のすばらしさ。