『リーガル・ハイ』 第10話

話は先週の続きなんだけれども、趣はがらりと変わっていた。今週は古美門にせよ黛にせよ三木にせよ、それぞれのトピックにシフトしていたように思うし、来週の最終回もこの延長線上にあるのだろうと思われる。

めっきり社会派な話題であれほど空前絶後に盛り上げておきながら、最後はそういう個人的なところに収れんしていく作りは嫌いじゃない。リーガルな問題を扱うドラマだから、もちろん社会とのかかわりが消滅することはないんだけど、コメディーこそがこのドラマの真髄だし(だから最終回予告の『真実はいつもコメディーだ』のぶれなさに、とても期待させられる)、古美門のどこか現実を超越したような視点ゆえに、ガチガチの社会派ドラマよりも、このドラマはなおさら社会的でありえているのだとも思います。

だいたい、関係者一同、あれほど高らかに悲壮なほど強い意志で闘争を決したというのに、裁判が始まってみたら、渦中からは程遠い教育者や研究者のスキャンダルを暴露しあう泥仕合になってしまうってな成り行き自体に、現実の苦さを感じるわな。

そして黛。

先週と今週は前後編だったわけだけど、今週と来週もまた別の意味で前後編であるわけで、ここからは今週という前篇を見たところでの所感。

4話だったかな、彼女が古美門を倒すと宣言したとき、彼女の理想と情熱がそうさせたのだと思う。「クライアントにとっては極めて有能だけれど絶望的な人格者」たる古美門はおかしいと。それからいろいろあって、先週の南モンブラン市の老人たちへの大演説を聞いて黛は気づいたらという感じで泣いていた。古美門の言葉に彼の魂を感じたんだと思う。

そして裁判が進み、打つ手がなくなった古美門に「不本意だが」という意味の言葉を百も連ねられてではあるけれども、ともかく頼られた黛は胸がいっぱいだった、彼が私有財産を差し出してまで調達した金で周辺人物を籠絡しようとしたことにも感動していた。当該土地の食物を短期間に大量摂取することで汚染物質を特定しようとする自らの捨て身の作戦は誰に強いられたものでもないが、迷いはなかった。古美門の志を痛いほど感じていた、古美門と自分とは完全に同志だと思っていた。がん宣告を受けて彼の胸で泣きじゃくる姿には、ゲスな視聴者のの勘繰りかもしれないが、無意識下の恋心を感じずにもいられなかった(…し、あの場面、見ててドキドキしましたよねっ☆)。

でも。古美門はやっぱりいつもの古美門で、勝ちさえすればそれでよく、手段は選ばず、こともあろうに自分をもすっかり騙していた。不安に陥る病床の自分にかけてくれたあんな言葉もこんな言葉も全部ウソだった。

そのことに彼女はもちろん傷ついたんだけど、古美門のもとを去ることにしたのは、それ以上に、袂を分かつという意味合いが強い感じ。

そして、ちょっと気になるのは、古美門のいろんな面(父親との葛藤についてなども)を見てきた今の黛には、彼を憐れむ気持ち、救いたいという気持ちもあるんじゃないかなかな?ってこと。まあそういう思いも込みで、一般的には「恋心」っていうんじゃないかと思いますけどね。

来週の予告を見ると、やはり最後は古美門 vs 黛になるようなんだけど、今の彼女が古美門に勝とうとするのは、自分の道を探し、貫くためなのか。あるいは無敗の彼を負かすことで、逆に、彼を縛るものから解放しようとしてのことなのか。

ま、両方なのかもしれんが。仮に後者の視点があった場合、「純粋まっすぐ君の“上から目線”」に対して非常にシビアな見解を繰り返し見せてきたこのドラマだけに、どういう答えが出されるのか非常に気になる。

しかし今週もガッキーかわいかった。長澤まさみのセクシーが引き合いに出されてたけど、うん、ガッキーはガッキーでとんでもなくかわいいよ!!

それから、ふっと思ったこと。各所で指摘のとおり、このドラマ、里見浩太朗の黄門さまをはじめ、助さん格さん(来週は東幹久みたいだしね)、木枯らし紋次郎など、往年の人気時代劇をえらくフィーチャーしている面がある。かつて視聴者がそういう時代劇に感じていたのと同じ種類のカタルシスを、私たちは今このドラマに感じているのかもしれない。なんせ毎週スカッとするから。

でも当然ながら、単純な勧善懲悪で片がつく現代じゃないし、ヒーローは簡単にヒーローたりえない。巨大な壁である父親にしろ三木(仕事=社会的な面での師、父親)にしろ、逆に庇護者のような服部さんにしろ、古美門ってなんとなく父性とのかかわり、葛藤が強い。8話の回想シーンでも母親の影はちっともなかった。ゲストで出てきた元妻のケイコ・シュナイダーは姿かたちこそ非常に女性らしいけど中身は古美門と同族。

そこでふたりの女性陣、変態の女神たち(今週、奇しくも古美門が、小池には「変態プレイ」について、黛にはズバリ「変態の女神さま」と両方を変態呼ばわりしてましたな)ですよ。小池栄子がよく称されるように*1後背に如意輪をたたえた肉感的な観音菩薩さまだとすれば、ガッキーの涼しげでスマートな容姿は、飛鳥時代弥勒菩薩…半跏思惟像を思わせますよね。どちらのアルカイックスマイルも美しいし、どこか母性をも感じさせる。

小池さんは三木についてるわけですが、でも三木に本当についているのは、あの写真*2の恐らくは故人であって*3、小池さんは古美門にハニートラップをしかけているに過ぎないと思わせつつ実はやっぱり古美門に憎しみなんてなさそう。ふたりの女神によって古美門がどう変わるのか変わらないのか…長々書いてきたけどとにかく来週が楽しみでしょうがなくて、でも終わってしまうのもさみしくてしょうがありません。

*1:ウルルン滞在記で東南アジア?の村に行ったとき、住民たちは小池が帰ったあと、彼女の写真集を仏様として拝んでいた

*2:妻かなーと思ってたけど、今週、娘かなと思った

*3:待てよ、まさかペットとかいうオチはつくまいな