『平清盛』 武者ぶるいが止まらない

義朝がああなっちゃったってことがほんとに衝撃的で、もう一気に平治の乱のことを想像しちまう昨日今日なんですよ。歴史が示しているとおり、平治の乱には頼朝も出陣するよね。そしてどこかで父と別れることになるよね。そのときのことを想像すると、もう今から全身総毛立ちそうになるわけですよ。

義朝は種馬だけどww 愛情深い人間であることはこれまでにちゃんと描かれてきてるんだよね。少女だった常磐に親孝行を説いたり、保元の乱前に常磐を避難させるときも、ちゃんと彼女の両親を連れて行くことを口にしてる。しかも、常磐は身分低い出身なのにもかかわらず、ちゃんと「父上、母上とともに」という言葉遣いをしてた。時子の「(平氏の)子どもたちを優しい目で見ていた」発言もありました。

もちろん彼の「強くなりたい」の原点は「父を助けたい」にあり、それは、運命の妙によって頼朝にも引き継がれているわけで、優しく愛情深く、そして今や為義の面影のくっきりと濃くなった義朝が、どのように頼朝と別れるのか。そしてそのことは頼朝の人生にどういう影響を与えるのか。義朝の運命は。それを想像すると、ああ…!

むろん義朝と常磐の別れと出頭もある(もちろんここは両方に常磐の親をからませるよね)。そして頼朝の捕縛+池禅尼との邂逅という歴史上の大転換。池禅尼さまに対してテレビのこっち側から「なんてことをしくさるんだーーーー!」と叫ぶ日が今から楽しみです。

もう、どこを歩いても伏線、てぐらいのここまでの描き込みですからね。あんなことやこんなことが響き合い絡まり合うと想像するだけで、鳥肌が止まらないんですよ。大河『風林火山』ふうに言うと、「武者震いがするのう!!!!」てやつ(懐かしい)。

で、考えていくと、「進行が遅い、遅い」と言われている「平清盛」ですが、もとより、7月=平治の乱(とその戦後処理)ってのを念頭において作ってあるんだよね。大河ドラマの7月といえば、最大の山場。本能寺の変であり、関ヶ原の戦いであるのがお約束。近年で言えば、池田屋事件が起きたり、板垣信方徳川家定武市半平太が死んだりしています。

しかし今回の平治の乱(とその戦後処理)が伝説になるのは、もはや確実と言っていいでしょう。(私の中では、保元の乱(とその戦後処理)もすでにレジェンドだが。)

見る前から、「すげえ!すげえ!すげえ!」を連発してしまう大河が、これまでにどれだけあったでしょうか。もうね、ここまでの御膳立てを思うだけで、盛り上がりすぎて絶句だもん、私(絶句と言いながらどんだけ書くのだ。)

脚本の藤本有紀といえば、「ちりとてちん」において伏線の鉄人として名を馳せたわけだけど、近年の大河ドラマというのは、むしろ伏線を排除する流れのほうが強かったんですよね。

つまり、今やテレビって、そんな前のめりになって見るもんじゃないところ、こちとら、まして1年間も続くドラマ。どこを切っても見やすく、歴史に詳しくなくても支障のないように。1話1話の盛り上がりが主、全体を貫く流れというのは従…。「大河」ドラマと言いつつ、そんな作り方のほうがスタンダードになっていた。

けれど藤本有紀は自らのアイデンティティーを殺すことなく、思うさま披歴してる。つまり、彼女を起用した時点で、番組のプロデューサーは、このような大河を思い描いてたんだろう。歴史の大きなうねり、それを映像にする大河を作ろうと言う意欲があったんだろう。

視聴者や安い批評家にとってお手軽なドラマにならないこと、ある程度「ついてこない」層が出るのも承知の上だったはず。ここまで視聴率関係で騒がれるとは思っていなかったにしても、内容的に、クオリティが全然変わってないというか、口やかましい世間に屈する様子が全然ないから。むしろ内容的に盛り上がりまくってるから。磯P、あんた漢だよ!

人物デザインの柘植さんは、今回、大河日記書いてないのかしら。外部からの批判という点では、今回、「伝」の比ではなかろうが、彼の性格からして、ホンのクオリティに閉塞しがちだった「伝」の後半に比べると、ずいぶんモチベーション維持できてるんじゃないかと思うが。(柘植さんの著書『龍馬デザイン。』についてはこちらこちら

あと、私は大河『義経』は見ていなかったんだが、あちらは宮尾登美子の『平家物語』が原作に名を連ねているだけあって、義経が主人公なわりに、平氏の描写が多かったらしい。今回はズバリ平家物語でありながら、源氏の描写が(平氏と比較すると分量的には少ないんだけど)秀逸で、視聴者の心をとらえているのは面白いなあと思う。

清盛が主人公で頼朝がナレーション、というのも、当初は無理があるんじゃないかと思ったし、完全なる傍観者、クロスしない者としての語りになるのかなと思ったんだけど、どうしてどうして、ものすごく効いてるよね。今や、頼朝がどんな武者になっていくのかものすごく楽しみだ。

で、そんなわけだから、前回私も玉木宏の演技について特筆したんだけど、やっぱり松ケンあっての「平清盛」だと思うよ。この大河での松ケンはあまりに低評価されすぎてて泣ける。カメレオン俳優といわれるとおり、彼自身がもう「平清盛」の世界そのものと溶け合っているから、何をしても、俳優としての演技というより、あらかじめ初期設定された作品の主装置として見られてしまうんだよね。

でも、前回を振りかえるとき、忠正を「斬ることができた」清盛、その後、彼の息子たち4人を次々に斬ってゆく清盛の演技、そして、後白河の前で、体中を襲う苦しみ、悔しさ、憤りに堪えながら平伏する清盛の演技は、やっぱりものすごく深く胸に残っているなあと思った。

ここ数年は、「主役を目立たせるための」大河だった。ヒーローやヒロインを輝かせるために、すべての登場人物、脚本や演出が、みんなで尽くしてた。今回、主役は、作品の世界をみずからによって体現している。松ケンという太陽が照らしだす世界で、いろいろな登場人物が入れかわり立ちかわり輝いているのだ。

天地人」のときは、「妻夫木くんの実力はこんなカス大河では測れない。どうかこれが妻夫木くんの今後のキャリアを阻みませんように」と願ったものだが*1、今回は、「松ケンの実力はこの良大河で遺憾なく発揮されている。どうか世間よ、そのことに気づいて!」と願っている。大丈夫だよね。マスコミは最後まで清盛を叩き続けるだろうが、清盛のDVDは売れ、後年には評価を受けることになるだろうと思う。

*1:そしてそれは直後の『悪人』で証明され、めでたしめでたしだったのだが。ていうか、あのカス大河は、カス大河三傑に入るくらいのカスさ加減だったのに、視聴率がよかったので世間ではカス認定していないようなのが腑に落ちん。