『春秋の檻 獄医立花登手控え1』 藤沢周平

この大作家の本を前にして、わたくし如きが何をか言わんや、って感じなんだけど、書きます。

3年ぶりくらいかなあ? 久しぶりに読んだ。通算すると軽く10回以上は読んでると思うんだけど、めっさ感動。感嘆。畏怖。畏敬。面白すぎる。うますぎますから!

4巻にわたって続く、獄医立花登シリーズの第1巻。この作家の中では、ほのぼのとした色合いが強い世話物の作品集だという印象があったんだけど、全然それだけじゃないんだな、とあらためて気づいた。

特に、「雨上がり」「善人長屋」「女牢」と続く最初の3編の凄味は、言葉を失わしめるものがある。愛憎や裏切りや悲しみ、はかなさ、そういった、闇の中で息づく人間の業と存分に向き合い、燻し出すシリーズなのだということが、この最初の3篇ですでに明示されている。

そういえば、同じく氏の人気シリーズ「用心棒日月抄」でも、3作目は「夜鷹斬り」で、悲しい女の話だったな。とりわけ人気のある一編だ。「女牢」も同じくらい切ないよ。切ない、って言葉では安いぐらいに、切ない。

藤沢周平の小説に最初に夢中になったのは、十八、九の頃だった。一冊読み終わると、ただ本を読んだだけなのに、読む前に比べて、自分がずいぶん大人になったような気がした。もちろん、感受性のもっとも豊かな、多感な時代だったと思う。今よりも、もっと無知だったとも思う。それからいろいろな経験をしたし、たくさんの本も読んで、十数年も経った。それでまた読み返しても感動するっていうこと自体に、震えるくらい感動する。

愛着が、なじみがある世界観だから、懐かしく、面白く読めるっていう面も否定はしない。でも、もっと別のものがある。いろんな経験をして、いろんな本を読んで、だからこそわかるようになった凄さ、というものを、藤沢周平の小説の中に感じる。幸か不幸か、もう、何でも面白がれる、何でも感動できる私じゃないのだ。30も過ぎれば、誰だって自分なりの選球眼、審美眼をもっている。

巻末の年譜を見ても、この作品を書いた頃の氏が、いかに精力的な執筆活動をしていたかはよくわかる。そのうえで、この各作品の水準の高さ…。気が遠くなりそう。どれもこれもに直木賞、周五郎賞レベルの賞を授けたいぞ!