先入観か、信条か

ええ。だから何?って話ですよ。


「アメトーク」の「嫁大好き芸人」。仲良きことは美しきかな、のはずだけど、私の感想を一言で言うと「気持ち悪い」。

奥さんの写真を出すとかは別にいい。ひょー、美人だな!とか思うし。キングコングのどっちかが言ってた、「イケメン芸人には絶対に近寄らせない」とか「電車に乗るの禁止」「同窓会もってのほか」とかいう、男の目から徹底的に隔離する策も、まだ大丈夫だった。や、自分がそんな目に遭うのは絶対いやだけど(もちろん隔離されるほどの妻じゃないですわかってます何か?)、そういう狭量な男っているだろうなーと思えるから。土田さんの、「俺がイライラしてるのに勘付いて、“行ってきなよ”と背中を押してくれた、なんてエピソードもうなずける。「夫婦=同志」としての絆の話だから。

何が勘弁してほしいかって、「嫁が身を屈めて胸元が見えたらラッキー!」とかいうやつ。もう、見てらんない。恥を知れ〜〜〜!と思う。

夫婦生活、というぐらいだから、性行為(と、そのものズバリ書いてみた)があって、なんらおかしくないのだ。むしろそれは、道徳的にいってもっとも望ましいセックスの形であろう。そうやって「愛し合った」結果、ここにもそこにもあそこにも子どもが出現するわけで、少子高齢化の進む我が国においては、歓迎すべき、推奨され称賛されるべき行為とすらいえる。

でも、でもね。表には見せないでほしいの。夫婦って、すごく落ちついた形じゃないですか。や、自分たちの家の中は、そら、とっちらかってるし、人にはとても言えん、てなこともいろいろあるよ。でも、よそのご夫婦を見て「仲が良さそうね〜」っていうのは、「共通の趣味が」とか「ダンナさん料理うまいし」とか「価値観が似てる」とか、そういうことでしょ? 夫婦って すごく個人的な関係なんだけど、なんとなく、社会的な関係としてとらえてるところあるよね。オフィシャルな、というか。

そこに、愛欲とか、めくるめく…とか、持ち込まれると、ものすごく、そぐわないんです。なんか混乱するし、恥ずかしいんです。嫁を相手に、萌えた、なら、まだいい。しかし、まかり間違っても、燃えたとは言わないでほしい。じゃんじゃんやっておおいに結構だと思います。ただ、こっそりやってください。口に出さないで、お願い。


話は変わって、もうだいぶ前のことになるけど、『平清盛』の17話。

第2部開始、父が死んで平氏の棟梁になり、いよいよ、やっとこさ、清盛が表舞台でがんがんに活躍しますよ〜〜〜〜!!!てな触れこみと、だ・い・ぶ・待ちくたびれた感のある視聴者の期待を背負ったその回で繰り広げられた、まさかのホームドラマ。

その感想については、もちろん、「大河ドラマ」カテゴリで、思うさま綴りまくってます。ええ、大きく言えば、「あり」だと思いましたよ、あの話。必然性があった。

とはいえ、確かに「はぁ?」とは思ったよね、クライマックスで、清盛がさ、あのへんてこりんな歌を詠みだしたとき。「重盛に基盛それに清三郎 清四郎もみな われらの子なり」でしたっけ? あ、今、思い出しただけで軽くイラッとしたぞ。

法皇上皇摂関家の面々など、巨頭がそろいにそろった歌会の場だったのだ。のどかな短歌サークルなんかじゃない。完ぺきに、完全無欠に、政治の場。つまり平氏の新たな棟梁たる清盛にとって、そこへ参加することはまさに仕事。中でも大仕事の一環だったのである。

家族を大事にして悪いことなんて何ひとつありません。子どもが熱を出したら早く帰らなきゃと思うのは親として当然のことです。しかしだね、職場の、最高会議のここ一番ってときに、それを堂々と申し述べて、どやって顔しないでほしいのよ。大人なら、公と私、分けろっつーの。

わかってる。どっちも、つまんない建前論、先入観なのかもしれない。そういう固定観念を鮮やかに覆して笑いをとろうとする「嫁好き芸人」であり、驚きと感動を生もうとする清盛の歌なのかもしれない。

しかし「嫁好き芸人」はきもいとしか思えず、清盛の歌には脱力した。世間がどーだ、常識がどーだ、なんてつまんないこと言う大人にはなりたくないと思ってた。今だって自由に感じたい、思考したいと思ってるけど。人間、けっこう、とらわれてるもんだな。よくいえば真人間、悪く言えば小市民ってとこか。

…と言いつつ、ことによっては首をひねって、ひねりすぎて脱臼しそうになったりもするから、不思議だ。世間一般では普通なのかもしんない考え方ってのは。

昔、会社で「奥さんがパートを始めたいと言うので、『家のことをちゃんとやれるならいいよ』って答えた」みたいなことをのたまった男性にドン引きしたことがある。しかも、「俺って寛大〜、できた夫だ〜」って雰囲気だったからね。なんだそれ。

これ、女性の側でも、普通に言ったりするよね。自分が仕事で遅くなったり家事がゆるくなることで、家族に迷惑かけたくない、とか。

や、気持ちはわかる。私も、結婚後、夫より退社が遅い日々が続き、まる一週間全然ごはんが作れない、なんて週(ふつうにあった。3か月に1ぺんくらい)があると、気が引けた。夫には全然責められなかったけど、申し訳ないと思ってた。ましてや子どもが小さければ、働く母親は葛藤を繰り返していることは想像に難くない。

子どもがいる今、再び仕事を始めたら、「ごめんね」とは思うだろう、泣くこともあるだろう。でも、「迷惑をかける」って語彙は浮かばない気がする(さっきの話じゃないけど、逆に、「家族のことで職場に迷惑をかける」っていう意味での“迷惑”って語彙はむちゃくちゃ浮かぶ)。たとえ、正社員としての雇用でなかったり、夫に遠く及ばない稼ぎであっても、別に大して立派な志もなしに就く職であっても、自分が働こうと決めたなら、そこに夫と妻の格差、軽重、貴賎ってないんじゃないか、というのが私の自然な感覚だ。

こういう気持ちは、私の人生で、いつどのようにして培われたんだろうか。自分の親がそうだった、ってわけじゃない。世代的なものか。個人的なものなんだろうか。

ま、難しい話ではあるのよね。そんな決意に至らず専業主婦をやっている今、結局、「迷惑かけたくない」って深層心理がないとは言い切れないわけだし。

追記。「自分が外で働こうが何しようが、家事雑事に着いて夫はたいした戦力にならず、結局、自分がハウスキーパーの絶対的エースであることには変わりない。ゆえに、ガンガン働く気になれない。疲れるし、その両立って物理的・体力的に無理だから。」という理由で、力を温存できるパート等を選ぶ、というのは、よくわかる。それって迷惑うんぬんとかじゃないもんね。リアルな事情だもんね。