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『日本の歴史を読みなおす(全)』 網野善彦

歴史

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

本棚から引っ張り出して久しぶりに読み始めた数日後、とある本屋に行くと、新刊や話題本コーナーに平積みで置いてある本書を見つけた。しかも、大きな帯には、

  • 今よんでいる本をやめてでも、すぐに読んでほしい!
  • 日本人全員が読むべき、数少ない名著!

なんて、なんとも強気なPRが。そ、そそそ、そんなに大きく出てだいじょうぶなの?! とびびりつつも、確かに大賛成です、その煽り。や、実際、人にすすめようなんてさらさら思わないけど…。百人中何人がこれを面白がるのかって考えると、やっぱりね(昔、『忘れられた日本人』をおもしろくなかった、と言われたトラウマもある)。

しかし、これほどに読み甲斐のある歴史の本も、そうそうないんじゃなかろーか、と思うのである。単なる衝撃作、奇をてらった異色作、と片づけてしまわれると、私は非常に腹が立つ。こんなのどこが面白いの、ぜーんぜん興味ない、と言われたら、そらそうですよねハハハ、としか言えないです。

日本=孤立した島国。百姓=農民。田畑のない土地や田畑を所有しない百姓=みな貧乏。そんな先入観を鮮やかに覆してくれる。だからといってトリッキーではなく、民俗学的アプローチ、彼の「歴史を見る目」がすごい。

私は、この本を読んでいると、ものすごくわくわくしてくる。平安にせよ江戸にせよ、昔の時代というのは、ひとにぎりの貴族や武士だけがまともな生活をしていて、庶民はみんな、働きづめでボロを着て、酒どころか茶も飲まず、重い年貢にヒィヒィ言ってた…みたいな想像よりも、もっと豊かで生き生きとした暮らしが眼前に立ちあがってくる。

もちろん、貧しさに喘いだ人も多かっただろうし、科学も医学も今とは比べ物にならなくて、人は呆気なく死ぬものだっただろう。だけど、人間にはつねに知恵や経験があった。手形や切符なんて言葉は1,000年前からあったらしいし、公が地上の交通路をととのえる前に、水上・海上の交通網というのはすごく発展していたらしいし、女性の地主や御家人、金貸しの多い時代もあった。人はどの時代にも、できる限りのことをして、できることで「足りていた」部分もあったと思う。科学や医学が発達していない、イコールかわいそうな時代、とは一概に言えない(もちろん、安易な「昔は良かった」的な歴史観も私は好まないが)。

たとえば、平安時代の貴族なんてのほほんと歌を詠んだり管弦の宴をしてるばかりってイメージだが、それでどうやって政治や経済はまわっていたんだろう?とか、大人になったら思ったりしますよね(しませんか?)。徴税、商売、村や町や郷。社会にはいろんな仕組み、いろんな仕事があるはずなのだ。この本ではその辺についてもわかりやすい説明がある。柔弱で、血筋に頼った能なし…てイメージの貴族も、実は戦略的に荘園経営をしていたらしいし、百姓イコール弱いんではなく、代官としたたかに、しかも文書でやりあったりもしていた(それはことさら珍しい例ではないのだ!)

何かに肩入れすることなく、天皇も女性も百姓も、海賊や河原者とよばれた人も、宗教も、銭のことも、すべてが等価値だとでも言うような目線で語られる網野史観、その語り口の示唆に富むこと、「自分の学説もまだまだだから、叩き台にしてほしい、自分もこれからももっとがんばる」という謙虚さと意欲、そして、最後に語られる、歴史を学ぶ意義、若い人たちへのメッセージは、胸が熱くなるような力強さ、懸命さだ。

多くの人と同じように、これから(当時は1990年ごろか)がいかに難しい時代になるかを認識してはいるものの、彼の筆致には前向きさ、希望が感じられる。これは、歴史について本当に詳しい人ならではの明るさだと思う。すべての時代が厳しく、けれどすべての時代で人は生き生きと生きてきた、という確信があるからこその。こういう不思議な明るさは、やはり歴史に造詣の深い宮崎駿や、直木賞作家の松井今朝子にも共通しているような気がする。

ちなみに、網野さんのこと書くときはいつも書いてるけど、「もののけ姫」は網野さんの歴史観にインスピレーションを受けた部分も多いそうです。あの、たたらの森で暮らす人やら、神人・供御人やら。

しかし、網野さんも亡くなってしまった。新著が読めないのはいかにも残念だ。彼の研究は今、どのように受け継がれているのだろうか? ともかくも、疑いもない名著の本作なのだから、ちくまは絶対に廃刊にしないでほしいものです。