『平清盛』 第19話「鳥羽院の遺言」

大河ドラマって昔からの国民的娯楽とされていて*1、視聴者は中高年が中心で、なじみ深い戦国の三傑とか、豪華な着物のお姫さまとかが出てきて本能寺だの関ヶ原だのやるのが視聴率獲りには鉄板だ、という面があるんだけど、一方で、「歴史、この深遠なもの」が映像で具現化されるのを見たい、という大河ツウも数多くいます。

そういう人々は、「惚れたハレたとかにウツツを抜かすな! 戦は嫌いとか、家族のためにとか、そーゆー道徳の教科書みたいなテーマは朝ドラかTBSの日曜劇場でやれ!」とか言って憚らないわけです。

私も、どっちかとゆーと、そっち寄りかな。や、硬派を名乗るにはミーハーすぎるか。ネタ消費も好きだし…。

ともかく、「法皇上皇に仲良くしてもらいたい」なんて調停に乗り出し、「血がつながらなくても親子としてわかりあえるはず」なんてほざいたあげく、「私にも守るべきものがあるのです」という錦の御旗を掲げ、手のひら返して崇徳院に刃を…って展開に、怒り心頭の大河ツウの面々もいらっしゃるようで。

や、私もね、愛の兜とか、みんなが笑える国とか、聞くたびに虫唾が走ってたクチですよ。でもね、今回はぜんぜん、違うと思うの。わかるのよ。清盛が、ふたりの仲をとりもとうとしちゃうのか。それでいて、最後には、誓詞を書いちゃったのか。

血がつながらないながらもパパ盛に大切に育てられ、でも一族にはずっと鬼っ子扱いされていて、イロイロあったたけどついに棟梁になった。その歴史が彼を行動させているってことが、これまでを見ていると、すごく納得いくのよ。守るべきもの=家族なんだけど、現代的価値観を1,000年前に無理やりあてはめて、薄っぺらい家族主義を謳ってるわけじゃない。王家の犬だった武士を公卿まであと一歩、というところまで持って行った父から受け継いだ平氏一門。それを率いるってのは、すごく重いことなの。その重みに堪えることに、彼はまだ汲々としているの。

第二部最初の歌会で言ったとおり、家族が大事、一門が大事、そのことでまだ精一杯なの。棟梁になってから、口にしないもんね。得意の「面白き世」。そこまでの余裕がないのよ。

この先の歴史の荒波の中で台頭していくのが、清盛。これからも、その行動原理に“平家一門のために”ってのは、必ずあると思うよ。それは中身のないお題目じゃないの。必然なのよ。その過程のどこかで、必ず「面白き世」は出てくる。それが、清盛が父を超えるときなんだろうね。一門への責任感、海への憧憬、母の情熱、もののけの血、博打の強さ。そのすべてが、清盛を押し上げ、そして、滅びの道に向かわせるんだろうね。非常に説得力をもって見られると思うよ、きっと。

対する源氏は、これがまた見事なまでに対照的で、一門の中で血みどろの抗争が繰り広げられてるわけで、「こっちのほうが、血沸き肉躍ってて(文字通り血沸き肉踊ってるよ、悪源太怖かった、あの距離で弓って!)面白い、ぬるい平氏はもういいから、こっちをもっと詳しくやれ」って言う大河ツウ、歴史好きも多いのよね。主に男性。

ま、とはいえ、さすがに、肉親同士の殺し合いをメインに見せる大河ってのは非現実的だし、清盛の低視聴率って、いきなり初回から出てきた舞子さんの矢ぶすまとか、伊東四朗と壇れいのインモラルな関係とかに引いちゃった清く正しい視聴者が少なからず…って部分もあると思うのよ。

血のつながりのない父や継母や弟、死んだ妻、様々な「思い」を受け止めて、一門の棟梁になった清盛。父に歯向かい、弟たちと争い、我が子に叔父を殺させて、多くの血を流して勝ち取らなければ棟梁になれない義朝。いやー、すさんだ姿がサマになるね、玉木宏。とぼけた役から荒ぶる種馬(笑)まで、この人ほんと、意外にも(?)幅広いのよね。

私がすばらしいと思うのは、このドラマでは、そのどっちが正しいとも、どっちのほうがかっこいいとも、主張しないところ。どちらの運命も同じくらい苛酷であり、必死で生きている当人たちに優劣なんてない、と作り手が思っていることが、はっきりと伝わってくるところ。

彼らだけじゃなく、出てくるすべての人間が深い業を背負っていて、その行動のすべてが必然と思える。今回だって、池禅尼=宗子が、清盛に芯から心を預けることができず、亡き夫の忠実な理解者であった忠正に釘をさしておくところなんか、ゾゾゾとくるほどだった。

歴史を題材にしたドラマを見ていると、どうしても、「史実に着地させるため」、記号的な登場人物や、性急な展開が見られて萎えるんだけど、今回、それがすごく少ないのよね。

ひとりひとりに運命があり、誰もがそれと真剣に対峙していて、そのうえで、個人の力では押しとどめようのない大きな歴史のうねりがある。今回、信西が言った

「(鳥羽、崇徳の)二人がどうあろうと、時はそちらに向かってうねっておる。すなわち天下大乱!」

というセリフは、白眉ですよ。これまでにも幾度となく「天下大乱」という言葉を脅しのように口にして、それを避けるがためとして献策していた彼こそが、乱を誰よりも望んでいる、というのも面白かったんだけど。

そう、血も骨もある人間たちが歴史という大いなるものと向かい合う、これこそが大河ドラマ! いやー、これは、理想に燃えていた清盛を打ちのめすにも十分だったね。彼は、この言葉を振り払えるほどまだ強くはないの。

そして、天下の大博士・信西は、故事に明るく歴史を俯瞰できるだけの知力があって、流れを自らに引き寄せるよう、歴史を巧妙に操っているつもりなんだけど…っていう。サダオのたたずまいが素晴らしいね。頭脳明晰だわ野望はあるわ、あの悪左府を封じるわで、立派なフィクサーなんだけど、どこか危うさが漂っている、なんとも新鮮な黒幕ぶりだ。

先週、はらはらと涙を流し、あれだけ頼りなげな少年みたいな(即位前の後白河って30近いんだけどw)姿を見せときながら、今週はもう暴君。型破りだけど繊細で、好き嫌いが激しくて、物事の本質をズバリ見抜く力と、高貴と、狂気とを持ち合わせる…っていう松田翔太の後白河像もすごくいいです。

得子、この人もオモシロ国の住人ですな。憑きものが落ちたようになっていても、鳥羽院の遺体を一面の菊で飾るとこなんて、まだまだ頼もしいエゴイストっぷり。あと、頼朝がナレーションやってることが日増しに効いてきてるね!

藤原信頼が塚地だったのに衝撃を受けました。えっと、えーっと、このふたりの頼長×家盛みたいな関係を、ほのめかすの?めかさないの? あたしは、めかしてほしいの?ほしくないの?と激しく混乱。

*1:や、実際、私の周りで大河を毎年見てます!なんて人いないけどね。毎年こんなにも視聴率シチョーリツと騒がれるって、紅白同様、やっぱりまだ国民的娯楽という位置づけだと思うのよ、少なくともメディア関係者にとっては。