『教育について』宮崎駿ほか 聞き手:太田政男(感想・上)

教育について

教育について

出会えてよかったなと心から思える本。知ったきっかけは、twitterのタイムラインをふと見ていたときにたまたま流れてたツイートでした。

「教育について」とはあるけれど、実践的な本ってわけじゃない。これで何かがたちどころに解決するってことはないと思う。でも、勇気が出てくるような、襟を正すような、頬桁を張られるような面白さがある。読んでいる間じゅう、わくわく興奮できる本ってなかなかないよね。横並び意識や、安易な悲観主義または安易な楽観主義、思考停止にならないようにしようと、ほんと思った。人間は矛盾にみちているという前提のもと、それでも希望と理想をもっていたい。それから、「何を子どもに教えるかというより、まず自分が親として人間としてどうなのか」って、折に触れて自問したい。

あと、この本がこんなに面白いのは、それぞれの語り手はもちろんだけど、聞き手、インタビュアーによるところも大きい。やっぱり、「何を問うか」っていうことで、その人の真価があらわれるところってあるよね。

備忘のため、各章について少し書き残しておく。こんな本が絶版ってどういうこと? 出版社、どこでもいいから文庫化しろよ!

宮崎駿
わずか30ページほどでこの内容の濃さ、ほとんど異常w 前頁コピーしてから返却してやろうか(あ、ほんと、そーしようかな…)w 

「子どもにアニメなんて見せちゃだめ。僕の映画を、“ビデオを買って子どもがもう50回も見てます”なんて言われるけど、ほんとやめてほしい。1年に1回くらいにしてほしい」なんていうまさかの(笑)名言をはじめ、言ってることは乱暴で矛盾だらけだったりするんだけど、とにかく何もかもがいい。「自然といったってそんな立派な自然じゃなくていいんです、畳のけばとかね、そういうものですよ」とか最高。

実際に身近にいたら、つきあいにくくてしょうがないんだろうと思うけど、こういう人が世の中に存在して、いい仕事をして、こういう発言をしてくれることですごく救われる部分ってあるよな、といつも思う。ちなみに、彼の発言については以前にこんなエントリを上げたこともあった。震災のあとに。

以下、引用だらけなんでたたみますか。

現実に触れるというのは、何も立派な自然とか風光明媚なところに行くんじゃなくて、いま自分が住んでるなかで子どもたちが現実とはどういうものかを知ることが大事なんです。その時間を奪うものとしてアニメーションや映画やゲームや、それに教育があってはいけないと思いますよ。

学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものは無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは、自分がどこにいるか知らないことですから。特にいまのような、どこに自分たちが行くんだろうと、自分で考えないとわからない時代が来たときに、歴史的なことに対する無知というのはいずれしっぺ返しがくる。

傷は受けるんですよ、必ず。無傷で育つことなんてありえない。だから、傷を受けることを恐れちゃいけないんですよ。傷を与えることを恐れちゃいけない。他人に迷惑をかけないなんてくだらないことを誰がいったのか知らないんですけれども、人間はいるだけでおたがいに迷惑なんです。そう思ったほうがいい。お互いに迷惑をかけあって生きているんだというふうに認識すべきだってぼくは思う。
ぼくは子どもの存在が迷惑だなと思ったこともあります。これはいってはいけないことですが。子どももこんなおやじがいて迷惑だと思ったことがあるはずですよ、それはお互いにそうでしょう、女房とぼくの関係もそうだし、たぶん職場の中ではもっと迷惑なんじゃないかとぼくは認識してますけど。(笑い)

ぼくは傷を受けたということをテーマにして映画やマンガをつくっているとは思わないです。そんなのみんなあるんですよ。その傷はいやされるかといったら、それは耐えられるだけであって、癒されることはないんですから。人間の存在の根本にかかわることですから、耐えられればいいんですよ。

自然環境が、たとえば過去はすばらしくていまが最悪になったという考え方は間違いだと思うんです。(中略)つまり、人間の手の届く範囲は相当めちゃくちゃやっていたんじゃないかと思うんですね。(中略)人間は生死のぎりぎりで生きてきたわけですから、自然に対してそんなにやさしくなかっただろうと思う。

ユーゴスラビアの話は聞けば聞くほど人間の業とかあさはかさとか、民族主義の愚かさとかに、うんざりさせられるんだけど、そのドキュメントを見てたら、なんかものすごく元気になりました。人間というのは捨てたものじゃないって。ああ、こうやって人間は生きてきたんじゃないかと。時代がひどくなったり、世界がめちゃくちゃになったり、平均気温が上がったりといろんなことが起こるだろうけど、そういうことでだめになっていく面はもちろんあるけれども、人間という観点でみると、そうやって繰り返し繰り返し生還し、生きてきたのが人間なんだと思いました。

子どもにとっての環境についていうと、あんまり自分たちの住んでいるところをばかにして生きるのもあんまりよくないなとぼくは思ってます。なんか自分の子どもたちに、これしか提供できなかった風景を、最低の風景だって言い続けているのはどうも…。機嫌のいいときにたそがれどきの街を歩くと、けっこう風景に親しみを感じたりするわけですから。

あと、保坂和志の小説がおもしろかったんで、自分はもともと、勝手に「自分の子にはなるべく小学校に入るまで字を覚えてほしくないな」と思っていたんだけど、その思いがますます強くなりましたw