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『百日紅(上・下)』 杉浦日向子

百日紅 (上) (ちくま文庫)

百日紅 (上) (ちくま文庫)

百日紅 (下) (ちくま文庫)

百日紅 (下) (ちくま文庫)

さるすべり、って一発変換できないんですね。それはどうなのIME

杉浦さんの本は最前から『一日江戸人』を持っていたのだが、“江戸の知識が半端ない、イラストも書けるエッセイスト”なのだろうと勝手に思い込んでいた私。図書館でこの本を偶然見つけて「漫画家さんだったのか!」と知った次第である。お恥ずかしい。これは再録版なのだろうが、ちくま文庫から出てるくらいだから名作に間違いないとふんで即、借りてきました。

めちゃくちゃ面白かった! 衝撃を受けるレベルで。この漫画にはほんのわずかも飾ったところがない。

人気も名声もあるが気随気ままに描いているような50代の葛飾北斎、こちらも絵師としての実力は確かな二女のお栄、そして元・武士の女好きで北斎に私淑する善次郎(のちの渓斎英泉)の三人が主要人物。時代は文化文政、場所はもちろん江戸。

江戸の市井を舞台にした作品って、なんとなくウェットなイメージがあるんだけど、この漫画には、「人情の機微」とか「人生の哀歓」みたいなものはない。さしずめ「ふん、そんなもんは犬も食わねぇ」ってところ。江戸弁がわかりませんが。

なんたって、お栄は父たる北斎を「鉄蔵」と呼び、父のほうは娘を「アゴ」と呼ぶのだ。ちなみに善次郎はふたりに一貫して「へたくそ」扱いされている。

父と娘は「筆二本、箸四本さえあればどこででも食っていくさ」というだけの暮らしで、下絵や反故紙で足の踏み場もない住居で布団も敷かずに寝る有様だが一向に頓着はせず、「掃除するくらいなら引っ越す」とうそぶいている*1。高い望みはなく、夏が来れば全力で暑がり、冬がくれば焼き芋などして、火事が出れば息せききって駆けつけ、幽霊話に飛びついて徹夜も辞さない。

そこはまるでユートピアのようにも見える。けれど同時に、彼らの暮らしには、つねに死の気配、穢れや欠落、「この世ならざるもの」の息吹が濃厚にたちこめてもいる。絵師という特殊な生業の彼らが、版元や吉原や陰間茶屋(!)、見世物小屋などとも近しいがゆえに、そのような面を見せやすいというのもあろうが、それだけじゃない。江戸とはまだまだそういう時代だった。いや、本当は、世界とはもともとそうしたところなんだろう。

そんな世界を、彼らのように「寝ちまえ、寝ちまえ。寝て起きりゃ別の日だ。」と言いながら、からりと生きていけたらな、と思う。

確かな知識に裏付けされた作品世界、水木しげるもかくやというような緻密な描きこみを見せつつ、随所に大胆な構図や表現を盛り込んだ絵、きっぷのいい江戸弁など、それはそれは見事に江戸にトリップさせてくれます。特にお栄がすごくいい。いたって無愛想な娘で、取り立てて物語の前面に出てくるわけでもないのだが(誰も「俺が主役だい!」という顔をしていないのもこの漫画の面白さ)、たちまち虜にされてしまう。

湯屋の帰り、河原に座り込んでいる善次郎を見つけてその愚痴を聞き、内心で自らの懊悩とも重ね合わせてからの、「エイ馬鹿野郎、阿呆らしい」の最後の一コマの爽快感は無類。洗い髪が風にたなびくその角度! 

ところで、ちくま文庫版は抄録とでもいうもので、オリジナルの単行本はすでに絶版になっているらしいんだけど(なんたることだ、こういうところでも出版界のいびつを感じるぞ!)、「縦軸」となるような話の流れはない連作長編の本作、連載時の最終話も「野分」なんだろうか、ならばある意味すごい。2005年に46歳という若さでこの世を去った作者、生前はいっさい明かすことがなかったらしいが、もともと難病をもっていて逝去の10年ほど前に漫画家を引退している。この『百日紅』を書いたのはなんと20代の後半。作品にあらわれている独特の死生観や、後半、怪異に通じる話が増えていった経緯などについて、想像も及ばないと思いつつ想像してみたりもする。

*1:実際、北斎は引越癖でも有名らしい