『坂の上の雲』 最終話「日本海海戦」

前回ラスト、異様な引きの強さで世紀の海戦の始まりを迎えた海軍。足かけ3年、20時間にわたって放送された「坂の上の雲」もついに最終回です。

私は日露戦争についての知識は非常に浅く、日本が勝利することは知っていても、この海戦、史上稀に見る日本の圧勝だったとは思いもよりませんでした。では、ドラマでその模様が描写された20数分、快哉を叫んでいたかといえばとんでもない。固唾を飲み続けるしかありませんでした。無敵のはずのバルチック艦隊、激弱です。惨敗です。兵は火だるま、指揮官ロジェストウェンスキーは重体、旗艦は沈没です。あまりにも生々しく見せられるそれらの様子は、もう敵軍とか関係なく目を背けたくなる痛々しさ。

ついに敵艦には白旗が揚がり、モックン真之は渡哲也の東郷平八郎に「長官長官、白旗です、砲撃をやめてください、武士の情けです、長官!」と血相変えて詰め寄りますが、長官、聞く耳持たず。「見やんせ、敵はまだ前進しよるやなかか」。東郷は国際法に忠実に戦っており、モックン真之敵軍のあまりの惨状に明らかに動揺しまくっているわけです。やがて敵艦が停止すると速やかに戦闘旗を下げる東郷。戦艦「三笠」内には歓喜の声も上がります。けれどそれはほんのわずかのカット。

この時点で最終回には約60分が残されています。ここからは、戦勝後の後日譚というにはあまりにカタルシスの少ない、「終わりの、その先」の諸々が描かれていきます。

降伏手続きのためモックンが敵艦に乗りこむと、敵兵の遺骸が船底に山と積まれている。モックンは思わず合掌・黙祷します。指揮権を受け継いだ敵将ネボガトフは、おそらく指揮系統がボロボロになっており、艦隊全体の損害も把握できず、モックンに尋ねる始末で、沈没した船々の名を聞かされ呆然と崩れ落ちます。

やがてモックンは帰国するのですが、家に帰るとそれは老母の通夜の日。夜中、眠れない彼は、たまらず妻の石原さとみに心情を吐露します。「死んでゆく人をあまりに見すぎた。海軍を辞めて坊さんになりたい。対馬の海に沈む日本とロシアの兵たちを供養したい」。第一部から描かれてきたとおり、ガキ大将で智謀あふれるモックン真之は、同時に非常に繊細な心の持ち主だったんですね。

根岸に子規の墓参りに行くモックン。近くの茶店で休むついでに、働いてる少女に「正岡子規を知っているか」と聞いても知りゃしません。けれど墓前で子規と語り合ううちにモックンの心は落ち着いていった・・・のかもしれません。その心情の変化をドラマは明らかにはせず、子規が自らさだめたという碑文を紹介します。それは、命を削った短歌や俳諧については一言も触れず、ただ生国や父母の名、勤め先や月給(!)を詳らかに記したもの。

もうこの辺から、ドラマは直截的なことは何も語りません。ただ、ほのめかしというか、すべてが示唆的。その解釈はすべて視聴者に委ねられています。

帰り道、ひとり、坂を下っていくモックンのカット。雲をめざして上り続けていた彼が下りる坂。「今、モックンが通ったような・・・」との子規母・原田美枝子の言に思わず駆け出すものの、「見間違いじゃろ。モックンは軍艦に乗っておられるはず」と自分を納得させるように言う菅野美穂ちゃんのシーンもすごく良かったです、その前にこの家に来た夏目漱石たちのシーンは、(言いたいことはわかるのだが)やや浮いておったが。

上の人たちは戦後交渉に入っています。竹中直人小村寿太郎が再登場し、日本側の大使として講和に赴く。送られるときは桂太郎(役者名がわからん)とか江守徹とか(役の名を忘れた)とか沢山いますが、帰ってきたときは伊藤博文加藤剛! 再登場うれしかったわ〜)しかいません。「誰も迎える者がいなくても、私だけは出迎えるからね」との送り出すときの宣言を守った形です。そう、戦争には勝ったものの、和平交渉の難しさをこの最長老は熟知しており、そのとおり、賠償金はまったくとれなかったのでした。日比谷では民衆の暴動が起こります。

児玉と乃木も帰国。戦塵まみれた軍服のまま明治天皇に拝謁しようとする乃木を児玉は引きとめ、「これからどうなっていくのかのう」と訊く。乃木、いつものように表情を変えず、「何も変わりゃせん」と一言。ドラマではこれだけでしたが、児玉はこののち間もなく、日露戦争で燃え尽きたかのように脳出血で死去し、乃木は周知の通り、明治天皇に殉死します。

故郷の伊予松山にて、小舟で釣りをする阿部ちゃん好古とモックン真之の兄弟。言葉にはせずともモックンがいまだ苦悩の中にあるのを察した兄さんいわく、「おまえはようやった。ようやったよ」。うわーーーーん。堪えていたものが一気に噴き出すようにテレビのこっちがわでも泣きたくなりました。

このドラマでの指揮官・将校たちは、基本的に「同胞の命を多く奪いながら戦っている」ことに極めて自覚的です。だからこそ、実に無私な姿で戦うのでもあるけれど、無邪気に坂の上の雲を目指していた彼らは、今やみな、その重すぎる業を背負っている。軍人として勤める限りは、軍法に忠実に、無私に果敢に、戦い続けなければならない。同時に人間としては、その痛みと向き合い続けなければならない。同じ軍人としてではなく、兄として、好古はその言葉をかけたように思います。その言葉でモックンを救うのでも赦すのでもないけれど、兄として、せめてこのときは心優しき弟を包み込むように。

阿部ちゃん 「この先、どうなるじゃろう。(智謀に長けた)おまえにもわからんか」
モックン  「急がねば、一雨くるかもしれんぞね」
阿部ちゃん 「そら、急がねばならんな」

釣りについてのようにモックンは答えますが、もちろんこの会話も示唆的。

そしてこの長い物語を結ぶのは、兄弟の最期です。先に召されたのは弟モックン、四十九歳の死の床で、臨終の言葉は、「今までみなさんありがとう。これからはひとりで行きますから」であったとナレーションが語ります。絵は、兵学校の長い廊下をたったひとりで歩くショット。兄・阿部ちゃん好古は比較的長命で享年71歳。超気合の入った老けメイク! 枕頭には大勢の子や孫が集まり、こちらも目をみはる老けメイクの妻・松たか子に手を握られながら逝くのですが、うわごとのような最期の言葉は「馬引けぃ、いざ奉天へ」とかなんとか・・・。両者にはどこか孤独の影と、そして、いつまでもあの戦に心を残していた様子が見られます。

視聴率的には成功を収めたとは言い難かったかもしれない。英雄然とした指揮官たちに(司馬がおそれてやまなかった)戦争美化と捉えられた面もあったかもしれない。戦争の場面の恐ろしいリアリティ、大量の死の描き方は、(特に今という時代)正視に堪えない人も多かっただろうと思う。

でも、いいドラマだった。すごいドラマだったと私は思うよ。貧しくとも多くの人が希望を抱いていた、楽観主義に始まった明治。そこから力をつけ、人材を得た日本が世界に出てゆき、「辛くも勝利をつかんだ」日露戦争を経て、その先・・・というところまで思いを馳せずにはいられなかった。まあ困った放送スケジュールだったけど、2年目3年目には「年の瀬」感も覚えるようになったしね。特に去年なんて本家大河がアレだったから11ヶ月で終わってくれてほんとに嬉しくて・・・(笑) ドラマファン、歴史ファンとして、心から楽しませてもらった。