『小澤征爾さんと、音楽について話をする』 小澤征爾×村上春樹

小澤征爾さんと、音楽について話をする

小澤征爾さんと、音楽について話をする

考えてみれば、小澤征爾へのインタビュアーとして村上春樹ほどふさわしい人物は思いつかないかもしれない。クラシックを聴くのは趣味だと彼は言うが、その造詣の深さたるや、小澤に言わせると「正気の沙汰じゃない」ということになる。

世界有数の指揮者である小澤と音楽について語り合えるほどの見識・・・見識、という言葉はそぐわないのだろうが、長い年月をかけて聴いてきたその範囲の広さ、聴き込みの奥深さよ! もちろん、感じたこと、疑問に思うことを表現する思考力、言語能力、そして文章力については、村上春樹も世界有数なわけで、これが面白い本にならないはずがない。クラシックなんて、まったくの門外漢、という読者が大半であることは、当然全然織り込み済みで作られている。

読んでいてまず感じたのは、あたりまえだが、“世界のオザワ”の呼称はダテじゃない。単純に、世界を股にかけての仕事、というだけじゃない。彼が、師事したカラヤンバーンスタインについて、舞台をともにした演奏家たちについて、あるいはベートーベン、マーラーといった作曲家について語るとき、必ずといっていいほど彼らの“民族性”についての言及がある。

小澤 「(当時、自分の先生であって指揮者バーンスタインについて。)君たちは僕のコリーグ(同僚)だっていうわけ。だから何か気がついたことがあったら、自分にも注意してくれ、と。君たちにも注意するけど、私にも注意してもらいたいと。そういうアメリカ人の、良きアメリカ人の平等思考みたいなのがありました」

村上 「ベルリオーズってむずかしくないですか? 僕なんか聴いてると、ときどきわけがわかんないんですが」
小澤 「難しいっていうか、音楽がクレイジーだよね。だから東洋人がやるには向いているかもしれない。こっちのやりたいことがやれるし」

村上 「60年代のバーンスタインマーラー演奏について言いますと、(中略)マーラーに対する自己投影というか、パッションがかなり入ってますよね」
小澤 「入ってますね。それは間違いなくそうだった」
村上 「(略)まずマーラーユダヤ人であるということが、かなり強く意識されていた」
小澤 「それはすごく強いと思う」

村上 「ユダヤ系の音楽家はとても多いですね。とくにアメリカには」
小澤 「みんなとすごく親しくつきあっているんだけど、でも根本のところでは、彼らが何をどう感じて、何を考えているのか、心底は理解できないみたいなところはありますね。まあ向こうも、僕みたいに父親が仏教徒で、母親がクリスチャンで、それでいて宗教心があまりないなんていう人間のことは、よく理解できないと思っているのかもしれないけど」

小澤は、音楽をやるときに、作曲家の世界観とか、当時の時代背景とかを突っ込んで考えるほうではないという。ただ楽譜を読み込むだけだ、と。だからといって、無頓着ではない。無頓着では“いられない”というのが正しいのか。国境とか民族とかを知っている、感じている彼は、本当の国際人だと思う。

だいたい、1960年代初めなんて、ヨーロッパでもアメリカでも、日本人は相当珍しかったはずだ。まして、クラシック音楽という白人だらけの世界にあって、小澤のなんと人なつこいこと。

小澤 「僕はわりにレニー(バーンスタイン)にかわいがられるというか、得をした部分は多かったですね。(中略)まあ、はっきり言ってえこひいきですよね」

村上 「ゴンバーグさんがレコーディングにあたって、小澤さんを指揮者として名指しで選んだわけですか?」
小澤 「そうです。なぜか僕のことを個人的に気に入ってくれたみたいで」

小澤 「ユージン・オーマンディはすごく親切な人でね、僕のことを気に入ってくれて、彼が常任指揮者をしていたフィラデルフィアに、何度も客演指揮者として呼んでくれました」

小澤 「僕はボストン時代にツィマーマンとすっかり仲良くなってね。彼もボストンが気に入って、ボストンに家を買って移ってくるみたいな話になったんです。それはいいって、僕も強く勧めて」

小澤 「(小澤の師匠であるバーンスタインの天敵のようであった、ショーンバーグという評論家について。)(自分が指揮をした)学生コンサートのことも書いてくれた。僕の名前を書いて『この指揮者の名前を人々は記憶しておくべきだ』って書いてくれた」
村上 「すごいですねえ」
小澤 「あとがもっとすごくって、彼はわざわざ学生オーケストラのいちばん偉い人のところに電話をかけてきて、僕に直接会いに来て、もし君がニューヨークに来ることがあったら、自分ところをぜひ訪ねてくるようにって言ってくれたんです。(中略)それでそのちょっとあとで生まれて初めてニューヨークに行ったんだけど、そのついでにニューヨーク・タイムズの彼のところを訪ねてみたんです。そしたらわざわざ僕を連れて社内を案内してくれた。ここが印刷所で、ここが音楽部で、ここが文化部でとか、なにしろ2,3時間かけて案内してくれて、お茶までごちそうになって」

彼の話を聞いていると、君には恩師が、親友が、いったい何人いるんだい?と言いたくなる。むろん、回顧録であるから記憶に多少の色をつけている部分はあるかもしれないし、華々しく活躍する売れっ子指揮者に何らかの打算で近づいてくる人間だって多かっただろう。逆に、彼を嫌ったり、対立したりする人間もまた少なくはなかっただろう(本書にも、多少は触れてある)。

でも、小澤が愛される存在であったことに間違いはないと思う。それは、「愛されていると信じる」のも込みで、だ。いつでもどこでもオープンであること、また人の胸襟もひらかせてしまうこと、その点でもきっと図抜けた才能の持ち主なんだと思う。

そしてもちろん音楽。彼の稀有な能力について、理解するだけの器がこちらにないのは残念なことだ。ただ、彼の音楽への情熱をわずかなりとも感じ取る事はできる。「楽譜を読む」という勉強のすさまじさ。一流と呼ばれてもなお努力する人の姿がそこにはある。スポーツにしろ芸術にしろ事業にしろ、はたから見ると常軌を逸するほどの努力をできる、それだけの情熱をもっている、というのがすでに才能なのだろう。報酬をもらう仕事には雑務もつきもので、楽団の指揮者としての、それだけでも激務とも思えるような雑務について触れた部分もあるが、そこで忙殺されない、磨耗しない感性と情熱が、彼を指揮者として淘汰させなかった。

ベートーベンのピアノ協奏曲第何番、マーラーブラームス交響曲何番、といわれても、私には旋律すら思い浮かばない。それでも、村上と小澤が、同じ曲を、別の指揮者と演奏家、あるいは同じ指揮者の違う年代での演奏、というふうに聞き比べて話をするのを聞くのはすごく面白い。

小澤 「出だしはずいぶんおとなしいね」
(中略)
小澤 「ここはもっとやるべきなんだ。こうじゃなくて、たあ、たあ、たーーん(アクセントを強調する)、という具合に。もっと勇気をもってやらなくちゃいけない。もちろん『勇気をもって』なんてことは楽譜には書いてないんだけど、それを読み取らなくちゃいけない」
(中略)
村上 「ゼルキンはけっこう音を動かしていますね。積極的にアーティキュレーションをかけているし」
小澤 「そう。彼にはわかってるんです。自分にとってはこれが、この曲の最後の演奏になるだろうって。生きているあいだにこの曲を吹き込むことは、もうないだろうと。だから自分の思うようにやろう、やりたいようにやろうという気持ちがあります」
村上 「バーンスタインとやったときの張りつめた感じの演奏とは、雰囲気ががらっと違いますね」
小澤 「上品ですよね、この人の音は」
村上 「しかしこの演奏に関しては小澤さんのほうが、なんかずいぶん真面目ですよね」
小澤 「そうかな、あはははは」
村上 「ゼルキンは自分の好きなように音楽を作っている。ちょっと遅くないですか、このへん」
小澤 「うん、2人とも慎重になりすぎているんだ。ゼルキンも僕も。もっと生き生きしていいところだよね。おしゃべりをするみたいに」
村上 「僕はゼルキンのこのカデンツァの演奏が個人的にけっこう好きなんです。なんか荷物を背負って坂道を登っているみたいで、ぜんぜん流暢じゃないんだけど、訥々としてて好感が持てるんです。大丈夫かな、ちゃんと上れるかな、とか心配しながらじっと聴いていると、だんだん音楽が身に滲みてくる」
小澤 「今の人はもうみんなばりばり弾いちゃうからね。でもこういうのもいいですね」

こういうのを読んでいると、なんとなく聴いてみたくなる。小澤の音楽のとらえ方の一端を知るのはとてもうれしいことだし、村上のようにクラシックを楽しめるっていいな、と思う。

そして、あらためて、この、愉快で刺激的で味わい深い本を作った村上春樹という作家にも感謝したいような気持ちになる。村上は、自分を非社交的で閉じこもった人間、のように言ったりもするが、それはまったくの謙遜であって、インタビュー中の小澤への気遣いにしろ、本の構成の仕方や解説文の隅々にまで、彼の言葉には親しみと敬意、そして思いやりがあふれている。読んでいてとても快い種類の心遣いだ。前書きだけでも、それは存分に感じ取ることができるので、ここを立ち読みしてみるだけでも面白いよ、と言いたい。

そんな村上を前にして、インタビュー中はまさに無邪気に磊落に振舞っているような小澤だが、自身が書いたあとがきでは、村上の心くばりに感謝の意を示している。飾り気のないその文章から透けて見えるような、人々や音楽への深い愛情に、私はちょっと泣いた。