『龍馬デザイン。』を読んで脚本の何たるかを思う

『龍馬デザイン。』という本を読んだ。

龍馬デザイン。

龍馬デザイン。

2010年大河ドラマ龍馬伝』で人物デザイン監修、という職に就いた人が著者で、制作の日々を綴った日記を書籍化したもの。この柘植さんという人がすごくて、よってこの本もちょっとすごいものになっているので、本そのものについてはまた改めて書きたいのだが、ひとまず、本の最終盤、非常に印象的だった部分について。

平たく書くと、第四部(最終部)の脚本に共感できないので、モチベーションが上がらない、と綴ってあるのだ。龍馬の魅力が立ち上がってこない、と。

これはある種の衝撃だった。何がって、作ってる人もやっぱりそう思ってたよね?!てこと。 

そう、確かに『龍馬伝』というのは瞠目すべき異質な部分をもった大河だったのだが、何が残念だったかといえば、脚本である。駄作だとは思わない。名場面、面白い人物造型もいろいろあった。が、それこそ革命的な演出や人物デザインに比して、この長い物語の主人公である龍馬が、なぜ、どのようにして革命的な人物たりえたか、という説得力を、脚本が与えることはできなかったと思う。見ていてそれがとても歯がゆく、残念だった。

作ってる人もやっぱりそう思ってたよね?!(2回目)。

当然ながら、次に頭をよぎったのは、「龍馬伝でこれなら、一昨年のアレや、今年のアレの役者・スタッフ達はどんなにか・・・」ということでした(笑) 

誤解の無いように書いておくが、著者は、あくまですべて個人の感想として書いているのであって、現場の皆がその思いを共有していたのかどうかはわからない。ましてや、彼は脚本とクレジットされている福田靖を責めてなどいない、むしろ、大いなる理解と同情を示している。

彼は、局内のスタッフ顔合わせで、福田が「自分は一字一句意味のあるものを命をかけて書いています」と言ったときの切迫した様子や、彼が書いた脚本がNHKはじめ関係当局の意向によって膨大な修正プロセスを踏んでいるらしいことも書き添えているし、脚本の補佐や史実面でのアドバイスを担当していたスタッフがNHK内部の人事異動によって制作途中で転勤になってしまう(!)といった想定外の出来事にも触れている。第2部の終盤で脚本は1ヶ月止まり、後半にあたる第3部、4部は、脚本は撮影に間に合わなくなるくらい遅れることもあったらしい。著者は、原作もない中、ひとりで1年間のドラマを書くことの過酷さは想像を絶する、と書く。

さもあろう、さもあろう。しかし、ドラマの核はやっぱり本だ! 

どんなにいい声で、歌唱力のある歌手が、音響のいいホールで歌ったとて、曲が良くなけりゃ喝采は起きない。どんなにいい素材を集めて美しい皿に美しく盛り付けても、まずい料理を誰が食いたいと思うものか。ドラマも同じだ。いい役者がいいスタッフに囲まれて渾身の演技をし、誠実かつ斬新な演出をほどこしたって、名脚本なしに名作は生まれないのだよ!

と、あらためて確認(それがどーした、って言われても困る)。

さて、そこで、目下進行中の『カーネーション』である。朝ドラは、15分×6日間×半年であるから、これは大河ドラマ1年分とまったく同じ分量になる。今まさに折り返さんとしている『カーネーション』が、このままの勢いで後半も逃げ切る(何から?)ようなことがあったら、それはやっぱり、諸手を挙げ、旗を振り、声も枯れんばかりに賛辞を送るべきでしょうね。

ちなみに、『坂の上の雲』は90分×12回なので大河の半分量であり、同時に、民放ドラマ2クール分+αである。