『カーネーション』のこと その2

栗山千明が演じる、奈津、という登場人物がいる。

料亭吉田屋のひとり娘で、跡継ぎであることをさだめられ、それを自らの誇りにもしている。糸子とは小学校からの同級生なのだが、2人の関係が面白い。

奈津はその美貌と強い自意識ゆえ、糸子はからりとしつつも思い込みの激しい性格ゆえ、2人はそれぞれ、女の子特有の「どこへ行くにも一緒」のような友だち関係とは無縁で、学校でも浮いていた。女らしさのかけらもないがさつな糸子に、奈津はとりわけ悪口雑言を浴びせかける。天真爛漫な糸子だが売られた喧嘩は買うたちなので、幾度となく激しい応酬が繰り返される。しかし、傍から見ると、その様子は「ケンカするほど何とやら」そのもの。

片や親の跡を継いで女将になること、片や昭和初期にあって洋裁の仕事をすること。ちびの頃(この、“ちび”という言葉を、気の強い奈津が自分に対して使うのが印象的だった)から己の夢をさだめ、強い意志でそれに向かっていくという共通点がある2人は、そのために、ちょうど磁石の同じ極が出会ったときのように強く反発しあうのかもしれない。

けれど、性格や方向性は違えど同じ強さや激しさをもっていることを、ふたりともが無意識のうちに感じている。だから、憧れの近所のお兄さんが結婚すると聞いて泡を食った奈津は糸子の職場まで押しかけていくのであり(そしてやはり最後は捨てゼリフで駆け去っていくのであるが笑)、奈津をたぶらかした(かもしれない)歌舞伎役者の春太郎*1に、糸子は異様な敵意を示すのである。

糸子が心配するまでもなく、奈津は惚れたはれたにはのめりこまない。料亭のことがいついかなるときも最優先事項だからだろう。若女将として店にも出るようになり、親が選んだのであろう、料亭の婿としてそこそこ見栄えのするような男を甘んじて受け入れ、結納もすませている。

ところが、急転回が訪れる。父親が倒れ、臥せってしまうのだ。祝言も延期になった。人づてにそのことを知った糸子は動揺し、すぐにでも見舞いにいこうとするのだが、幼馴染の勘助の「奈津はおまえに弱いところを見られたくないはず」という言葉に深く納得する。しばらくして父親は亡くなるのだが*2、糸子はもう、胸中で平謝りしながら通夜に行くのだ。「自分になんか来てほしくないだろうに」と。通夜の席でふたりは一言も口を利かないどころか、目も合わせない。

喪中なので祝言はできないが、料亭に男手が必要なため、入籍だけすませるらしいこと。めっきり気を落とした女将である母親に代わって店をとりしきり、「ケロっとしている」らしいこと。奈津の様子を聞き及んだ糸子は、ほとんど怒りのような激情に駆られる。「何、強がっとるんよ。泣かなあかん。けんか吹っかけてでも、うちが泣かせちゃるよって」。

そのころ、女将としての用事で外出から帰る途中の奈津は、親とはぐれて町外れ、所在なさげにしている小さな男の子の手をとって町まで連れて帰ろうとする。そこに現れた男の子の父親は、幼い頃からずっと憧れていた泰蔵兄ちゃんだった。お悔やみを言われ、奈津は驚愕する。「うちのこと、知っちゃったん?」

(予想されたことではあったがどうしようもなく長くなってきたので、いったん切ります、続きます。)

*1:お上品なスケコマシという役柄に小泉孝太郎がひどく嵌っている。オチとしての使われ方もよかった

*2:糸子のサクセスエピソードのオチにとぼけた春太郎を使って視聴者を笑わせたあと、急に暗転し、一週間の最後の場面としてその事実を告げる演出には参りました